突然の離別
地下施設に戻って来ると、先程まで何の役にも立たなさそうだった見習いさんがあれよあれよと直してしまっていた。
再び回り出した水車が地下水を流し始め、施設内も気持ちひんやりとし始めている。
「足を入れると涼しいですよ」
そう言って僕は水路に足を投げ入れたが、シャロさんは風通しの良い向かい側に座るにとどまった。
ニコニコと柔和な笑みを浮かべ、来る人帰る人に「こんにちはー」「じゃあなー」と言う彼は、その声はともかくとても可愛らしくて人目を引いた。
脚は閉じた方が良いけど。可愛いなあ。
そう思っている内に、僕が短くない時間、彼に見惚れていたことに気付き、あ、これ浮気? 浮気になる?と背筋が伸びた。
「なんだよー」
「いえ、ちょっとすみません」
水路から足を上げ、その足で水路の脇の、石の上を歩く。
いやいや、僕はメイさん一筋だし。
大体、シャロさんは男だし。多分。多分、男。多分。可愛いけど。男。
でも、見た目は可愛い女の子であるということは、例えばシヴィーさんに目撃されていたら一巻の終わりである。
「シヴィーさんになんて言おう……」
口許に手を当ててそう呟いたとき、背後から突然「呼びました?」と声を掛けられ、思わず「うわっ」と声を上げて飛び上がってしまった。
「あー、すみません。また驚かせちゃって」
振り返ると、ネクタイを締めなおしながらニコニコと微笑んでいるシヴィーさんが立っていた。
「いえ」と言った声が裏返った。こんな思ってもみないタイミングでシヴィーさんが現れるとは。
シャロさんが捕まったら、と思うと居ても立っても居られない。彼は善良な人なのだと伝えて、間違っても拷問師を呼ばれたりすることのないようしなければと焦った。
「いや、あの、あれ、見つかりました? 得体の知れないもの」
「それがまだなんですよ。メイ様がカンカンで困っていたところです」
「あの、実はそのことなんですが……」
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「それで」
僕を立たせたまま、メイさんは椅子の背もたれに身体を投げ出し、足も手も組んだままそう言った。
「目を離した隙に逃げられていたと」
「逃げられたっていうか、まぁ、そうなんですけど、振り返ったときには、もういなくなってしまっていて……」
メイさんは声にならないため息を吐くと、酷く苛立たしげに目を閉じて首を横に振った。シヴィーさんが、到着の遅れた自分の責任だと謝罪した。
それから僕に向かって、「どんな人だったのか、もう一度メイ様にご説明をお願い致します」と言った。
「はい。あの、まず見た目なんですが、女の子でした。でも、本当は女の子じゃないんです。白い髪を三つ編みにしていて、凄く愛嬌のある可愛らしいお顔をしているんですけど、声が男の人なんです。あと、子供みたいな話し方をするのに、単語単語の取捨選択は大人っぽくて、年齢は少女って感じでしたが、幼い印象があって。なので、子供の見た目をした大人だったと思います。あと着物を着ているんですけど、布製じゃないようなことを言っていて、多分着物じゃないんだと思います。凄く人みたいに見えるし、ちゃんとお話も出来るんですけど、どこか人間っぽくなかったです。それから」
あぁでもないこうでもないと話している間、メイさんは目を閉じたまま、何度か頷いた。そのあと、僕が彼の特徴を思い出している間に「結構」と言って立ち上がった。
それから集まった暮露さんら側近の人たちの前に立った。
「やはり侵入者がいる。気を引き締めて捜索しろ。みな、今の話を聞いて分かったと思うが、引き続き手掛かりはなしだ。何かわかり次第、共有するように。以上、解散」
沢山喋ったはずだが、メイさんははっきりと「引き続き手掛かりはなし」と言った。
「あの、メイさん。僕、お役に立てなかったですか……」
「少女のような青年で、着物に見える何かを纏った人間らしくない人間? それでどう探せと?」
「でも、本当にそうなんです。見れば分かります」
「それが見つからないから困っているのですよ」
メイさんはどかりと椅子に腰を落とすと、苛立たし気にため息を吐いた。
「ヤシロ殿は随分お疲れのようですから、早くお休みになった方が宜しいかと」
「……お邪魔のようなので、そうします。何かあれば、お声かけください」
「分かりました。何かあれば、お声かけします」
目も合わせず卓上で頬杖をついて、メイさんは書き物に戻ってしまった。
この言い方は、お声かけされないなあ、と後でがっかりしないように自分に前置きをしえおく。
でも、女の子みたいな、男の人だったんだもん。
退室する際に、もう一度挑戦しようかと思い、そのすげない様子に立ち止まることを止めた。
メイさんだって、見れば納得してくれるはず。
今更遅いが、何と言ったら伝わったのか考えているうち、彼の無邪気な「なんで?」「どうして?」が懐かしくなった。
「なんで分からないの?」
他意なくそう聞いてくれたら、僕ももっとちゃんと話せたかもしれない。
「馬鹿だなー」と笑ってくれたら、「そうなんです」と白状できたかもしれない。
もっと彼のことを知りたかった。
そう思ったのは、メイさんの役に立てなかったからだけじゃなかった。
「まあまあヤシロ様!」
シヴィーさんが僕の隣を歩きながら、両方の手のひらを僕に向けた。
「お気を落とさず! 私たちで見つけてみせますから!」
「何のお役にも立てず……」
「いえいえ、いるかいないか分からないものを探すより、いると分かっていても探す方が気持ちが違いますから。そもそも、ヤシロ様が呼んでくださったときに、すぐ気が付かなかった私がいけないんです」
「いえ、お忙しいときもあるでしょうし……」
「いいえ。私の責任です。申し訳ありませんでした。ヤシロ様がご無事だったから良かったものを」
「そんな危険な人じゃなかったですよ。さっきもお伝えしましたが、水車を治してくれたんです」
「そうなんですね。早く見つけて、お礼をしないといけませんね」
シヴィーさんはそう微笑んだが、メイさんが「お礼をしよう」などと思っていないのは明白だった。
逃げれば逃げるだけ後が怖い。そう、シャロさんへ教えてあげたら良かった。
それとも、シャロさんは元々、この日差しを避ける為だけにリェシアに寄り、夜の間に出ていくつもりだったのだろうか。
聞いてみれば良かった。
なんだか僕ばかり、喋っていた気がする。
愛らしい笑顔で「うんうん」「へー」と聞いてくれるから、つい話しすぎてしまった。
シャロ・ノーマンスさん。
良い子だった。不思議なところが沢山あって、僕の知らないことを沢山知っていて、話せば話すほど、素直さが伝わってきて。もっと話したかった。
そう思うと、明日も、何処かで会えるかな、などと期待してしまう。
もし彼がまだリェシアにいるならば、どこか涼しいところを探し回ったら、見つけられるかもしれない。
会えたら「シャロさんって何者?」って、素直に聞いてみよう。
「どうしてリェシアに来たんですか?」
「どこへ向かっているんですか?」
「なんで声だけ男性なんですか?」
「その着物、何製なんですか?」
聞きたいこと、全部聞いてみよう。
「何者ってどういう意味だよ?」「どうしてそんなこと聞くんだよ」って言うかもしれない。眉を寄せて、唇の端をキュッとして、凄く不満そうに。
でも、最後には愛らしく、白い髪を揺らし、桜桃色の瞳を細めて微笑むだろう。
シャロさんの普通に則って、「そんなこと知りたいなんて、君って変わってるなー」と言うかもしれない。
「そうなんです。シャロさんのこと、もっと知りたいんです」
なんて、そんな風に言ったら、最後の最後には「俺は人間じゃないよー」って、サラッと打ち明けるのかもしれない。
なんてね。
おわり
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