移動において
「しばらくこのままでも良いですかね?」
「ダメに決まってんだろ」
そう家主に一蹴されると、僕はほとほと困ってしまった。ここが僕の家だったらいつまで居てくれても良いが、そんな都合の良く移動はしてくれなさそうだ。
肩を落とし、天を仰ぐ。
まぁこの炎天下である。誰だって無意味に動き回りたくはないだろう。
顔に浴びせられる太陽光に、深く息をついた。
「シャロさん、ここより涼しい場所あるんですけど、そっち行きません?」
「ここより涼しい場所はないよ」
「近くに避暑施設があるんです。緊急避難先にもなっている地下壕なので、わかりにくいですけど。夏は避暑施設として開放されています。ここよりずっと涼しいですよ」
「なんで君が俺にそんなことを提案するんだい?」
「地元民なので、ご案内するのが親切かなぁって」
「なんで君が俺に親切にする必要があるの?」
「……友達になりたいので」
「友達にはならないって言っただろー」
「はい」
としか言いようがない。
他人に親切にすることがそんなに変だろうか、と自問し、ふと気がついた。
シャロさんの国では、親切な人はいないのだ。
ファン・ルガーみたいな物騒な国からの、もしかして亡命希望者かもしれない。
そう思えば、彼が行く当てがないことも、すぐに提案に乗ろうとしないのも腑に落ちる。
彼が僕を信用してくれるまで、親切にしなくては!
そう思って顔を上げると、シャロさんと目が合った。どうやって僕は無害だと思ってもらえるだろうかと、次の言葉を探しているうちに、シャロさんの方が先に口を開いた。
「いいよ。行こうー」
微笑んだシャロさんが畳から縁側へ降りてきて、僕の前へ、ぴょんと降り立った。
雪山のうさぎみたいで、可愛いかった。
避暑施設に向かう途中、何故か隣を歩けないことに気づいた。僕の歩くのが早いのかと歩行速度を緩めても、彼は一向に僕の隣を歩こうとしない。
女性は男性の半歩後ろを歩く、まさかシャロさんはそれを模範にしているのでは? やっぱり女性だったのでは? と焦っているうちに、彼が僕の影の中を歩いていることに気がついた。
「暑いですね」
僕の作る日陰で、シャロさんはくりくりとした桜桃色の瞳を瞬かせた。太陽光が当たるとあからさまに嫌な顔をしたし、愛嬌を振り撒く素ぶりが無いにもかかわらず、どこか気を惹く雰囲気があり、可愛らしいなあと思ってチラチラ振り返ってしまった。日焼けのしていない肩が艶々としていて、人の肌じゃないみたいに見える。
「あの、これどうぞ」
上着を脱いで、シャロさんへ差し出した。
異国の子だ。日差しの強さや、肌はあまり出すものではないという文化を知らないとしたら、僕がフォローしてあげなければいけないと気付いた。
シャロさんは首を傾げながら僅かに微笑んだ。
「なんでこれを俺に渡そうとするの?」
「日差しが強いので、肩にかけてください」
「なんで日差しが強いと肩に布をかけるの? 熱が籠るだろ?」
「日焼けは肌に悪いですから。あとで痛くなりますよ」
「ならないよ」
「……ならないんですか?」
「なるの?」
「……なると思いますけど……」
「人間の皮膚は脆弱だね」
「……?」
「……?」
シャロさんは、なんで黙るの?みたいな顔をしている。
人間の皮膚は脆弱だねって言った?
「早く行こうよー」
「あ、はい」
眉を寄せ、僕の作る日陰に身体の大部分を収めながら、シャロさんは僕が立ち止まっていることが如何にも迷惑だといった風に言った。
「まぁ、シャロさんはちゃんと袖の長い着物を着ていらっしゃいますもんね」
胸元も胴衣で隠れているし、肩くらい大丈夫か、と思い再び歩き始めたが、シャロさんは僕の背中に向かって「着物じゃないよ」と言った。
「着物じゃないんですか?」
「違うよ。着物は布製の衣服を指す言葉だろ?」
そうだよ???? と思ったが、確かに、言われてみれば絹や布で仕立てられるにしては、シャロさんの肩と同じように艶々している。揺れる袖もどこか気持ち重く見えてきた。
じゃあ、何でできているのか。
そう尋ねようとしたところで、視線の先に傘屋が見えた。
「シャロさん、少しここで待っててください」
「えー、やだよ」
「日陰! 店先の日陰に入りましょう!」
なんで、どうして、とごねるシャロさんを、提案もお誘いもへったくれも無い押し売りに近い形で説得し、彼が「仕方ないなー」と言うや否や半ば強引に軒下に連れ込んだ。
ムッと眉を寄せたシャロさんを日陰に残して、それで僕はというと、傘屋に駆け込んだ。
姉さんが帰る際、日傘が綺麗だからお土産にしたいと言って、秋臣さんが軒並み買い占めていたのを思い出し、シャロさんに必要なのはこれだと閃いていた。
「あれ、ヤシロさん。贈り物をお探しですか」
「はい」
店主のおじさんが店先から顔を出し、僕がチラチラと(急に走り出したりしないか)心配そうに見ているシャロさんを見て、口を丸く開けた。
「あれ。あんな美人さんどうしたんだ。そういえば奥さんがいると言っていたが、もしかして」
「いやいや違います! あの子は、あの、ただの友達です。多分」
友達にはならないと明言されていたのを思い出し、もう少ししたら、と付け足した。
はーん、と声を上げた店主はうんうんと大きく頷いた。
「奥さんにバレんようにな」
「違いますって」
そう言いながら吟味する間もなく、最初に綺麗だと思った傘をひとつ買って、シャロさんの元へ走って戻った。彼は軒下の陰から爪の先ひとつだってはみ出したくない様子で、日差しに向かってムッとした顔をしていた。そして、そんな状況下にいさせる僕へも、もう微笑んだりしなかった。
「どうぞ」
「なんで俺に傘を押し付けるんだよー?」
あれ、なんか凄く迷惑そう??? と思ったがそんなはずはないので食い下がった。
「傘です」
「雨は降ってないだろー」
「日傘です。ほら」
木製の柄を左手で持ち、右手でぐっと開くとひとつ円の描かれた鮮やかな赤色の傘が開いた。
そしてちょうど向こうから歩いてきた婦人を指差しながら「あの通り日避けになります」と伝えた。
「どうぞ」
実際に差してみるまで、彼はその性能を疑っているようだったが、頭の上に掲げた途端に「お」という目をした。桜桃色の瞳が無邪気にまん丸になると、それはそれは可愛らしい。
「日差しがないだけでも、暑さは随分違いますから」
実際、リェシアは直射日光は痛いほどだが、常に風が吹いている為、日陰は段違いに涼しい。
「そのようだね。ありがとー」
鮮やかな赤を背負い、芯から発光しているのではないかと思うほど美しい白と水色の髪がその中で揺れた。小さく結ばれた唇の両端が頬に寄り、細められた桜桃色の瞳が僕を捉えると、今までの苦労が全部解けるように感じた。
この調子でいけば、もしかしたら彼から手を差し伸べて、「ヤシロ。俺が悪かった。やっぱり友達になろう」と言い出すんじゃないかと思って、いつでも「勿論」と微笑む準備をしていた。
もしかしたら散歩友達ができるかもしれない。そうしたら毎朝楽しいだろう。
日が暮れたらあちらを、明日の朝はこちらを案内して、慣れてきたらまずはシヴィーさんに挨拶をして、メイさんに会ってもらって、無害を証明して、と計画まで立てた。
なのに、涼しいはずの地下施設に着いた途端、それが甘い夢だったと分かった。
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