第5話:危険な小道

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 ルーシーは大慌てでおばあちゃんの家に向かいます。寄り道をしているうちに、すっかり遅くなってしまいました。髪の毛が揺れ、スカートがひらめき、バッグが音を立てます。急ぎに急いでいたルーシーですが、途中で立ち止まりました。


「いけない、卵を運んでるんだったわ」


 そうっとバッグを覗きます。苺の合間から、ちょこんと卵が顔を出していました。


「ふう、よかった。割れてる卵はないみたい」


 触ってみますが、つるつるとした殻に、ヒビはありません。おじさんにもらった卵は、どれもルーシーの手に納まる大きさです。最後にもらったひとつだけは、じんわりと熱を持っていました。


「卵を割ったら大変、全部台無しになちゃっうわ。 でも、急いでるのに走れないなんて、どうしましょう」


 ルーシーは、ひとつだけ方法を思いつきました。

 森の中を通る小道を歩けば、遠回りしないでおばあちゃんの家に辿りつけます。でも、暗くて危ないからと、お母さんには行ってはいけないと言われていました。


「仕方ないわよね。ぐるって回ってたら、遅くなっちゃうんだもの。そしたらおばあちゃんが怒って、来てくれなくなっちゃうかもしれないんだもの」


 木で覆われた小道は、お日様が葉っぱで遮られていて、どんよりとしていました。お昼なのに、まるで夜みたいに暗いのです。風に揺れる木々はどれも不気味で、どうしてそう感じてしまうのか、ルーシーにもわかりません。


「大丈夫、ちょっと近道するだけよ。ママも暗いからダメって言ってただけで、危なくなんてないのは知ってるもの。前にも、ちょっとだけ入ったし」


 前は出口が見えなくなりそうになったところで戻りましたが、今日のルーシーは八歳です。お姉さんです。ちょっと暗くなったから怖いだなんて、思うわけがありません。


「まっすぐ行けば、すぐよ。怖くなったら目をつむればいいんだし。お化けだって夜にならなきゃ出てこないもの」


 ルーシーは、お母さんが入っちゃだめといった理由を知りません。知りませんが、暗くて怖いから入ってはいけないのだと思っていました。暗いのを怖がらなければ、大丈夫だと言い聞かせていました。


 でも、ルーシーは知りませんでした。お母さんがルーシーを行かせたくなかったのは、暗いのが危ないからではないのです。暗くて危ない道だから、入ってはいけなかったのです。ルーシーがそれを知ったのは、引き返せないほど道を進んでしまったあとでした。


 森の中は、たくさんの音がします。ガサガサと揺れる茂みの音も、ギャアギャア鳴く鳥の声も、どれも夜の響きでルーシーを脅かそうとします。


「蜘蛛の糸は明るいところだときれいだけど、暗いところだと、とても嫌なものね。服についちゃうし、どこにあるのかわからないわ」


 道の真ん中に、蜘蛛の巣が掛かっていたりもします。触るのも嫌で、ルーシーは身をかがめて蜘蛛の糸を避けました。


「足元もちょっと濡れているわ」


 ルーシーの靴が、土で汚れていきます。


「……なんだか、変な音もするわ」


 たくさんの音の中に、初めて聞く音が混ざっていました。ズルズルとなにかが這う音で、それはルーシーの横に、ぴったりとくっついています。ルーシーが遅く歩くと、ゆっくりと。早足になると、すばしっこく。


「やっぱり、だれかがいる。人じゃない誰かが、私を見てる!」


 幽霊でないのは確かです。幽霊なら、音を立てたりはしません。動物の足音でもありませんでした。引きずったような音は、じわじわとルーシーを不安にさせます。

 耐え切れなくなって、ルーシーは立ち止まりました。


「ついてきてるのは、だれ?」


 音の聞こえていた方に目を凝らしますが、だれもいません。でも、なにかの息遣いが、ルーシーを品定めするように、シューシューと聞こえます。この声は、だれの声でしょう。


「私に用があるんでしょう? 急いでるから、早く答えて」

「ならば、答えよう」


 低い声がルーシーに答えました。下のほうから聞こえますが、草がたくさん生えていて、姿は見えません。


「私は、この森に棲むヘビである。いったい、だれの許しを得てこの道を通るのか」

「まあ、ヘビ!?」


 森にヘビがいたなんて、知りませんでした。ルーシーはお話でしか、ヘビを知りません。

 読んでもらった本のなかで、ヘビはとっても危険な生き物でした。身体と舌はニョロニョロと長く、鋭い牙には毒があります。なんでも丸呑みにして、ゆっくりと体のなかで豚やら牛などを溶かしていくのです。勝てるのは、ナイフを持った勇者だけです。


「どうしましょう、私じゃどうにもできないわ!」


 ヘビがいると知っていれば、こんな道を選んだりはしなかったのに。ルーシーが震えていると、ヘビは気を良くしたのか、シューシューと音をたてました。


「子供のようだな。お前なんて、私が口を開けば、一呑みにできるのだぞ」


 ヘビの姿は一向に見えません。長い尻尾も茂みにうまく隠しているのか、ルーシーがどれだけ目を凝らしても、見つけられません。


「私、ヘビがいるなんて知らなかったの。知ってたら、絶対来なかったわ。だから、見逃して」

「私が恐ろしいか。お前の振る舞いによっては、この道を通してやらんこともないぞ」


 もったいぶってヘビはルーシーを品定めします。ルーシーは縋りつくように頷きました。


「ええ、ええ。通してくれるのなら、なんでもするわ」

「そうか。私は腹が減っている。お前の卵をよこせ」

「まあ、なんで卵を持ってるってわかるの!」


 卵はバッグの中にありますし、ルーシーは森の中で一度もバッグを覗いていません。


「苺の匂いもわかるぞ。卵を私にくれるなら、お前を見なかったことにしてやってもいい」

「飴じゃだめ? ちゃんと持って帰らないと、お母さんに怒られちゃうわ」

「いいや、だめだ。私は卵が大好物なのだ。喉をスルンと卵が抜けるのが、とっても気持ちいいんだ」


 ヘビの声がちょっとずつ高くなってきました。卵を前に、興奮しているのかもしれません。


「おじさんはひとつ余計に卵をくれたけれど、どうしよう」


 ひとつ多いのだから、ひとつくらいヘビにあげても、いいかもしれません。ここは蛇の言うことを聞いて、森を抜けるのが一番です。


「わかった。そしたら、私を呑みこまないでくれるのね?」

「いいとも。人間を食べてもおいしくなさそうだからな」


 食べないと言われて、ルーシーはほっとしました。ヘビに呑み込まれてるなんて、夢でもまっぴらです。


「ねえ、どこにいるの?あげるから、顔を出して」


 ヘビは怖いですが、どんな顔なのか気になります。大きなヘビがどうやって体を隠しているのかも、知りたくてたまりません。


「そこに置け」


 ルーシーは木の葉の上に卵を乗せました。ぐらぐらと卵が揺れます。


「よし、お前はさっさと出て行け」

「どうして?」

「私は食事しているところを見られるのは嫌いだ。食べられたくなければ、さっさと出て行け」

「あら、そうなの? でも、だれかには見られると思うわよ。森には虫や鳥がいっぱいいるんだもの」

「人に見られるのが嫌なんだ。あんまりうるさいと、お前も食べてしまうぞ」

「それだと約束が違うわ。私は食べないって言ったじゃない」


 他の動物はよくて、人にだけ見られたくないなんて、変なヘビです。人見知りするヘビなのでしょうか。


「いいわ、こっそり見てればいいんだもの。かくれんぼは得意なんだから」


 ヘビの言う通りにした振りをして、ルーシーは卵から離れます。一歩、二歩、三歩。


「あら?」


 ぐらぐら揺れていた卵に、ピキッとヒビが入りました。だれも触っていないのに、卵が割れていきます。そこから顔を見せたのは、生まれたばかりの小さなヒヨコでした。


「まあ、ヒヨコが生まれたわ!」


 ルーシーが感激していると、ヒヨコがピヨピヨと囀ります。


「なんだ、鳥になっちゃったのか」


 卵がヒヨコになってしまったのが、ヘビは残念なようです。


「僕、鳥はあんまり好きじゃないんだよなあ。食べようとすると、暴れるから」


 ヘビの声が、男の子みたいな声に変わっていました。不思議に思ったルーシーが茂みを覗きこむと、そこには、ルーシーの両手くらいしかないヘビが隠れていました。


「うわあ、見つかっちゃった!」


 ヘビはびっくりした顔で木の葉に隠れます。その声は、さっきまで聞いていた声に、似てなくもありません。


「貴方、そんなに小さかったの?」

「ごめんなさい、踏まないで!」

「そんなことしないわ」


 なるほど、わかりました。このヘビは大きなヘビの振りをして、ルーシーをだましていたのです。小さくてもヘビはヘビですが、この大きさなら、ルーシーに噛みつけたとしても、呑みこむなんて、とてもできないでしょう。正体を見られたヘビは、ぶるぶると丸まって震えています。


「おなかが空いていたから、ちょっと意地悪しただけなんです。人を食べるなんて、できません」

「なら、ここを通ってもいい?」

「もちろんです。もう脅かしたりしないから、許してください」

「いいわよ。私も急いでるから」


 ヘビはニョロニョロと体をくねらせて逃げて行きました。


「ふう、もうちょっとでだまされちゃうところだったわ。貴方もよかったわね。食べられないですんで」


 ヒヨコはピヨと鳴きました。

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