第一章

「痒いところはありませんか?」

 その質問にいつも困る。ここは美容院。被せられた白い布の下でそんなことを考える。『はい』『大丈夫です』『ないです』どう答えるのが正解なのだろう。いつも微妙になってしまう。

 それに、実際に痒いところがあったとしても、きっと、ないと答えるだろう。その位置を正確に説明し掻いてもらい、頃合いを感じて『ありがとうございます』と返す。恥ずかしすぎる。それなら後で自分で掻く。

 おそらく、決まり文句化してしまい、美容師さんも言わずにはいられないのだろう。一日に、いや一年に、何度あのセリフを口に出すのだろうか。

 なんてくだらないことを考えていると、シャンプーは終わり、元々の席に案内された。

 バサバサと床に着地する髪が奏でる音を楽しみながら、スマホの整理をする。もう容量があまりないらしい。何かしらアプリを削除しなくては。スクロールしながら、アプリの一覧を確認する。迷う。どれも、一週間に一度は少なくとも利用しているアプリだ。減らしようがない。写真も最大限に削除した。胸を痛ませながら。

 良いことを思いついた。インスタグラムは、他のアプリからも入ることができる。簡単な話、検索をしてweb上のサイトで開けば良い。早速、削除をし、webからインスタグラムに入り、ログインをした。しかし、表示されたのは、『エラーが発生しました』という文字の羅列だった。もう一度試してみるが、結果は同じ。何度やっても変わらない結果に腹を立てて、検索する段階からもう一度やってみた。すると、次は簡単に入れた。先程のエラーは単純な不具合だったのだろうか。

 そんなことを考えていると、いつのまにか眠りについたようだった。再び瞼を開いたときには、髪が半分くらいの長さにカットされていた。一瞬自分が誰だかわからなくなり混乱した。

「鈴木さん。とてもお似合いですよ。」

 美容師さんの言葉に頭を下げる。これもきっと決まり文句なのだろうけど。

 クレジットカードで決済をし、家に帰る。

 

 それから一週間弱が過ぎ去った頃、初めましての企業からemailが届いた。何だろうという期待と共にメッセージを開く。どうやら、何かの抽選で当選したみたいだった。アンケートに答えるとプレゼントとしてクーポンがもらえる。千人に1人か。当たりそうで当たらない確率。運が良い。しかし、クーポンの内容にはピンと来なかった。フィリピンのヘリタン島というところで使える一万円分のクーポン。よくわからないけど、せっかくなら貰っておこうか。どうやらこの企業は、貧困に苦しむ国に支援をしている企業らしい。それで、聞いたことのない島の名前が出てきたわけか。アンケートは簡単に終わるものだった。自分の許せるくらいの個人情報を入力した後、友人のインスタグラムアカウントを紹介するために入力させられた。アカウントなんて検索すれば出てくるし、問題ないだろうと躊躇なく友人のアカウント名を記入した。何か得をした気分になった。だってこんな簡単なアンケートで抽選に応募できるのだから。

 そろそろ子供が帰ってくる時間だ。洗濯物でも畳むか。そのあとは、夕食も作らないと。今日は何にしようか。久しぶりにカレーライスでもいいかな。定番だけど。


 ソファにゴロンと横になる。一日の疲れが吸収されていくようだった。空気が抜けるように疲れも取れていく。慣れた手つきでスマホを取り出す。

 インスタグラムに広告のようなDMが届いていた。『鈴木さんから紹介されました』そう書かれている。添付されているURLを開いてみる。とある企業のページに繋がった。

「すごい。」

 思わず声を上げる。アンケートに答えるだけで、100人に1人、とあるアイドルのサインが貰えるらしい。そのアイドルというのが、全財産を貢ぎたいくらい愛してやまないグループだった。これは参加するしかない。危険性も何も考えずに、とりあえず、真剣にアンケートに答えた。2、3分で終わるものだった。こんなので本当に貰えるのだろうか。100人に1人なら、倍率があり得ないほどに高まるライブなんかよりもよっぽど可能性がある。これをモチベーションにして、しばらくは仕事を頑張れる。やはり推しの存在以外にモチベーションを保つのに最適なものはない。

 そういえば鈴木さん元気かな。中学の同級生で、同窓会で再開してから何度か食事に誘ってもらった。その流れでインスタグラムも交換したのだ。SNSのポストでしか彼女の最近の様子を探れないのがなんだか寂しい。

 私があのアイドルを推していることを知って、紹介してくれたのだろうか。それだったら嬉しいな。


 それから、何週間か経った。しかし、一向にあの企業から連絡が来ない。きっと落選したのだろう。100人に1人なんて1学年に1人いるかいないかくらいの確率だ。そう簡単に当たることもないか。どうやら甘くみていたらしい。

 期待していた自分が馬鹿馬鹿しいとスマホをソファに投げ捨てる。その次の瞬間、スマホがうずうずと震えた。今までの思考回路的に、当選のメールが来たのだととんでもない勘違いをし、過去最高の速さでロックを解除する。しかし、そんな勘違いは一瞬で幕を閉じた。微かな期待は、ヘリウムガスを含んだ風船のように遠い遠い空へと消えていった。

 結局、届いたのは、鈴木さんからのメールだった。インスタグラムのDMによくわからないURLが送信されてきた。人間は好奇心には勝てないらしい。鈴木さんのことだし、きっと危ないサイトではないはずだ。怪しげなサイトだったら、即座に閉じればいい。

 URLをタップし、サイトを閲覧してみる。どうやら、鈴木さんからのプレゼントが届いたみたいだ。そんな仲だったっけと疑問に思ったが、有難く受け取ろう。表示されたのは、スマホのホーム画面やロック画面に使える壁紙だった。青空をバックにしたチューリップの画像は、おしゃれなフレームで飾られ、隣にクールな英文が並んでいる。

 確かに、欲しくなるようなそんな壁紙だった。しかし、その壁紙をクリックすると同時に表示されたのは、[¥150]という記号だった。プレゼントではなく商売だったのか。一気に気分が消沈した。魅力的な壁紙であることには変わりない。でも、購入という形になると、突然に手を引っ込めたくなる。

 わざわざ私だけのために手作りをしてくれたらしい。自分のために時間を割かれると弱い。だって、自分がそれを受け取らなかったら彼女の貴重な時間を無駄にしてしまったことになるのだから。仕方ない。買うしかないのか。『しょうがなく』と渋々プレゼントを購入する自分も憎かった。

 結局、『プレゼントありがとう』と構文を送信し、しっかり購入した。早速使用してみたのだが、可もなく不可もなくという感じだった。鈴木さんとは、冗談で『お金取るんですね。』なんて言えるほどの仲ではない。軽々しくそのようなことを口にしたら関係が崩壊するに決まっている。

 そしてそれっきり、食事に行きたいとは思わなくなった。きっと彼女の顔を見るとあの壁紙が脳内にちらつくのだろう。それが嫌だった。


『プレゼントありがとう』そんなメールが届いた。どうやら喜んでくれたみたいだ。絵柄を選択するだけだったから、大したものじゃないんだけどね。

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