2000年 内なる宇宙の旅

 空調が音がさっきよりも大きくなる。外からトランペットの音が微かに聞こえた。


「そろそろ過去へ行く方法を教えてくないか?」


 俺が質問をすると、スグルが床に落ちていたグラビア誌を手に取る。


「それじゃあ、お前にも分かるように、アニメで例えてやろう。このグラビア誌を原画の束だと思ってくれ。原画には、ある学園アニメの主人公が高校に入学してから卒業するまでが描かれている」

「はあ……」


 いまいちよく分からないが、一応、相槌は打っておいた。


「それでだ。高校の卒業式の日から入学式の日まで、タイムワープをしようと思ったらどうすれば良いと思う?」

「どうするんだ?」

「それはな……こうするんだよ!」


 スグルが、原画の束(という事になっているグラビア誌)の裏表紙に、ボールペンを思い切り突き刺した。


「要するにだ。この空いた穴を通っていけば最後の原画から最初の原画まで、一気に行けるって事だな! まあ、わざわざ穴を開ける必要はないんだけど」

「申し訳ないが、さっぱり分からん……」


 腕を腰に当て得意満面のスグルに、再度、説明を求める。


「……つまりだな。積み重なった時間の層を通過する事が出来れば、時間移動が可能って事だよ。だから量子は時間移動が……」


 スグルが、頭を掻き毟りながら言った。


「そんな事が可能なのか?」

「まあ本当は、一発レッドみたいな裏ワザなんだが、理論上は可能だ。そして、今、この宇宙でそれが出来るのは、お前だけだ!」

「俺だけ……?」


 目を見開いて、噛みしめるように呟く。

 俺だけが、この宇宙を……マホ子を救えるのか?


「そうだよ。さっきも言ったろ? お前が今みたいな状態になってるのは、ちゃんと意味があっての事だって……今のお前は、この宇宙で、かなり特殊な状態にある。形としては確かに存在してるんだが、同時に存在していないとも言える。流動的な状態なんだよ。だから、時間はかかるが、重なり合った時間の内側へ浸透していく事が可能なはずだ。雑誌の表紙にジュースをこぼしたら、後ろの方のページまでジュースが染みてベシャベシャになるだろ?」

「いや、それだと俺の体……いや意識が、拡散するか霧散するかしちゃわないか?」

「それなら大丈夫だ。宇宙の中心にはブラックホールがあるんだが、仮に意識が飛散したり分散したりしても、最終的には、そこに収束するんだよ。そんでブラックホール内部の情報が事象の地平面にエンコード……って、それを説明すると長くなるな。まあ、とにかくだ。内側に入れさえすれば、後はビッグブラザーでお前を特異点まで導けると思う」

「そう……なのか? それなら良いんだけど……」

「イドの怪物のコアに浸透するのと、似たようなもんだと思ってくれ!」


 マホ子を助けられる可能性が少しでもあるのなら……


(原理はどうであれ、やるしかない!)


「それで、俺はこれからどうすれば良い? 俺に出来る事なら何だってやるぞ!!」


 俺が両肩を力強く掴むと、スグルが何時もの下卑た顔で、寝ているマホ子を指さした。


「マホちゃんに、この祭壇みたいな装置の上で寝てもらってるのは、実在性を低めないようにする為と、あともう1つ、お前に過去へ行ってもらう為でもある」

「じゃあ、宇宙って?」

「そうだ。主人公のコアから宇宙が投影されている。だからお前には、マホちゃんの記憶……コアの内部に行ってきてもらう。まあ、細かい設定は、俺がビックブラザーでやっておくから、お前はマホちゃんを助ける事だけ考えてくれれば良い」


 スグルが、ビッグブラザーのスイッチを入れる。

 部屋中のコンソールが一斉に輝きだす様は、まるで夢のように幻想的だった。

 初等部の頃、この場所で見た星の海を思い出して……少し泣いてしまった。


 (間奏)


 「それはそうと、康太……お前、自分が願いの力で創られた存在だと知って、その、ショックじゃなかったか?」


 瞳を潤ませる俺を見て、何か思うところがあったのか、スグルが問う。

 もちろん、『ショックでない』と言えば嘘になる。だけど……


「誰かが俺を必要としてくれている。信じてくれている。生まれてきた理由なんて、それで十分だよ」


 俺は、笑顔でそう答えた。

 不思議と、憑き物でも落ちたみたいに清々しい気分だった。


「例え創られた存在だったとしても、今の俺があるのは、過去も含めていろいろな人の助けがあったからだ。その結果、俺はこうしてマホ子を救いに行ける。だったら感謝こそすれ、ショックを受ける筋合いなんてないだろ?」


 スグルがゆっくりと頷いた。

 空調の音が静かに響いていた。


「まあ実際、生まれてきた理由なんてものに、そうたいした意味はないからな。要は、どう生きて、どう死ぬかだ……」


 どうやら、スグルなりに俺の事を心配してくれているらしい。


「例えば、マラドーナかそれ以上のサッカーの才能を持ったやつが生まれたとして、そいつは、ある意味でサッカー選手になる事を宿命づけられていると言える。間違いなく主人公の器だろう。でもまあ、そいつがサッカー選手になるかは分からない。医者になるかもしれないし、作家になってるかもしれない。厳密に言えば、サッカー選手になる宇宙もあれば、医者や作家になってる宇宙もあって……」

「お前、俺を元気付けようとしてくれてるのか……?」


 冗談っぽく言う。


「違うわ! せっかく良い感じに締めてやってんのに……まあ、とにかくだ。結局は、そいつの選択次第って事だよ! そして、医者になって人の命を救うのも、作家になって夢を語るのも、サッカー選手になって大成するのと等しく尊い。だから、お前もこれからは、流されてるばっかりじゃなくて、もっと自分から動いても良いんだぜ。お前だって……そう、素質はあると思うんだよ。女の子を救う為とはいえトラックの前に飛び出したりするのは、正直、どうかと思うけど……」


 スグルが頭をボリボリと掻きながら、照れくさそうな顔で言った。

 まるでテトリスの棒みたいに、スグルの言葉が、ストンッと、心の空洞にハマる。

 

「そっか。例え未来が決まっていたとしても、その未来へ突き進む選択をしているのは、現代(いま)を生きる俺たちなんだよな?」

「その通りだ。だから、悔いのない選択をしろよ……」

 

 2人して見詰め合う。そうこうしている間に準備が完了したみたいだ。


「お前は、マホちゃんの願いによって生まれた。だから願いが消えた場合、その時点で意識が消滅するか、消滅はしないまでも、地縛霊みたいに意識だけが過去に囚われ続ける可能性がある。そうなると意識のサルベージは不可能だ……」


 スグルがビッグブラザーのボタンをポチポチと押しながら言う。

 そういう大事な事は、もっと早く言って欲しい。でもまあ……


「正直、成功する確率は、10〜20%って感じだ。それでもやるか?」

「ああ、もちろんだ! 例え成功率が1%以下でも、お前が止めたとしても……俺はやるぞ!」


 『やらない』という選択肢は、俺の中に存在しなかった。 


「……それで絶対に帰ってくる!」


 またマホ子に『バカ』って言われちゃうかもだけど……


「そうか。それじゃあ肌と肌との接触だと、さすがに時間が掛かり過ぎるから、マホちゃんの粘膜に接触してもらって……」

「ね、粘膜って、そそそ、それはちょっと……!?」


 我ながら情けないが、『粘膜』というワードを聞いて、反射的にたじろいでしまう。


「お前、今、エッチな事考えただろ?」


 スグルが、俺に軽蔑の眼差しを向ける。

 ちなみに図星だった。


「いやだって、粘膜って!?」

「何をそんなに動揺してんだよ? 確か、報告だと、お前は過去に一度、マホちゃんのコアの内部に『行きかけた』事があるって話だったが……」


 言われて、マホ子の服の中に落ち……じゃなくて、マホ子に食われかけた時の事を思い出す。


「まさか、あの話が伏線だったなんて……」


 まあ、今になって思えば、ネー君になっている時の俺は、手乗りサイズとはいえ、一応、饅頭くらいの大きさはある。

 女の子が、一口に頬張れるサイズではないよね。


「それと言い忘れてたけど、デスクの上に食べても安心なローションを置いといたから、全身に塗っといてくれ。浸透がスムーズになるからな。」

「ああ、分かった……」


 食べても安心なローション……については、あまり深く考えない事にする。

 俺はスグルに言われるがまま、全身にローションを塗りたくった。


 (±0)


 ブーッ! ブーッ! ブーッ!


 突然、けたたましくブザーが鳴り響く!

 辺り一面が真っ赤に染まり、緊急事態といった感じだ!


「どうやらイドの怪物が出現したみたいだな……」


 スグルがコンソールを見詰めながら、珍しく焦った様子で言った。


 ブーッ! ブーッ! ブーッ!


「大丈夫なのか!? よりにもよって、こんな時に……」

「ああ、大丈夫だ! 放置しても問題ないと思うが、一応、トラブルの芽は摘んどいた方が良いだろうな……」


 スグルが胸ポケットから携帯のような機械を取り出す。

 サクラちゃんが使っていた音声変換装置によく似ていた。多分、同じ物だろう。


 ブーッ! ブーッ! ブーッ!


「佐久良ちゃん聞こえる? すぐに転移してもらっても大丈夫かな?」


 スグルがマイクに向かって通信を始める。

 装置を通して、スグルの声がちょっとだけ格好良くなっていた。


『分かりましたわ。任せてくださいまし!』

「何時も悪いね……今回は、思い切り巨大化が出来ると思うから、パパッとお願いするよ」

『別にあなたの為ではありませんわ! 未来のお義父さんとお義母さん、それとアイリちゃんの為です!』


 義娘になるって話、まだ生きてたんだ……じゃなくて!!

 俺はスグルの腕に飛び付くと、マイクに向かって叫んだ。


「サクラちゃん、聞こえる!?」

「おい、ローションでベタベタじゃねーか!?」


 スグルがワーワー文句を言っていたが、構わず続ける。


『えっ……お義父さ……じゃなくて、ネコ先輩!?』

「ちょっと理由があって、俺たちは、今回、そっちへ行けない……だから……頼む!」

『分かりました、ネコ先輩。ここは私に任せて……じゃなくてお任せくださいですわ!』


 力強い一言と共に、サクラちゃんからの通信が切れた。


「やっぱりサクラちゃんを魔法少女にしたのは、お前だったのか……?」

「ああ、佐久良ちゃんには適正があったし、一応、顔見知りだったからな」


 そういえば、初等部の頃は、2人とも同じサッカー部だったな。


「それに、お前らだけじゃ心もとなかったというか、実際、佐久良ちゃんがいなかったら、魔女の家もアウスター級もヤバかったんじゃないか?」

「それを言われると弱いなあ……まあ、サクラちゃんが納得してるんなら、それで良いんだけどさ……」


 とりあえず、イドの怪物はサクラちゃんに任せておけば問題ないだろう。


  (+940)


「ありがとな、スグル……」


 旅立ち前に、一応、礼を言っておく。


「別に良いよ。カツカレーパンの礼だ。それに、俺もこの宇宙が消えたら困る」


 『俺もこの宇宙が消えたら困る』……スグルからその一言が聞けたのは、素直に嬉しかった。


(……さて、『消えたら困る』といえば、『消しとかないと困る』ものが、俺にはあったな)


「ところで、今、こんな事を聞くのもどうかとは思うんだけど……マホ子の居場所が分かる能力……で良いのかな? あれって、消す事は出来ないのか?」

「まあ、可能だとは思うけど……」

「じゃあ、消しといてくれないか? マホ子を監視してるみたいで嫌なんだよ……」


 今までは感覚的なものだと思っていたが、能力だとすると? 気持ち悪いよね?


「まあ確かに、トラブルの芽は早めに摘んどいた方が良いな。未来のストーカーを生み出さない為に……」

「だから、お前は俺を何だと思ってるんだ?」


 俺の問いかけに、スグルはコンソールを操作しながら、ゲラゲラと笑っていた。

 そして、祭壇で眠るマホ子の顔を横目で見ながら、冗談っぽくベタな事を言う。


「何時の時代も、眠れるお姫様を起こすのは、王子様のキスってね!」

「キス……じゃないよな?」

「まあ、キスってより、『捕食』……いや、『誤飲』かもな……」


 2人して顔が青くなる。

 一方、マホ子はといえば、「もう食べられないよお……」と、ベタな寝言を言いながら、よだれを垂らしていた。


「まったく、こっちの気も知らないで……」


 こんな時なのに、思わず笑ってしまう。


「しかし、最後に精神世界(?)でヒロインを救うって、ちょっとベタすぎない?」

「バーカ。こういう時は、ベタな方が良いんだよ」

「まあ、友人ポジションの登場人物が、実は黒幕でしたってのも、ベタっちゃベタだしな……」

「いや、誰が黒幕だよ?」

「ハハハ……そんじゃあ、ちょっくら宇宙を救ってくるとするよ」

「おう、頼んだぞ。それと、どうせ後で記憶を消すから言うけど……やっぱり俺は、お前の事が好きみたいだ……だから必ず帰ってこいよ」

「……好きにもいろいろあるんだけど、それって友達として好きって事で良いんだよな?」

「違うわ! 都合の良い召使として好きって事だよ!」


 そう叫んで、スグルがマホ子の口を開ける。


「そんじゃあ、後は任せた。マホちゃんをよろしく頼む」

「ああ、またな……」


 守りたいものがあって、それを守るチャンスは与えられている。


「……だったら、やる事は決まっている!」




 パクッ・・・ゴクッ・・・


closer 完

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