扉の向こう側

 玄関の扉を開けると、湿った暖かい風が家の中に入ってきた。さっきまで降っていた雨は、もう止んだらしい。


 俺は、まだ履きなれないローファーではなく、足に馴染んだスニーカーを履く事にする。

 スニーカーが脱げないよう、しっかりと靴紐を結んでいた俺にアイリが言った。


「お兄様、その、頭を撫でていただけたのは、とても嬉しかったのですが……髪の毛がクシャクシャになってしまいました……」

「あっ、ゴメン……」

「帰って来たら、また櫛でとかしていただけますか?」

「分かった。約束するよ!」


 俺は、アイリと別れると、マホ子がいる場所に向かって、全速力で走り出した。

 閑静な住宅街をひたすらに走る。子供の頃にマホ子と2人でよく遊んだ公園の中を更に走る。昼間も薄暗い交差点を走って左に曲がって、駅前の寂れた商店街の大通りを駆け抜ける……。そして、最後は、学校までの坂道を力の限り走った。

 昼の少し眠い時間帯だとか、人間の形態を維持するのが辛いとか、日頃の運動不足がどうとか……そんな事、考えている暇もなかった。


「ここで良いんだよな……?」


 俺は、学園のプラネタリウムの前にいた。

 今日は休日で、学園には、部活動がある生徒しか来ていない。

 ただ、その事を差し引いても、プラネタリムの周りには、人の気配がまるで感じられなかった。


 何故だろう? プラネタリウムの扉の前に来た途端に、体が動かなくなる……兄貴の部屋の前に立っているのと似た感覚。

 それは全力疾走した疲労から、体が拒んでいるのではなく、心が動くのを拒んでいるように感じられた。


「それじゃあ、まあ、行きますか……」


 そう、自分に言い聞かせてから、俺を意を決してプラネタリウムの扉を開けた。


―――「お兄様、プラネタリムは危険です。あまり近付かない方がよろしいかと……」


 プラネタリウムの中は、明かりがなく薄暗かったが、思っていたよりもキレイだった。

 シルバーの外壁は無機質ではあったが、古びた感じは全くせず、カビ臭くも埃臭くもなかった。買ったばかりの電化製品の箱を開けた時みたいなにおいがする。

 辺りには、空調の音だけが怪しく響いていた。

 数秒後。次第に目が暗闇に慣れてきたようだ。

 辺りを見まわすと、中心部(投影機がある辺り)に薄っすら明かりが灯っている事に気付いた。


 俺は、細心の注意を払いながら、中心部へ向かう。

 そこにいたのは、よく見知った俺の悪友だった。


「よお康太、さすがに早いな!」


 椅子に腰掛けたまま、雑に手を挙げて言う。


「スグル……か?」

「ああ、悪いが、お前の事は、今朝からモニタリングさせてもらってた。まあ、安心しろよ。トイレとか風呂とか、後はキスシーンとか、そういう倫理的に不味そうな部分はモザイクがかかるようになってるから」


 何だ、その焼け石に水な配慮は……?


「本当は準備が終わり次第、こちらから迎えに行こうと思ってたんだがな」

「いや、さっきからモニタリングがどうとか、いろいろと言いたい事はあるけど、何でお前がここにいるんだ?」

「何でって、ここでビックブラザーの運用をしているからだよ。ああ、それとマホちゃんなら、そこで寝てるから安心してくれて良いぞ!」


 そう言ってスグルが指差した方向を見ると、マホ子が祭壇のようなモノの上で寝かされていた。


「おい、これはどういう事だよ!?」


 思わずスグルに詰め寄ってしまう。


「まあ、とりあえず落ち着けよ。これでも、一応、お前らの味方だぜ」

「味方……?」


 スグルが、俺の腕に巻かれたミサンガをチラ見する。


「そう、味方だ。宇佐山にもお前らの事をよろしくって、言われてるしな……」


 スグルが、俺の肩を軽く叩いて、空いているパイプ椅子に座るよう促す。

 何時もと変わらない様子のスグルを見ていたら、不思議と気持ちが落ち着いた。


「悪いが、準備にいろいろと時間が掛かっててな、マホちゃんの事が心配なのは分かるが、暫く俺の話し相手になってくれ」


 そう言って、スグルがビッグブラザーのコンソールを人差し指でトントンと叩く。 

 とりあえずマホ子については、大丈夫なのだろう。危険が迫っているような嫌な感じはしない。


「ちなみにマホちゃんが寝てる、その祭壇みたいな装置は、生命維持装置みたいなもんだと思ってくれ。とりあえずは、そこで寝てれば大丈夫なんだそうだ。風呂やトイレにも行かなくて良いんだってさ。便利だよな」

「はあ……」

「今朝、転送してもらったんだけど……まあ、とにかくラッキーだったよ」


 気持ちが落ち着いたのと同時に、ここまで全力疾走して来た疲れがドッと押し寄せる。俺は、座ってスグルと話をする事にした。


「なあ、やっぱりビックブラザーって?」


 プラネタリウムの投影機を指さす。


「そうだ。偽装するにはちょうど良い大きさだったし、便利に使わせてもらってるよ」

「しかし、いくらなんでも学園の中に設置するって、どうなんだ?」

「佐和山町にビックブラザーを設置するなら、ここより効率が良い場所はないんだよ。ここなら幼稚部や初等部も含めて、学園の敷地内にいる、ほぼ全員の記憶の改変と行動の制御が出来るからな」

「でも、誰かに見つかったらどうするんだ?」

「それは大丈夫だ。プラネタリウムに入らないように、ビックブラザーで暗示をかけてるからな。それと“校則を遵守しましょう”なんて暗示も2重にかけてやれば、余程の事がない限り、普通の生徒は立ち入ろうとは思わない」


―――「閉じた世界の常識なんて、いくらでも変容させられるという事だね」


 部長……何で佐和山学園で携帯が普及しないか、理由が分かりましたよ。


「確認なんだけど、プラネタリウムへの立入りを禁止するのは、まあ良いとして……校則を遵守しましょうってのは、どうなんだ? 特別な理由がなければ、装置の使用は許可されないんじゃないのか?」


 アイリが、以前に言っていた事を思い出す。


「別に職権乱用なんてしてないぞ。なんだかんだ生徒が校則を遵守してくれた方が無用なトラブルも防げるしな。トラブルの芽は早い内に積んどきましょうってやつだ」


 暗示によって、生徒が校則を遵守してトラブルなく学園生活を送る……まるでディストピア小説みたいだ。


「だから、ビックブラザーなのか……」


 俺は、ビッグブラザーを見上げて、大きく溜め息をついた。


 (間奏)


「それでマホ子は……?」


 俺からの問いかけに、スグルが「待ってました!」と言わんばかりの表情をする。


「それじゃあ、マホちゃんが、現在、どういう状況に置かれているか……順を追って説明してやろう!」


 スグルは、軽く伸びをすると、事の成り行きを話し始めた。


「むかしむかし、ある所に1人の女の子がいました。女の子は、春休みのある日、幼稚部の皆と公園でかくれんぼをしていました。女の子は、皆で遊んでいるにも関わらず、少し寂しそうな表情をしています。皆が女の子を気遣って、遠慮をしていたからです。そんな時、誰かが女の子に言いました。『魔女の家の窓が少し開いてるよ』と……」

「それって……」


 マホ子と小谷さんの話だよな?


「まあまあ、一旦、最後まで聞けって……魔女の家というのは公園の隣にあった、ボロ家の事でした。女の子は、さっきの言葉を聞いて、悪いなとは思いつつ、家の中へ入ってしまいました。窓から入った部屋には小さな引き戸があって、女の子は、その中に隠れる事にしました。引き戸の中に隠れた女の子は、そこで1枚の写真を見付けます。写真には微笑む少年が写っていました。女の子は、誰かが自分を見付けに来るまで、暇つぶしをする事にしました。女の子は、鞄からノートを取り出すと、そこに落書きを始めました。そして……」

「なあ、そのノートって?」

「ああ、お察しの通り『願いを叶えるノート』だ! だが残念な事に、この時のノートには、まだ願いを叶える力はなくてな。要は、どこにでも売ってる普通の自由帳だった訳だ」

「なるほど。それで……?」

「女の子は、疲れてしまい、引き戸の中で寝てしまいましたとさ……めでたしめでたし」

「いや、めでたしめでたしって!?」

「そう、めでたしめでたしとはいかなかった。魔女の家が火事になったからだ! 俺も、詳しくは知らないんだが、電気関係のトラブルだったみたいだな。不幸な事故ってやつだ」

「ちょっと待ってくれ! 火事の事は、前に小谷さんから聞いて知ってるけど、それが今のマホ子と何の関係があるんだ!?」

「実を言うとだな、本来であれば、お前の兄貴がマホちゃんを助けるはずだったんだよ。だがノートによって過去が改変された結果、お前の兄貴がマホちゃんを助けられなくなった。逃げ遅れたマホちゃんは……まあ察してくれ」

「えっ……だって、マホ子は……昨日まで元気に……?」

「聞いてないか? タイムラグがあるんだよ。だから今のマホちゃんは、極めて実在性の低い状態にある。ロスタイムみたいなもんだな」

「その話、本当なのか?」

「ああ、本当だ。正直、俺としても想定外の事態で、朝からてんやわんやだよ……」


 スグルが、やれやれみたいなジェスチャーをした。


「それで、どうして兄貴はマホ子を助けられなくなったんだ?」


 俺の質問に、スグルの表情が少し強張る。

 言い辛そうに口をモゴモゴとさせていた。


「それはだな……一応、先に言っておくけど、別にお前を攻めてる訳じゃないぞ。『女の子は、鞄からノートを取り出すと、そこに落書きを始めました』って、さっき言ったよな? その落書きってのが、『お前』だったんだよ。お前は何か勘違いしてたみたいだが、この宇宙の主人公は紛れもなくマホちゃんだ! そして、お前がマホちゃんを創ったんじゃない。逆だ逆! マホちゃんがお前を創ったんだよ! 何時でも自分を見つけくれて、どんな時でも自分を見てくれて……マホちゃんは、あの時、落ちていた写真を見ながら、そんな理想の友達をノートに描いた。その願いが、ずっとノートに残ってた訳だ。そしてノートの発動と同時にその願いも叶えられた!」

「マホ子が俺を……?」

「ああ、それでだ。お前は覚えてないだろうが、魔女の家ってのは、当時、お前の家族が住んでた家だったんだよ」

「いや、ちょっと待ってくれ……理解が追い付かない……」


 頭を抱えて蹲る俺の背中を、スグルが優しくさする。


「まあ、落ち着けって……ところで、お前の家族が今の家に引っ越した理由って何だ?」

「それは……俺が小学部に進学する事を機に……って、まさか?」

「そう、本来であれば、お前の家族は、火事で家が全焼した事を機に引っ越しをするはずだった。だが、お前が生まれた事で、引っ越しの時期が少し早まった訳だ」

「そうか……だから兄貴は……」

「ああ、火事が起きた日。魔女の家にいるはずだったお前の兄貴は、別の場所にいた。だからマホちゃんを助けられなかった」

「じゃあ、俺のせいでマホ子が……?」

「バーカ、さっきも言っただろ? お前のせいじゃねえよ! それに、そうならない為に俺がいるんだぜ!!」


 スグルが親指で自分の顔を指差しながら、ニヤリと微笑む。

 

「マホ子を救う方法があるのか!?」


 すぐさま立ち上がると、スグルの両肩を掴む。

 そう、今は俺の事なんてどうでも良い! 是が非でもマホ子を助けるんだ!!


「自分の事よりマホちゃんかよ? まあいいや、今からそれを説明してやるよ!」


 スグルがパイプ椅子を指差し、俺に再び座るよう促した。


「お前が生まれた事で、過去が改変された。それと同時に未来も改変された。マホちゃんが助かるようにな」

「そうなのか?」

「ああ、どうも主人公ってのは、役割を終えるか、打ち切られるかでもしないと、余程の事が起きない限りは、死なないようになってるらしい」


 確かに、主人公というのは、基本、どいつもこいつも異◯生存体だ。

 どんなに命が軽い物語でも、話の途中で死ぬ事は滅多にない。


「……では以上を踏まえて、ピンチのマホちゃんを救うにはどうしたら良いか? 答えは簡単。お前が過去に行ってマホちゃんを助けてくれば良い!」

「いや、ちょっと意味が分からないんだけど……」


 いくらなんでも、『タイムワープ』は、話が飛躍しすぎだろ!?


「アウスター級を倒した事で、今のお前は、この宇宙に存在しない……要は、死んだ事になってる訳だ。その結果、マホちゃんを助ける人がいなくなった。だから今のマホちゃんは『誰も助けが来なかった状態』になってるんだと思う」

「俺みたいに別の宇宙で肉体を修復したり、精神をサルベージしたりって事は出来ないのか?」

「お前と違って、マホちゃんは、この宇宙の主人公だからな……長時間、別の宇宙に置いとくって事が出来ないんだよ。まあ、一両日くらいなら大丈夫だから、別の宇宙でイドの怪物と戦ったりする分には、問題ないんだけどな」

「そうなの……?」

「ああ、実を言うと、俺もマホちゃんを別の宇宙に転送させられないか、今朝から試行錯誤してたんだが、やっぱ無理みたいだわ……」


 なるほど。今朝、マホ子の存在を一時的に感じられなかったのは、それが理由だったのか……


「なあ康太。お前、小さい頃にマホちゃんを助けた“今のお前”と会ってたりしてないか? 俺は、お前が今みたいな状態になってるのは、ちゃんと意味があっての事だと思ってるんだよ……もし、あるんだったら、もう筋書きは出来上がってる! お前が過去へ行って、マホちゃんを救うまでがノートの改変なんだよ!」


 俺は、マホ子と初めて出会った、あの日の事を思い出していた。


「そっか……マホ子と初めて出会った日。公園にマホ子を連れてきたのは、兄貴じゃなくて、俺だったんだ……」


 その言葉を聞いたスグルは、俺に背を向けると、小さくガッツポーズをしているように見えた。


riot riot riot 完

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