無慈悲な空

 気が付くと、近所の公園で倒れていた。まだ頭が混乱している。

 目の奥がズキズキと痛んで、涙が止まらなかった。 


「何がどうなってるんだ……?」


 公園の蛇口で顔を洗い、頭の中身を整理する。

 ずっと違和感があった。何かが足りない。


「マホ子がいないんだ……」


 焦りと不安。心臓が縮こまる感覚。

 電車の窓から見える看板の文字を、読みそこねた時みたいな……


「ああもう、チクショー!」


 それから俺は、マホ子がいそうな場所を一通り探した。

 マホ子の家……駅前の商店街……部室……

 どこを探してもマホ子はいなかった。何時もなら、すぐに見付けられるのに……


「チクショー! チクショー! チクショー!!」


 急に雨が降り出した為、一旦、自室に退避する。

 昼だというのに部屋は薄暗い。窓に、強い雨と風が打ち付けていた。

 通り雨だとは思うのだが……


「本当に何がどうなってるんだ……?」


 まず考えられるのは、サワッシー(アウスター級)が消滅した事で不測の事態が発生した可能性だ。しかし……


「俺が消えるならともかく、何でマホ子が?」


 とりあえず最初から順を追って考えよう。

 今回の件、ノートが関わっている可能性が極めて高い。

 思い出せ。部室でサクラちゃんからノートを受け取って……


「それで……」


 その時……ふと、嫌な考えが脳裏に浮かぶ。

 その場で考える事を止めたくなるような、とても嫌な考え。


 最初は、自分でも半信半疑だった。しかし考えれば考える程、さっき浮かんだ考えを否定できなくなっていく。

 見開いた瞳がまばたくをする事を忘れる。でも一度、脳裏に焼き付いた考えは忘れようがなかった。

 全身の震えが、冷や汗が止まらない。それでも考える事を止める事は出来なかった。


「あの日、サクラちゃんからノートを受け取った俺は……」


―――もしここで俺が『可愛い彼女が欲しい』なんて願いを口にしたら……


「あれは、ただの冗談だっただろ?」


 冗談でも、願いは願いだ。

 ノートを手に、俺は願ってしまっていた。


「生物を新たに創造する……」


 アイリは昨晩、叶わない願いの例として『生物を生き返らせる』そして『生物を新たに創造する』この2つを挙げていた。

 本来叶わないはずのその願いが、アウスター級の影響で叶えられていたのだとしたら……


『ヒトヲヒトリツクリダスクライデキルンジャナイノカ?』


 誰かの声がする……あの時と同じ、また自分の声だった。

 耳を塞ぐ俺を無視して、その声は止む事がなかった。


『そしてアウスター級が倒された、今、その願いが消滅したんじゃないのか?』


 ……だとしたら、色々おかしいだろ? 辻褄が合わない事が多すぎる。


『願いの影響は、現在、過去、未来……全てに及ぶって、アイリが言ってただろ? 過去も現在も未来も同時に存在していて、それぞれが影響し合ってるんだからな。辻褄なんていくらでも合わせられるさ……それに、おかしいって言うんなら最初からおかしかったんだよ。お前とマホ子が恋人同士なんてさ……だって全然、釣り合ってないじゃないか? それにお前だって気付いてたんだろ、同じ学校の同じ学年で、家が隣同士でもなかったら、自分とマホ子は、無関係な世界の住人だったに違いないって……』


 そんな事は分かっている……でも……でも……


『だいたい、同じ学校で同じ学年で、それに加えて家が隣同士って……あり得ないだろ。お前は、アニメの主人公かよ? それで、お前と趣味が合って、何時も一緒にいてくれて、お前の事が大好きって、いくらなんでも都合が良すぎると思わないか?』


 だから、ちょっと待て! マホ子はこの宇宙の主人公じゃないか!?

 マホ子を中心にこの宇宙は投影されていて……マホ子がいなかったら、この宇宙は存在してなくて……


『マホ子がこの宇宙の主人公だなんて、誰が言ったんだ? 少なくともアイリは一言だって、そんな事は言っていないぞ!』


 そうだ。『マホ子が主役だ』なんて、アイリは一度も言っていない。

 俺が勝手にそう思っていただけだ。


『主人公の可能性がある人物なら、マホ子の他にも、お前はもう1人知っているはずだぞ。願いが、イドの怪物化しなかったのは誰だ? サクラちゃんは例外として、お前とマホ子の2人だよな。その2人に近しい人物だ。思い当たる人物がいるだろ?』


 そう、俺はこの宇宙の主人公かもしれない人物を、マホ子の他にもう1人知っている。


「兄貴……」


 もし兄貴が主人公なら、実の弟である俺は、間違いなく近しい人物だろう。

 そして、家族ぐるみで付き合いがあったマホ子も、十分に近しい人物と言える。


『お前がマホ子を生み出したんじゃないのか?』


 気付けば俺は、考える事を放棄していた。


「そう……なのか……?」


 頭を抱え、耳を塞ぐ。目をギュッと瞑って、ただその場に蹲る。

 部屋の扉をノックする音。近づく足音。そのどちらにも、俺は気が付かなかった。


「お兄様……」


 アイリが、蹲る俺の背中を優しく抱きしめた。

 背中越しに、アイリの鼓動が伝わる。

 その鼓動で、俺はどうにか我に返った。


「先程までの宇宙は、お気に召しませんでしたか? でしたら、お兄様の好きなロボットが合体してドリルで戦う……そんな宇宙もご用意できますよ」


 ……その瞬間、ふと気付く。


「マホ子がこの町にいる!」


 何故かは分からない。俺は小さい頃から、マホ子が今どこにいるのか? 危険な目に遭っていないか? なんとなく感じる事が出来た。ただ、あくまで『なんとなく』だ。他の事に集中していて、気付かなかった時だってある。

 だから今まで、その理由について、あまり深く考えた事はなかった。

 長い付き合いだし、マホ子の行きそうな場所や、考えそうな事はだいたい想像が付く……そんな理由だと思っていた。でも、今ならその理由がなんとなく分かる。


 俺がマホ子を生み出したのなら、それくらいの事は直観的に分かっても不思議ではない。

 そう、俺はマホ子が今どこにいるのか、危険な目に遭っていないか、それが分かる。何時も、何処に居ても……


「ゴメン。ちょっと出掛けてくるよ!」


 俺はすぐさま立ち上がると、アイリに言った。

 慌てて部屋から立ち去ろうとする俺を、アイリが呼び止める。 


「お兄様、ゴメンなさい! 私、知ってました……こうなる事、分かってました! 軽蔑しますよね……ですが、こうするしかなかったんです。『ここまで』は分かっていました。でも『ここから』はどうなるか、私にも分かりません! お願いです、お兄様。行かないでください! ずっと、私の隣にいてください……」


 アイリが泣きながら、俺の胸に顔を埋める。

 その時、俺の目の前にいたのは、まだ年端も行かない、1人の少女だった。


「まったく、仕方のない妹だな……」


 俺は、そんなアイリの頭をワシャワシャと撫でた。

 

「お兄様がいなくなったら、私は……」

「心配するなって、すぐに戻ってくるよ!」

「絶対……ですよ?」

「ああ、俺だって、まだアイリとお別れしたくはないしな……」


 俺は、もう一度、アイリの頭をワシャワシャと撫でた。

 そして、御守り代わりに、ある物を机の引き出しから取り出すと、上着の内ポケットに入れる。


『俺は行かなきゃいけない……あの日、出会ったあなたの為に……』


「お兄様……マホ姉様をよろしくお願いします……」


 アイリが小さく呟いた。


angel pinky promise 完

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