何もない博物館
神奈川県立佐和山郷土博物館……
かつて海水浴場の近くにあった、小さな博物館である。
佐和山町の文化財を中心に、民俗学的に貴重な資料から、海外のUFOグッズに、人魚や河童のミイラまで……天上天下、森羅万象のよく分からない品々が、所狭しと展示してされていたのを覚えている。
思い返してみると、オカ研の部室と雰囲気がよく似ていた。
ちなみに、中学生以下は入場無料だった為。初等部の頃、マホ子とよく遊びに行っていた場所でもある。
「やっぱり、ここだよな?」
「うん。ここで間違いないよ!」
目の前に、取り壊されて影も形もないはずの博物館が聳え立っていた。
俺たちは、正門の前で、一度、深呼吸をすると、アイリから転送してもらった鍵で博物館の扉を開ける。
ギギギッ……と、錆びた金属の軋む音が辺りに響いた。
(間奏)
館内は、すっかりもぬけの殻になっていた。あれだけ所狭しと並べられていた展示品は何1つ残っておらず、割れた窓ガラスの隙間から海風が吹いている。
ところどころウミドリが宿を借りていた痕跡が見て取れた。割れた床の隙間から、小さな白い花が咲いていた。
「すっかり廃墟って感じだね……」
マホ子が辺りを見回しながら、肩を落として呟く。
俺は、アイリと一緒に、兄貴の部屋を整理した日の事を思い出していた。
伽藍堂。そんな、空虚な入れ物になってしまった博物館の中で、唯一、『それ』だけが、圧倒的な雰囲気を纏いその場に鎮座していた。
ギャオオオオオオオオン!!
ふと耳を澄ますと波の音に混じって、激しい衝撃音が聞こえてくる。
おそらくロドリーが奮闘してくれているのだろう。
ロドリーファイトが見られないのは少し残念だったが、仕方ない。
俺は、意を決するとコアに飛び込んでいった……
「やあ、出来ればサクラ君とも話がしたかったのだけれどね……」
コアの中に入ると、そこは博物館の屋上だった。
「小さい頃。マホ子と一緒に、この場所でよく海を眺めてたっけ……」
ふと懐かしくなって海の方向を見ると、かつての俺たちと同じように、海を見詰める、1人の“男性”の姿があった。
「お久しぶりです、部長」
「こんにちは、部長さん」
俺とマホ子が“男性”に声を掛ける。
やっぱり“部長”の願いだったのか……
「やあ、2人とも、息災だったかな?」
部長が口元を緩ませて振り向いた。そして、そのまま屋上の手すりに凭れ掛かる。
「すみません。積もる話もあるんですが、単刀直入に聞きます。サワッシーが本当にいたら良いのに……それが部長の願いだったんですか?」
まあ、積もる話は、いずれ本物の部長とすれば良い。
「うーん、少し違うかな……実はね、この博物館は、私の父が館長をしていたんだよ。まあ、館長と言っても雇われ館長だけどね」
「そうだったんですか……」
部長の一言に、マホ子が口をあんぐりと開けながら、驚いた様子で言う。俺もまったく知らなかった。
「私が中等部の頃だったかな? 博物館の入場者数が減っていると父が悩んでいてね。私もこの博物館が大好きだったから、子供心にどうにか集客を増やせないものかと考えていたんだよ……」
部長は、一歩、前に踏み出すと、海を背に両手を広げた。
「そんな時だった! 何時ものようにこの場所で海を眺めていたらね、いたんだよ……真っ黒な首長竜が!!」
部長が熱く語る。握られた両手に力がこもっているのが分かる。
俺は、オカ研に入部したばかりの頃を思い出した。
あの時も、部長がサワッシーの事を熱く語ってくれたっけ……
「ひょっとして、それが……?」
海から強い風が吹いた。波しぶきが少しだけ頬に当たる。
「ああ、サワッシーの第一発見者というのは、私なんだ。雑誌やテレビのインタビューにも、何度か答えた事があるんだよ」
そうか。あの『第一発見者の少年が熱く語る!』という記事に載っていた少年は、部長だったのか……
「サワッシーが話題になって、海水浴場に人が来るようになった。そして博物館の入場者数も増えた。まあ、一時的だったがね。今でも思い出すよ。毎日がお祭りのようだった」
「そうだったんですね」
「ああ、でも時々思うんだ。私が見たアレは、本当にサワッシーだったのかってね。博物館の事を想うあまり、春怒濤の日に見た白昼夢ではなかったのか、とね……」
「まさか、そんな……」
「いや、事実、私がサワッシーを目撃したのは、あの日が最初で最後だった……あれから毎日のように、この場所で海を眺めていたのだけれどね……」
部長が、再び、力なく手すりにもたれかかり、空を見上げた。
サングラスのせいで、表情をはっきりと読み取る事は出来ないが、俺には、部長がどこか物憂げな……寂しそうな表情を浮かべているように見えた。
(この人に、そんな表情は似合わない!)
「部長、言ってたじゃないですか? 真実というのは、目に見えないどこかに隠されているものなのだって。だから、サワッシーもきっとまだこの広い海のどこかにいるんですよ! 隠されていて、目に見えないだけで……」
俺は、何時でも不敵な笑みを浮かべていて、自分の世界を持っている部長が好きだ。だから……
「私もそう思います。魔法少女だっているんですから、もう何でもアリですよ! あっ、ちょっと見てて下さいね!」
マホ子がそう言って、俺の体を念動力で宙に浮かせる。
おお、この何とも言えない浮遊感……クセになりそう。
「ありがとう彦根君、星ヶ崎君。私の願いはね……皆に『なんだか分からないもの』や『いてもいなくても関係ないもの』にもっと目を向けて欲しいというものだ。その方がきっと世の中は楽しくなる。そうは思わないかい?」
部長が不敵な笑みを浮かべて言う。
サングラス越しであっても、その表情だけはしっかりと分かる。
(やっぱりこの人には、この表情がよく似合う)
「ところで部長、サワッシー饅頭って知ってます? 帰ってきたら、御馳走しますよ」
「知っているが、まだ売っているのかい?」
「ええ、サワッシーは、今でも佐和山町民の心の中で生きてるんですよ……」
「私もそう思います。例え空想の産物であっても、それを信じている人がいれば、それはきっと本物なんです」
―――「私はね、フィクション……作り物であっても、キャラクターは本物だと思ってるの」
俺は、マホ子がロドリーに言っていた事を思い出していた。
「そうだね。町の誰かに必要とされている。サワッシーが“存在”する理由は、それで十分なのかもしれないね」
どこからか海鳥の鳴き声が聞こえる。
とても力強い鳴き声だった。
「さて、あまり時間がないんだったね……」
部長は、手すりから手を離すと、俺たちを博物館の出口まで案内してくれた。
……そして、別れ際での事である。
「ところで、私と君たちは、過去に何度か、この場所で会っていたんだが、気付いていたかな?」
言われてみれば、そんな気もしないではなかったが……
「すみません。まったく気付いてませんでした……」
「私もです。ごめんなさい……」
2人して頭を下げる。
「いやいや、良いんだ。仲の良いカップルがよく来るから気になっていたんだよ」
「そ、そんな、仲の良いカップルだなんて……まあ、そうなんですけど」
マホ子が真っ赤なった顔を、コスプレ衣装の胸部分を持ち上げて隠していた。
「君たちをオカ研に誘ったのも、それが理由でね」
部長が少し悪戯っぽい口調で、笑みを浮かべながら言う。
このまま大団円っぽく終わらせても良かったのだが……
「俺は、部長から誘われてないんですけど!?」
聞かずにはいられなかった。
「ああ、君は星ヶ崎君が入部すれば、一緒に入部してくれると思っていたからね。それに君は、私と同じ側だろ? そう、きっかけさえあれば……ね?」
(後半は、正直、何を言っているかよく分からなかったが)事実だったので、言い返せなかった……やっぱりこの人には逆らえないなと改めて思う。
「ともかく、私には君たちが必要だ。これからも、本物の私を助けてやってほしい」
部長が、俺たちの背中を、軽くトントンと叩いた。
「「はい。また部室で会いましょう!」」
the secret of blue water 完
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