彼女の二つの顔
放課後。俺は一度自宅に戻って荷物を部屋に放り投げると(ちなみに財布は、机の上にありました)待ち合わせ場所のショッピングセンターへ向かう。
一応、某アニメグッズ専門店がテナントで入っているという事もあり、マホ子と一緒に何度か来た事はあったのだが、ナウなヤングにバカウケな雰囲気の店ばかりで、どうにも場違い感が否めない。
「お待たせ、小谷さん。えっと、他の人はまだ来てないの?」
待ち合わせ場所に着くと、制服姿の小谷さんが1人で待っていた。
「他の人は来ないわよ。私と彦根君の2人だけ」
「えっ、皆、急に予定が……って、訳じゃないよね?」
突然の事態に、脳の処理が追い付かない。
これからよく分からないセミナーに参加させられて、絵画を買わされたりするのだろうか?
「騙したのは悪かったわ。ああでも言わないと、彦根君、来てくれなかったでしょ?」
小谷さんが、俺の目を真っ直ぐに見詰めて言った。
小谷さんの潤んだ瞳に、戸惑うような表情をした俺の顔が映っていた。
(放課後。思春期の男女が地元のお洒落スポットで……)
「これは、ひょっとして……ひょっとするのか?」
ダメだ……マホ子を裏切るような事は出来ない!
「ゴメン、小谷さん。俺は、その、もう付き合……」
「ところで、彦根君ってマホと付き合ってるのよね?」
俺の訴えを遮るように、小谷さんが言った。
「そ、そうだけど……」
「まあ、別に取って食ったりはしないから安心しなさいよ。ちょっとマホの事で話をしたかっただけ」
昨晩、(文字通りの意味で)取って食われそうになった身としては、警戒を解くのに十分な一言ではあった。
「それじゃあ、行きましょ。コーヒーくらいなら奢るわよ」
小谷さんはそう言うと、俺が呼び止める間もなく、近くにあった某シアトル系コーヒーショップに入っていった。
(間奏)
洗練された雰囲気の店内。砂糖とミルクの甘い香り。軽快なジャズのナンバー。
オーダーを終えた俺は、辺りをキョロキョロと見渡しながら、小谷さんの向座に腰を下ろす。
無駄な装飾を排したシンプルで趣味の良い椅子。座り心地は悪くなかったが、どうにも居心地は良くない。
近くに座っていたカップルが、肩を寄せ合い、愛の言葉を囁いていた。
「それで……話って?」
意を決して、小谷さんに尋ねる。
余談だが、その時の俺は、注文時に大恥をかいてしまい、穴があったら入りたい気分だった。
ストローでカフェラテをブクブクしたいのを、必死に我慢する。
「実は、これの事なんだけど……」
小谷さんが、ハイブランドのハンドバックに手を入れ、封筒を取り出す。
封筒には、『おだにさんへ』と、子供のような文字で書かれていた。
「これって?」
俺へのラブレター……ではないようだ。
「彦根君は、初等部からの編入組だから知らないわよね。これは幼稚部を卒園する日に、未来の友達に向けて書いた手紙でね。教室の友達、何人かに手紙を書いて、高等部に入学したら開けようって……タイムカプセルみたいなものかしら?」
幼稚部から大学部まで一貫教育をしている、佐和山学園だからこその企画であろう。
「それでね。この手紙の差出人が、マホなのよ……」
小谷さんが、アイスコーヒーが入ったグラスのフチを、指で撫でながら言った。
「そう……なんだ?」
俺が知らないマホ子の話……少しだけ、心がざわつく。
「マホったら凄いのよ。何通も手紙を貰っててね!」
小谷さんが、手に持ったグラスを揺らしながら、嬉しそうに微笑んでいた。
実を言うと、老婆心ながらマホ子と小谷さんの仲を心配していたのだが……どうやら杞憂だったみたいだ。
「マホって、あの頃は、本当に幼稚部のアイドルというか、カリスマって感じだったから……皆の憧れだったのね。アニメの話とかは、皆、ちょっと付いていけないって感じだったけど……」
俺は、マホ子と海水浴場で話した事を思い出していた。
なるほど。マホ子は周りから浮いてたとか、距離があったみたいに感じていたようだが、実際のところは“高嶺の花”みたいな扱いを受けていたらしい。
「それでね。この手紙を彦根君に受け取ってほしいの。私には、この手紙を読む資格がないから……」
小谷さんが、グラスに残った氷をストローでくるくると回しながら言った。
「いや、そんな……」
突然の申し出に、また脳の処理が追い付かない。
「自分でも分かってるのよ。何をそんな大袈裟にって……たかが幼稚部の頃に書いた手紙でね……でも、怖いのよ……何が書いてあるのか……あの時、マホが私の事をどう思っていたのか……」
グラスの氷が、カランッと音を立てた。
「本当は、私からマホに返すつもりだったんだけど、結局、無理だったわ……昨日だって、返すチャンスは何度もあったんだけどね。それに今日だって、彦根君が私の誘いを断ったら、それで諦めるつもりだったのよ……」
「その……理由を聞かせてくれない?」
俺が理由を聞くと、小谷さんは口を噤んでしまった。
「言いたくないなら、無理強いするつもりはないけど……」
「ゴメンなさい……」
空調が効きすぎて、腕に鳥肌が立っていた。
小谷さんも、少し震えているように見えた。
「それにしても、このアイスコーヒー。ほとんど氷じゃない……」
最後に、小谷さんが小さく愚痴た。
(間奏)
店から出ると、うろこ雲が真っ赤に染まっていた。
どこからか沈丁花の甘い香りがする。
俺は、小谷さんから封筒を受け取る事にした。
もちろん中を見る気なんて全くないし、小谷さんが「やっぱり手紙を読みたい」と言ってきたら、すぐにでも返すつもりだ。
正直、自分でもこの判断が正しいかったかどうかは分からない。
ただ、一歩後ろに下がる事で、先に進む道が見つかる事もある。
この手紙が小谷さんにとって、次の一歩を踏み出す障害であるなら……
例えその場しのぎだったとしても、一時的にその障害を取り除けるのなら……
悪くはない選択だと思った。
「……これで良かったんだよな?」
そう呟いて、右手首に結んだミサンガを見詰める。
―――あんなのが何時までも存在してたら、俺は前に進めなくなる!
「宇佐山、お前はやっぱり格好良いよ……」
それから俺たち2人は、特にショッピングモールを散策するでもなく、そのまま懇談会はお開きとなった。
気付いたら辺りが暗くなっていたので、小谷さんを駅まで送る事にする。
「一人で帰れるわよ」
「そう言わずに……」
「まあ、彦根君に送り狼になる度胸があるとも思えないから、別に良いけど……」
「いや、小谷さんは俺を何だと思ってるの……?」
(長い沈黙……)
まあ、よくよく考えてみれば、小谷さんとまともに2人で話をしたのは、今回が初めてな気がする。
クラスの女子の中心人物と、クラスの隅の気持ち悪いオタクである。完全にミネラルウォーターと廃油ってやつだ。
それでも何か(マホ子と天気以外の事で)共通の話題はないかと、脳内の引き出しを手当たりしだいに開けまくっていると……
「さっきの答えだけど……その、気分を悪くしないでね。彦根君って、『普通』じゃない?」
小谷さんが、雲に隠れた月を見上げながら言った。
「まあ、否定はしないよ」
普段から、普通じゃない事ばかりしている少女と一緒にいるからだろう。
自分が、どうしようもなく普通だという事は自覚していた。
アニメの企画会議で『こいつが主人公です』と言ったら、没個性とか紋切り型とか指摘されて、ボツになるタイプだと思う。
(……でもまあ、気持ちの悪いオタクに比べれば、大分マシかな?)
「正直に言うとね。私、マホと彦根君が仲良くしてるのを見て、少し嫉妬してたんだと思う」
「嫉妬……?」
「マホは、私にとって憧れのお姫様だったからね。だから彦根君みたいな普通の子と一緒にいるのが、なんだか許せなくて……」
「そう……だったんだ……」
「でも、今なら分かるわ。マホはきっと、自分を特別扱いして欲しくなかったのよ。普通に……気兼ねなく接して欲しかったんだと思う。ただ隣にいてほしかったんだと思う」
「特別扱いして欲しくないって……その割には、コスプレしてゴミ拾いしたりとか、目立つ……派手な事ばかりしてる気がするけど?」
「それは、自分がどれだけ普通じゃない事をしたとしても、彦根君だけは変わらず隣にいてくれるって、信じてるからよ……だから、安心して羽目を外せるんだと思う。今になって思うとだけど、あの頃のマホって、どことなく窮屈そうにしてたわ」
心做しか、小谷さんの声が、少し震えているように聞こえた。
「それで、羽目を外し過ぎたら、ちゃんと叱ってくれて、後でフォローもしてくれて……」
街灯の明かりで、一瞬、小谷さんの頬に一筋の光が見えた。
「あなたはきっと、マホにとって“運命の人”なんだと思う。だから……」
小谷さんが、何かを言いかけて口籠る。その声は確かに震えていた。
「マホ子はきっと小谷さんの事を……」
切羽詰まった様子の小谷さんを、慌ててフォローする。
『大切に思ってる』……そう言おうとした所を、小谷さんに制止された。
「お願い、それ以上は言わないで……」
電車が駅前の踏切を通過して行った。風で乱れた髪を小谷さんが掻き上げていた。
車窓から漏れる淡い光の明滅に照らされて、亜麻色の髪がキラキラと輝いていた。
「1本、乗り過ごしちゃったわね……」
それから俺は、小谷さんと駅前で別れると、そのまま家路に就いた。
トボトボと歩きながら、ライトで照らされた消費者金融の看板を見上げる。
そして気付く……
「しまった……小谷さんにお金を返すのを忘れてた……」
virginia creeper 完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。