祈りの海
翌日の放課後。俺とマホ子は学校帰りに少し遠出をして、海にいたる道を歩いていた。
佐和山町民にとって、海というのは空気みたいな存在だ。
傍にいすぎて、その存在を忘れてしまう事も多いが、何時でもそこにいて、時に厳しく、そして時に優しく、俺たちを見守っていてくれている。
「昨日は凄かったね! あの光弾をバババって避けるの、サーカスみたいだった!」
マホ子が瞳をキラキラさせながら言う。昨日の夜から興奮冷めやらぬといった感じだ。本音を言えば、俺もそうだったりする。
「ああ、確かに伝説の……って感じだったかも」
「うんうん。あの戦闘シーン、凄かったよね!」
そんな事を話しながら歩いていたら、何時の間にか町の海水浴場まで来ていた。
2人で海水浴場に来るのは、何年振りだろうか?
俺もマホ子も、基本、出不精なので、夏でも泳ぎに来る事はほとんど無かったが、小さい頃は、近くにあった、屋上から海が見渡せる博物館へ、よく遊びに(涼みに)行っていた。
昔を懐かしみながら、手の平で日差しを遮って、周囲を見渡す。
海水浴場には、まだオフシーズンという事もあってか、人はほとんどいない。
ただ波の音だけが静かに響いている。
穏やかな優しい春の波、こういうのを春涛と言うのだろう。
俺は思い切って、昨日からずっと気になっていた、“俺が事故にあった後の事”をマホ子に聞いてみた。
「うん……」
マホ子は、一度、深呼吸をすると、遠く水平線を見詰めながら、あの時の事を語り始めた。
「家に帰った後、やっぱりもう一度、ネー君と、ちゃんと会って話がしたいって思ったんだ……それで、ネー君の家に行ってみたんだけど……」
「まだ、帰って来てなかったと……」
「うん。だから、家の電話からネー君の携帯に連絡をしてみたんだ。でも、何回かけても繋がらなくて……」
改めてマホ子には、悪い事をした思う。
「そうしたらね、近くの交差点で事故があったって、外から声が聞こえてきて……」
「もしかしたら……って思ったんだ?」
「そう。それで、居ても立ってもいられなくなって、大急ぎで交差点まで走っていったんだ。もう警察の人が来てたから、現場の様子はよく分からなかったんだけど……男子高校生が1人、即死だったって……それで周りを見たら、木の枝に……その、ネー君が何時も首に巻いてたマフラーが引っ掛かってて……」
マホ子の表情が少し曇る。
「へへへ……おかしいなあ……思い出したらちょっと……」
わざとらしく笑ってはいたが……
俺は、震えるマホ子の肩をゆっくりと抱き寄せた。
「ありがとう、ネー君……」
マホ子が静かに微笑んで、目を瞑る。
「その時ね、急に『あのノートを使え』って声が、頭の中に響いたんだ……今になって思うと藁にも縋るってやつだったのかな?」
あの時は、本当に頭がどうにかなりそうだった。
何も考えられず、気付いたら走り出していた……そう、後にマホ子は語っている。
「それで、全速力で部室まで走って行って、ノートに『ネー君を生き返らせて』って書いたの。そうしたら、アイリちゃんが空から降りてきて、ネー君が公園で倒れてるから介抱してあげて欲しいって……」
「そうだったんだ……」
「うん。その後、公園でネー君の介抱をしてる時に、アイリちゃんから、いろいろと説明をしてもらったって感じだよ」
「そっか……悪いな、胸糞悪い事を思い出させちゃって……」
「ううん、良いの……今はちゃんと、ネー君が隣にいてくれるから……」
マホ子はそう言うと、俺の肩にそっと寄り掛かった。
「ありがとな……」
日差しは暖かかったが、時折、冷たい潮風が髪を揺らした。まだしばらく夏は来ないらしい。
「ところで、イドの怪物の件だけど、これからどうしようか?」
イドの怪物によって、宇宙が『存在しないのと変わらない状態』になったらどうなってしまうのか?
アイリが言うには、そうなってしまった場合、俺たちの意識は、どこか似た設定の別の宇宙に移行し、その宇宙にいる自分の意識と融合するらしい。
『不特定多数の人が、事実とは異なる情報を共有している事がありますが、それは別の実在性を失った別の宇宙から、この宇宙に集団で意識が移動したからで……ちなみに「足なんて飾りです」「弾幕薄いよ! 何やってんの!?」といったセリフは実際には作中では使われておらず……これは別宇宙の……ネルソン・マンデラ大統領が……』とは、アイリの弁である(各所、うろ覚え)
何が何やら分からないと思うが、俺もよく分からないので、ご勘弁を願いたい。
まあともかくだ。イドの怪物が大暴れして阿鼻叫喚の地獄絵図……という事には、ならないようだ。
もちろん不安がないと言えば嘘になるが、それほど戦々恐々とするような事でもない気が……
「いや、違う……違うな……」
―――同じ学校の同じ学年で、家が隣同士でもなかったら……
俺とマホ子が、紛いなりにも恋人同士になれたのは、いくつもの偶然が重なった結果だ。奇跡と言っても良いかもしれない。
もしあの時、俺やマホ子が違った選択をしていたら、生まれた場所や環境が違っていたら……
(別の宇宙でも、俺とマホ子は恋人同士なのだろうか?)
マホ子だけじゃない。両親に兄貴、サクラちゃんに部長に学園の友人たち、地域の人たち、ついでにスグルも……そう考えると、やはり怖いかもしれない。
(いや、怖い……怖いな……)
ありのままの自分なんて存在しない。
皆、世界との関係性で自己が構成されている。
違う宇宙で、違う生き方をしてきた俺は、きっと俺であって俺ではない。
「それに、俺だけじゃない……」
この宇宙に生きる全ての人々の日常を消し去っていいはずがない。
俺は、決意を新たにマホ子の回答を待った。
(間奏)
気が付くと、マホ子はローファーとソックスを脱いで、波打ち際に立っていた。
「私ね、小さい頃……ああ、ネー君とまだ会う前ね。ちょっと周りから浮いてたっていうか、距離があったというか、同じ幼稚部の子と上手く馴染めなかったの」
そういえば『私、幼稚部の頃、同い年で気兼ねなく遊べるお友達がいなかったから……』なんて、言ってたな。
「いじめられたりとか、無視されたりとか、そういうのは無かったんだけどね。教室の皆で遊ぶ時なんかは、ちゃんと誘ってもらえてたし……」
そう言って、マホ子が素足で波を蹴る。
俺はただ、マホ子の話をずっと頷きながら聞いていた。
「だからかな? 私、よく皆から距離が近いって言われるんだけど、この頃の事が影響してるんだと思う。頑張って友達作らなきゃって……でも、それで男の子を勘違いさせちゃったりもして……悪い女だよね?」
マホ子が、俺の目を真っ直ぐに見据える。まるで陽炎のような、儚げな笑顔……
スカートが波で濡れいていた。足が砂だらけになっていた。
「でもマホ子は、ちゃんと振った男に謝って……それに、ハッキリしなかった俺も悪かったというか……」
「ありがとう、ネー君……私、知ってるよ。ネー君が、男の子たちのフォローをちゃんとしてくれてた事」
どんな言葉を返せばいいのか、分からなかった。
気の利かない彼氏で、本当に申し訳なく思う。
俺の困り顔を見て取ったのか、マホ子が慌てて話を本筋に戻した。
「ゴメン。話が逸れちゃったね……私ね、あの日……あの春の日に、ネー君と出会って、全部が変わったの。ネー君と出会って、私の周りの全部が輝いて見えるようになったんだよ!」
マホ子が海を背に両手を広げて、興奮した様子で続ける。
「私はネー君が好き。だからネー君のお父さんもお母さんも好きだし、ネー君のおじいちゃんもおばあちゃんも好き。ネー君が通ってる学園も好き。オカ研の皆も好きだし、学園の皆も好き。ネー君が住んでるこの街が好き。この宇宙が大好き……だから私は、この宇宙を守りたい……私が好きな人たち、皆の宇宙を守りたい……」
波の音がさっきより少し強くなる。水面がスパンコールのようにキラキラと輝いていた。
「良かった。マホ子が『やりたくない』って言ったら、俺が1人でやらなきゃいけないところだったよ」
冗談っぽく、首筋を掻きながら言う。
「もう、ネー君ってば! 私が何て答えるか、分かってたくせに!!」
また、映画のワンシーンのような光景。マホ子という物語の中にいるような感覚。
多分、その時の俺は、自分が物語の重要人物になったような感覚に、浮かされていたんだと思う。
「俺も、マホ子の事が好きだ! だから、マホ子がいるこの宇宙が好きだ!」
気付いたら、海に向かって大声で叫んでいた。
誰が聞いていようが、知ったことか!
「だから、マホ子と一緒に、この宇宙を守りたい!!」
俺は、鞄の奥から宇佐山に貰ったミサンガを取り出すと、解けないようキツく右手首に結んだ。
切れたら願いが叶うらしい。
「それじゃあ、一緒に頑張ろう、ネー君!」
そう言うとマホ子は、俺の手を取って強く握りしめた。
「アイリちゃんと、お別れするのも嫌だしね」
「それは、俺も絶対に嫌だ。是が非でも阻止してやる!」
守りたいものがあって、それを守るチャンスは与えられている。
「……だったら、やる事は決まっている!」
南から湿った暖かい風が吹き抜ける。
一瞬だったが、夏の日の“あの海”のにおいがした。
renew one's resolve 完
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