猫のパジャマ

「お兄様、少し上を向いて、ゆっくりと目を開けてください」

「う、うん……」


 先程と同様、アイリに言われるがまま、ゆっくりと目を開く。

 ……そこには驚くべき光景が広がっていた。


「あっ……あっ……」


 声が、声が出ない……息が出来ない……

 目の前に20……いや、30メートルはあろうかという巨人が2人、床に座って俺を見下ろしていた。

 圧倒的な存在感と威圧感、そして無力感。これが畏怖という感情なのだろうか?

 今すぐにでも逃げ出したいのに、体が震えて動かない。


「お兄様、落ち着いてください。もう1度、深呼吸をしましょう……ヒーヒーフーです」

「ハーハー……ネー君、可愛いよ。すっごい可愛い」


 巨人の吐く息が全身にあたる。

 リアルすぎる生暖かい風の感触……どうやら夢ではないらしい。


 巨人から敵意は感じられない。

 俺は、徐々にではあったが、平静さを取り戻しつつあった。

 そして、巨人の顔がよく見知った2人である事に気付く。


「2人ともメル◯ランディだったの?」


 とりあえず、冗談を言うくらいの余裕は生まれていた。


「ファイヤーボン……って違うよ! ネー君が、ネー君になっててね……!!」


 なにやら有頂天外といった様子のマホ子の事は一旦スルーして、改めて周囲を見渡す。2人の他にも、椅子や机、ベットなど部屋の全てが巨大化していた。

 どうやら2人が巨大化してるのではなく(どういう理屈かは分からないが)俺が縮んでいるらしい。

 にわかには信じがたい事態だが、事実、こうして手乗りサイズに縮小してしまっている以上、受け入れるより他にあるまい。


 俺は小さい頃に観た、縮みゆく人間という古いSF映画を思い出していた。今なら、あの主人公の気持ちが分かる気がする。


「お兄様、どうぞ」


 そう言って、アイリが巨大な(?)手鏡を俺の前に置く。

 そこに映っていたのは……


「これが、俺?」


 真っ白な毛並みの可愛らしい猫(のような生物)……だが猫にしては随分と小さいように感じる。体長は12、3センチといった所だろうか。


「……って、ネー君じゃねーか!?」


 そう、その姿はどこからどう見てもカレステのネー君だった。


 ふとマホ子の方を見ると、ハーハーと、先程よりも更に息を荒げながら、完全にイッちゃった目で、俺の事を凝視していて……


「ネー君、お願い……モフモフさせて、モフモフモフモフ……」


 両手の指をうにゃうにゃさせながら、にじり寄ってきた。


「ネー君とカレンちゃんはパートナーだもんね。だから良いでしょ、ネー君?」


 ダメだ。瞳にハートマークが見える……というか、よだれを拭け! よだれを!!


 そんなマホ子の様子を見て、さすがにヤバいと思ったのだろう。

 アイリが、文字通り、俺に救いの手を俺に差し伸べた。


「お兄様、乗ってください!」


 俺は、アイリの手の平に、慌てて飛び乗った。

 俺を、庇うように優しく抱き寄せる。


「アイリちゃんばっかりズルいよ……私もネー君を手に乗せたり、肩に乗せたりしたいよお……」


 マホ子がじわじわと距離を詰めてくる。

 ゾンビ映画のワンシーンみたいだな……


「お兄様、今から、説明をしたい事があったのですが、どうしましょう?」

「……分かった、お兄様に任せろ!」


 大丈夫だ。落ち着け……(主に好きなアニメに関係する事案で)マホ子が暴走した事は過去に何度もあっただろ?


「じゃ、じゃあ、肩に乗せてもらおうかな?」


 とりあえず、何かしらの譲歩をしないと、暴走モードのマホ子が通常モードに戻ってくれない事は、過去の経験から分かっている。


(……では、何を譲歩するか?)


 手のひらに乗るのは危険な気がした。そのまま鷲掴みにされて、いいようにされてしまう可能性がある。無論、モフモフも論外だ。

 肩の上なら、鷲掴みにされる心配は少ないし、マホ子が着ているコスプレ衣装はヒラヒラが多く、掴まりやすそうだ。

 いざとなったらヒラヒラをつたって逃げれば良い。


「ありがとうネー君。私、小さいころからずっと夢だったの。ネー君を肩に乗せてね。グヘヘヘ……」

「あの……本当によろしいのですか?」

「ああ、頼む……」


 アイリがマホ子の肩に、俺が乗った右手を近づける。

 俺は意を決し、マホ子の肩に飛び移ろうと、勢い良く飛び立っ……


「あっ……」


 足がスベった……

 結果。俺を肩に乗せる為に、少し前かがみになっていたマホ子の胸元に……俺は吸い込まれていった。


「ふにゃあ!」


 マホ子が可愛らしい悲鳴をあげて、へたり込む!

 その衝撃で俺は、更に深淵へと降下する!!


 こういったサービスシーンが苦手な読者の方にはたいへん申し訳ないが……まあ、お約束という事で勘弁していただきたい。


「ネ、ネー君、そこはダメだよ……」

「いや、ダメって言われてもなあ……というか此処はどこだ? 暗くて何も見えないんだけど!」

「流石はお兄様です! 説明セリフの時はエッチなシーンを流しとけってやつですね!? 分かりました。では早速、説明を始めさせていただきます!」

「いや、違うからね! ワザとじゃないというか、不幸な事故だからね!」

「ま、まあ、確かに物語には、緩急というか、緊張と……うぐっ……緩和が必要だもんね……サービスサービスぅ!……って、ネー君お願いだからじっとしてて……」

「いや、マホ子も何を言ってるんだ!?……というか、じっとしててと言われてもだなあ……」

「ところでお兄様、お体に異常はありませんか?」

「その、今、それどころではないんだけど、とりあえず体が重い感じはなくなったというか、調子は良いよ!」

「ネー君、調子は良いって……ひぐっ……すっごくエッチだよお」

「ちょっと待て! そういう意味じゃ……ああもう、この服どうなってんだ!? 中に何か入ってるのか!?」

「そうですか。体が軽くなったのであれば良かったです!」

「でも何で、体が重い感じが消えたんだろう? それと、マホ子の服は何でこんなに重いんだ!?」

「その事について、今から説明いたします……お兄様は確かに復活されました。しかし1つ問題が生じまして……」

「説明は良いんだけど、先に服の中から出して欲しいというか……それって、今、俺が置かれてる状況よりも問題ある事なの?」

「ひぐっ……問題って、倫理的に?」

「私としても詳しい事は分からないのですが、復活後にバグが発生した為、お兄様の肉体は、現在、別の宇宙で修復作業中との事です」

「修復作業中って……ひぐっ……ネ、ネー君、私の服の中で変な事しないで……」

「いや、変な事って何だ!?……というか、バグってどういう事?」

「理由は、現在調査中なのですが、本来であればノートの力をもってしても『人を生き返らせる』事は、不可能なんです……ですので、願いの力が不完全だったものと推測されます。おそらくですが、こうして肉体の修復が決定されるまでが、ノートによる改変だったのではないかと……」

「えっ、でも俺は、ちょっと前まで普通に?……いや、今の状況は普通じゃないけど……」

「現状、お兄様は精神と残された一部の肉体のみという状態です。その状態で活動をされますと、周囲がパニックになる事が予想されます。ですので、お兄様には、こちらで用意した仮の肉体を利用してもらっています」

「じゃあ、今の俺ってゾンビみたいな状態って事?……でも、さっきから背中越しに柔らかい感触が……」

「やっぱり、ネー君、エッチだよう……」

「そうですね……ゾンビの定義にもよりますが、少なくとも『幽霊』のような状態ではありません。お兄様の肉体は、この宇宙に一部しか存在していませんが、その一部が生命活動を続けているので、しっかりと『生存』はしている状態です」

「そうなの? じゃあ今の俺の体は?……それと、マホ子の体温で逆上せそうなんだけど……」

「現在、お兄様の精神と残された肉体の1つ上の階層に、別の宇宙から投影した肉体の画像を重ねて投影しています。画面の上に更にセル画を1枚、重ねたような状態とお考えください。質量と感覚のあるホログラム。それが今のお兄様なんです。そして、これから申し上げる事は、私からのお願いになのですが、人間のままの状態ですと、映像を投影する面積が大きくなってしまい、かなりのエネルギーが必要になってしまうんです。なので疲労がたまったら、現在の小さな猫のような体になって、休息を取っていただきたく……」

「う、うん。分かった……っていうか、その、ちょっと苦しいんだけど……何か柔らかいものに挟まれて、息が出来ないんですけど……」

「安心して下さい、お兄様。高所からの落下や揺れによるGなど、体が小さくなる事によって想定し獲る数々の負荷に耐えられるよう、その体は設計されています。それと体温調節や体内時計、視覚や聴覚なども通常時と変わらないように……」

「くすぐったいよ、ネー君……って、そこは……ま、まだ……ダメだよ……く、苦しい……」

「ちなみに、見た目が、『ネー君』なのは、マホ姉様のリクエストです」

「いや、他になかったのか?……って……ダメだ……もう酸素が……」

「そこは……ひぐっ……私、もう……」

「それでは以上で説明を終わります。ご清聴ありがとうございました」

「「あ……ありがとうございました……」」


 そうして俺とマホ子は、揃って意識を失った……


 (±0)


「申し訳ありませんでした!」


 あれから数分後……どうにかこうにか服の中から救助(?)された俺は、マホ子に土下座をしていた。

 手乗りサイズの猫が床に額(文字通り、猫の額である)を擦りつけている光景……思うに相当シュールなものであったろう。


「頭を上げてよ、ネー君。私は気にしてないから! それに、その……元を辿れば、私が暴走しちゃったのが悪かったというか……むしろ私が謝らないといけないというか……」


 マホ子が、人差し指で鼻先をポリポリと掻きながら言った。


「いやでも、暗いし狭いし怖いしでパニックになって、結果、いろいろと(ここでは言えないような事も)やらかしてしまったし……」

「大丈夫だよ。その、ネー君なら、私、平気だし……それに、ちょっと気持ちよか……」

「えっ……?」

「えっ……?」


 2人の時間が止まる。


「ち、違うの! 今のなし! 今のなし!!」


 マホ子が顔を真っ赤にして、(俺の)ベットの中で叫んでいた。

 俺は思った……さっきのは、聞かなかった事にしよう、と。


 (+422)


「実は、つい先程。イドの怪物が出現したとの情報が入りました」


 アイリが、落ち着いた様子で言った。


「そんなに落ち着いてて大丈夫なの?」

「問題ありません。既に結界への隔離は完了しています」

「そっか、なら良かった……」


 俺は、安堵の息を……


「ここからは、私とネー君の出番だね!」


 吐き出す前に飲み込んだ。


「いや、ちょっと待って! マホ子の力も必要なの?」

「はい。イドの怪物は、お兄様とマホ姉様の力がなければ倒せません!」

「エヘヘ……一緒に頑張ろうね、ネー君」


 満面の笑みを浮かべるマホ子に、俺は慌てて言った。


「ダメだって! 危ないかもしれないんだぞ!!」


 『イドの怪物と戦う』半ば強引ではあったが、俺はアイリとそう約束した。一度した約束は出来れば守りたい。それに、アイリは、俺に責任はないと言ってくれたが、やはり俺にも責任の一端はあると思う。


(でもマホ子は……)


「もちろん100%安全だと断言は出来ません。ただ結界内では身体能力は強化されますし、受けたダメージも結界を出れば完治します。また私が危険だと判断した時点で可能な限り矢庭に帰還させます」

「しかしなあ……」


 渋る俺に、マホ子は自身の胸をドンッと叩いて言った。


「ありがとう、ネー君。私の事、心配してくれて……でも私は、ネー君が、今、生きているこの宇宙を守りたい。だからお願い……一緒に頑張ろう?」

「マホ子……」

「約束するよ。もう1人で勝手に飛び出し行ったりしないって、それにネー君、言ってくれたでしょ? 『2人いれば、仮に何かトラブルがあっても、色々とやりようがあるから』って!」


 マホ子が何時になく真剣な表情を浮かべていた。

 そんなマホ子を見て俺も思った、マホ子がいる宇宙を守りたいと……

 俺たちの日常を守りたいと!


「正直、俺1人じゃ心細かったんだ。助かるよ」


 ……それと、正直に言ってしまおう。

 俺は、マホ子と2人で、宇宙を守れるなんて、セカイ系のアニメみたいな展開に、無思慮ながら、胸の高鳴りを感じてしまっていた。


「うん。一緒に頑張ろう、ネー君!」

「ああ、一緒に頑張ろう、マホ子!」


 俺は、マホ子と一緒に、この宇宙を守りたいんだ!!


「それでは、まずは習うより慣れろです。お兄様、マホ姉様、少しの間、目を閉じてください」


 またまたアイリに言われるがまま、俺とマホ子は目を瞑った。

 それから数分後。俺とマホ子はまたしても揃って意識を失った。


you'll never walk alone 完

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