すばらしい(?)新学年

 自分は恵まれていると思う。現状を心地よく感じていた。

 ……だからこそ、変化を恐れていた。

 一方で、ぬるま湯のような日常に気怠さも感じている。

 ……思春期の心が、変化を求めていた。


『矛盾した2つの気持ちを抱えている』


 ただ、現状を少しでも前に進めたいとは考えていた。

 何か、きっかけが欲しかった。


 ふと何の気なしに、窓から外を眺める。

 町の風景は日々変化していくが、ビルの隙間からギリギリ見える海だけは、今日も変わらない姿で、その場所にあった。


 (sooner or later everything falls into the sea 完)




 始めて入った高等部の教室は、最初こそ何時もと違う特別感があったが、すぐに慣れてしまった。

 高校からの編入組も、何人かいる事はいるが、クラスメイトは、ほぼ全員顔見知り。教室の構造も中等部の頃と変わらない。

 既に、お互い見知った者同士、皆でワイワイと盛り上がっていた。


(普通の高校だと、まずは同じ中学の者同士が集まって、それから徐々に打ち解けていって……なんて、お約束があるんだろうけれど)


 新しい机の寝心地を確かめつつ、そんな事を考えていた時である。


「康太、どうしたんだよ? さっきから物憂げにしちゃって、まだ5月病には早いぞ?」


 聞き覚えがありすぎて、正直ちょっと聞き飽きた男の声が聞こえる。

 皆が、しっかりと制服を着ている中で、1人だけサッカー部のユニフォームを着た男は、その後もしつこく俺に話しかけてきた。

 聞こえないフリを続けても良かったのだが、さすがに周囲の目もあるし、印象が悪かろう。


「またスグルと同じクラスかと思ってな……」


 男の名前は、中野スグル。

 今の格好で分かると思うが、サッカー部に所属していて、一応、中等部ではエースストライカーだった。

 容量が良く、普段は極力トラブルを避けるような行動をしているのだが、何故か俺に対してだけは、どれだけ迷惑をかけても良いと考えている節がある。


「お前なあ、俺は一応、心配してやってるんだぞ」

「心配ねえ……?」

「まあ、お前とは腐れ縁ってやつだしな。また1年よろしく頼むわ!」


 マホ子ほどではないが、コイツともやたら一緒のクラスになる事が多い。


「それはそうと、サッカー部は今日も練習か? 大変だな」


 スグルのユニフォームを指さして言う。


「おうよ。目指せ全国だ! 康太も応援よろしく頼むぜ!」


 スグルがユニフォームの左胸に付いた校章を、右手でパンパンと叩きながら言った。


「そうだな。全国に行ったら、ちゃんと応援に行くよ」


 全国か……兄貴が抜けた今、果たしてどうなのだろう?

 案じ顔の俺に気付いているのかいないのか、スグルが言う。


「本当は宇佐山がいれば、俺と最強2トップだったんだけどな……」

「そうだな。俺が兄貴と同じくらい上手いと思ったのは、お前と宇佐山くらいだよ」


 中3の夏、急に『俺は、東京へ行くぞ!』と言い出し、猛勉強の末、都内でも指折りの有名私立高校に進学した元クラスメイトの毬栗頭が脳裏に浮かんだ。


「東京の高校って、どんな感じなんだろうな?」

「さあな……」


 宇佐山の事を考えると、胸がザワつく。

 裏切られたれたような……そんな気持ちになる。

 別れた日に貰ったミサンガは、鞄の中に入れっぱなしだ。


「なあ康太、お前、やっぱサッカー部入れよ?」


 我ながら女々しいな……そう心の中で愚痴て、すっかり自己嫌悪モードだった俺に、スグルが思い出したように言った。


「嫌だよ。何で今更?」

「お前の献身的なプレイ。俺は結構、評価してるんだぜ。後輩の面倒見なんかも良いしな」

「そ、そうか……?」


 たまに、マジなトーンでこういう事を言ってくるのが、コイツのズルい所だと思う。


「まあ、欲を言えば、もっと自分から積極的に攻撃参加して欲しかったんだけどな……」


 窓の方を向いて、スグルが呟く。

 俺は口から出掛かった言葉を、ゆっくりと飲み込んだ。


 (間奏)


 それから2人で他愛のないやりとりをしていたら、今度は珍しくクラスの女子から話しかけられた。

 進学して早々、愛の告白かと、一瞬、期待したが、どうやらそうではないらしい。


(……いや、分かってたけどね)


「彦根君、マホを見てない?」

「あっ、小谷さん。また同じクラスになれて嬉しいよ。マホ子だったら服飾部の部室にでもいるんじゃないかな?」

「そう、じゃあ仕方ないわね……」

「マホ子に何か用?」

「せっかくだから、同じクラスの女子で記念撮影でもしようかと思ったんだけど……」

「そっか、そろそろ来ると思うんだけどね」


 小谷裕子さん。

  校則が厳しいウチの学園では珍しく、明るめの髪色に、着崩した制服、それに派手なネイルと、クラスでも一際、目立つ風体の彼女は、初等部の頃から、どの学年でもクラスの女子のリーダー的な存在だった。

 それは高等部に進学した今なお健在のようで、既に彼女の周りには、女子の輪が出来上がっていた。


「それはそうと、小谷さんとは中1以来だよね」

「うん。そうね」

「マホ子も『小谷さんは、リーダーシップがあって凄い』とか、当時、よく言ってたっけ……」

「そ、そう……まあ、いないんじゃ仕方ないわね。その、またマホの事で何かあったらよろしく頼むわ」


 小谷さんはそう言うと、軽く手を振って、女子の輪に戻っていった。


「俺は、マホ子係じゃないんだけどなあ……」


 やれやれみたいなジェスチェーをポーズとして取ってはいたが、正直、まんざらでもなかったりする。

 小谷さんが視界の隅に消えたのを確認し視線を戻すと、スグルが前屈みになって、俺の机で頬杖をついていた。

 ニヤけ顔で、瞳を爛々と輝かせている。

 コイツがこういう表情をしている時は、大概ろくでもない事を考えていると相場が決まっていた。


「ところでお前って、何でマホちゃんが何処にいるか、すぐに分かるの?」

「まあ、長い付き合いだからな」

「長い付き合いったってなあ……」


 スグルが、妙に真剣な声色で続ける。


「お前ってさ、マホちゃんと付き合ってるの?」

「な、何だよ藪から棒に!?」


 椅子から転げ落ちそうになった。


「大講堂で手を振りあってるのを見たし、さっきも廊下でイチャイチャしてたって聞いたぞ」

「いや、イチャイチャはしてないって……」

「それと、たまにサッカー部の後輩から聞かれるんだよ。『星ヶ崎さんと彦根先輩の弟さんって、付き合ってるんですか?』ってさ」


 暫しの沈黙の後。俺は喉の奥からどうにか言葉を絞り出した。


「付き合っては……ないよ」

「そっか。まあ、そうだろうとは思ってたけどな」


 黙りこくる俺を華麗にスルーして、スグルが続ける。


「じゃあお前は、マホちゃんの事どう思ってるの?」

「だから何なんだよ、さっきから!?」

「いや、お互い今日から高校生な訳だろ。中学生じゃないんだし、彼女の1人や2人いないのって、どうなのかなあと思ってさ……」


 これ以上ないくらい、下卑た表情で下卑た事を言う。


 その一言に対し、思わず『お前はどうなんだよ!?』と言い掛けて、口から出るギリギリで言葉を飲み込む。


 中性的な顔立ちに、何時の間にか内懐に飛び込んでくる人懐っこさ。

 そして……兄貴がいない今、新1年生にしてサッカー部のエース様である。

 悔しいが、彼女の1人や2人いてもおかしくはないだろう。


 それに、どう聞いたところで、不得要領に答えて三味線をひくのは目に見えていた。


「まあ、付き合えるんなら付き合いたいとは思ってるよ……」


 先ほどよりも更に喉の奥の方から、どうにか言葉を絞り出す。

 スグルは、目を見開いて、顎を人差し指で擦っていた。


「そこは、素直に認めるんだな」

「『それじゃあ、俺が告白しても良いよな?』なんて、聞かれても困るし……」

「ハハハ……それはないから安心しろって! でも確かに、“アレ”さえなけりゃ完璧美少女だし、玉砕覚悟で告白してみてもいいかもな」


 口調から冗談だという事はすぐに分かったが、正直、気が気ではなかった。

 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、スグルが更に続ける。


「でもさ、誰かに取られるのが嫌なら、それこそ告白しちゃえばいいのに。トラブルの芽は早めに摘み取っておいた方が良いぞ」


 全くもって正論である。

 だが、そんな簡単に告白が出来るのなら、この世の中からラブコメ作品は、ほぼほぼ消滅してしまう事だろう。


「無茶を言うなよ……」


 生徒がみんな顔見知りみたいな学園である。誰が誰に告白したとか、誰と誰が付き合い始めたとか、そういった噂はすぐに学園中に広まる。

 フラれたなんて事になったら、最悪の場合、大学卒業まで引きづりかねない。


(それに……)


「まあ、今の関係が心地よいってのは分かるよ。言っちゃ悪いが、お前ら2人って、家が隣同士でもなきゃ、一緒に登下校なんてするような仲にはなってないだろうしな」


 考えていた事をスグルに代弁されてしまう。

 ……事実であっても、名誉棄損は認められるんだぞ!


「もうちょっと、オブラートに包んでくれない?」

「お互い、遠慮する仲でもないだろ? それに2人の関係を次のステージに進めたいけど、その結果として今の関係が壊れてるてしまうのは怖いって、ラブコメじゃベタだしな」


 今朝。マホ子が言っていた事を思い出す。


「ベタな展開から一転して……」


 伸びをして天井を見上げていた俺に、スグルが焚きつけるように言う。


「まあ、俺は、脈ありだと思ってるけどな」


 少しドキッとした。


「そっ、そう?」

「お前ら2人って、俺には付き合ってるようにしか見えないというか……男女の距離感としては近すぎるんだよ。それにお前だって、内心『コイツ、俺に気があるんじゃ?』って、ちょっとは思った事あるだろ?」


 図星だった。確かにそう思った事は何度かある。でも……

 スグルの言葉に、すっかり顔が上記してしまった俺は、その事を悟られないように、慌てて言葉を捻り出した。


「いやでも、距離感って事で言えば、マホ子って誰に対してもやたら距離が近いっていうか……」


 俺の動揺をよそに、スグルは、ゆっくり立ち上がると、先程とは打って変わって落ち着いた口調で言った。


「まあ確かに、それで勘違いして告白した挙句、玉と砕けた男子生徒の噂は、何度か聞いた事あるけど……」

「そ、そうだよ! 後でトラブルにならないように、俺がフォローした事だってあるんだから!」


 思わず、捲し立てるように言葉を吐き出してしまい、ゼエゼエと肩で息をする。

 スグルは何も言わない。ただ黙って、俺の目を見ていた。

 暫しの沈黙……先に耐えられなくなったのは、俺の方だった。


「そりゃあ、好かれてるか嫌われてるかで言ったら、好かれてはいると思うよ。でもほら『幼馴染として好き』とかだと思うし……」


 咄嗟に出た言葉だったが、咄嗟に出たからこその『俺の本音』でもあった。


「まあ確かに、好きにもいろいろあるわな。友達として好きとか、弟として好きとか、ATMとして好きとか……」


 最後の1つについては、絶対に無いと思うが、残りの2つについては、あながち無いとも言い切れないのが辛い。


「酷いのは、ペットというか……愛玩動物として好きってパターンだな」

「何それ?」

「可愛いペットだと思って接していたら、ある日、急にオスの部分を見せてきて、気持ち悪い……みたいな」


 スグルは、再び俺の机に頬杖をつくと、先ほどよりも更に下卑た表情を浮かべた。


「後は、都合の良い召使として好きとかもあるな、これはマジで最悪だわ……」


 こいつは、過去に何かあったのだろうか?


「お前は、結局、俺の背中を押したいのか、背中を押すフリして崖から突き落としたいのか、どっちなんだ?」

「さあ、どっちだろうな? 俺としては、どっちに転んでも面白そうだから、どっちでもいいんだけど」


 スグルが、俺の顔を覗き込むようにして、ニヤけた顔を向けた。


「まったく……」


 俺はやれやれといったジェスチャーをした。

 今度はポーズではなく、本気のやれやれである。


 (間奏)


 それから数分後……

 マホ子が教室に入って来るのとほぼ時を同じくして、担任の教師が眠そうな顔で教室に入って来た。


「そんじゃあ、ホームルームを始めるぞ!」


「なあ、スグル。彼女を作って色恋にかまけたりしたら、大人の階段を何段くらい上れると思う?」

「何だよ、それ?」

「ただの独り言だよ……」


schoolmate 完

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