ロマンのないニューセメスター

 厳密には、2学期制を取っている場合の新学期をニューセメスターと言い、日本のように3学期制の新学期はニュースクールタームと言うらしい。


(まあ、それはそれとして……)


 以下は、入学式が行われる大講堂へと向かう、その道すがらでの会話である。


「ネー君、携帯の電源切った?」

「ああ、忘れてた。サンキューな」

「携帯って、やっぱりあると便利なの?」

「まあ、そうだな。最新のだと、ちょっとしたネットサーフィンも出来るし……」

「そっか、それは良いかも!」

「マホ子も携帯、買わない? 連絡する時に便利だし。いちいち家の電話に掛けるのも……ね?」

「うーん……でも、いろいろと面倒そうだし、それにネー君とは何時でも会って話せるし、会って話したいし……」


 交友関係の広いマホ子である。これ以上、人付き合いに時間を費やすのは、煩わしいというのは分かる。

 ただ『面倒そう』という言葉が出てきたのは、少し意外ではあった。


「そっか。まあ、マホ子がそれでいいなら別にいいんだけど」


 佐和山学園(大学部を除く)では、『校舎内での携帯電話、PHSの使用は、原則として禁ずる』と校則で定められていた。今日が式典だからという理由ではなく、年中ずっとそうなのだ。

 普通の高校だったら、そんな校則、誰も守らず、休み時間に通話をしたり、授業中にメールを見たりといった具合なのかもしれない。

 ……しかしである、我らが佐和山学園は県内でも随一のお坊ちゃまお嬢さま学校だ。手前味噌で申し訳ないが、品行方正な生徒が多く、治安は頗る良い。

 ついでに言えば、校則違反を繰り返した場合、本当に退学、もしくは除籍、放校になる事も少なくないらしく、皆、律儀にしっかりと校則を遵守しているのだ。

 そういった事情もあって、マホ子のように、そもそも携帯を持っていないという生徒も多い。


 ……とまあ、そんな感じで、マホ子と他愛のない話をしていたら、何時の間にか大講堂の前まで来ていたようだ。

 既に在校生も含めて、多くの生徒が集まっている。


「さすがに高等部にもなると、式に来る親も少ないなあ……」


 周囲をキョロキョロしながら、お世辞にも座り心地が良いとは言えないパイプ椅子に座り、式が始まるのを待つ。

 少し離れた席から手を振るマホ子に手を振り返すと、前の席に座っていた男子生徒から、露骨に嫌そうな顔をされた。


 (間奏)


 「皆さんは、多元宇宙論をご存じでしょうか? この説は、宇宙が複数、存在すると仮定したものでありまして、1895年に米国の哲学者で心理学者、ウィリアム・ジェームズにより……」


 学園長先生のありがたいお言葉が、右の耳から左の耳へすり抜けていく。

 その後も特に盛り上がりらしい盛り上がりもなく、入学式は恙なく終了した。


 それから俺たちは、続けて中等部の入学式が行われるという理由で、余韻に浸る間もなく、そそくさと大講堂を後にする。


 小中高と全て同じ、大講堂……既視感というか、デジャブというか、今日と“まったく同じ”入学式に、もう何度も出席しているような錯覚に陥った。


 (間奏)


 式が終わって、少し長めの休み時間。

 廊下を歩いていると、職員室の前に人だかりが出来ていた。


「ネー君、ネー君、新しいクラスの名簿だって! 朝、雨だったから外じゃなくて、職員室の前に貼り出されたみたい!」


 そうか……すっかり失念していたが、進学するんだし、当然、クラスも新しくなるんだよな。


「ネー君も一緒に見に行こうよ!」


 そう言うが早いか、気付けばマホ子は駆け出していた。


「いや、ちょっと待って……」

「へへへ……ほらほら早く!」


 手を伸ばすも届くはずもなく……

 その場に立ち尽くす事、数十秒。


「ネー君、凄いよ! 私たち、また同じクラスだよ!」


 マホ子がほくほくした顔で、ピョンピョンと俺の所まで戻ってきた。


「また同じクラス……」


 思わずオウム返ししてしまう。

 嬉しい……そう、嬉しいのだが……


「マジで!?」


 嬉しさよりも、驚きが勝った形である。


「ひょっとして、ネー君は、また私と同じクラスじゃ嫌だった? 私は……」


 マホ子が人差し指を口唇に当てて、目を伏せる。


「いや、嬉しいよ! すっごい嬉しい!」


 ……でもさ、小中高と10年間も同じクラスって、さすがに有り得なくない?


「なあ、マホ子は、その、何か不正な操作とか、そういう事はやってない……よね?」


 マホ子にギリギリ聞こえるか聞こえないかくらいの声量で聞いてみる。


「……んっ?」

「いや、なんでもないよ。また1年よろしく!」

「うんっ!」


 マホ子が俺の手を取ってブンブンと上下に振ってくる。

 嬉しい……そう、嬉しいのだが……


 マホ子は気付いていないようだが、さっきから周囲の視線が痛い……先ほどまで、名簿に注がれていた視線が、俺たち2人に注がれていていた。

 嫉妬に羨望……そして、疑念?


(いやっ、俺は、何も不正なんてしてないからね!)


 皆の刺すような視線。その場に居辛くなった俺は、マホ子の手を引っ張って、そそくさと人混みから抜け出した。

 そして、「ちょっと行く所があるから、先に教室へ行ってて」と言うマホ子と別れて、新しい教室へ向かう。


 俺と別れたマホ子は、早速、同じクラスになって喜ぶ女子や、別のクラスになって悲しむ男子に取り囲まれて、もみくちゃにされていた。


「ゴメンね。私、これからちょっと用があって……」


 どうやらマホ子が教室に来るのは、ホームルームが始まるギリギリになりそうだ。


entrance ceremony 完

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