1984+15(+1)=2000(H12)X4月

 まずは自己紹介をしておきたい。俺の名前は、彦根康太。

 よく言い辛いと言われるが、コレばっかりはどうしようもないので、申し訳ないが慣れてほしい。


 平成12年4月。恐怖の大王も2000年問題も高等部への進学も、恙なくやり過ごした俺は、今日から晴れて高校生となる。

 春眠暁をおぼえずなんて言うが、その日は時計のアラームが鳴るよりも、少し早く目が覚めた。自覚はなかったが、それなりに緊張はしていたのかもしれない。


「うう、寒い……」

 

 体が少し震えていたのは、どうやら緊張だけでなく寒さも影響していたらしい。

 昨日までは春の陽気といった感じだったのに、花曇りというやつだろうか?

 窓から外を見ると、どうやら少し前まで雨が降っていたようで、所々に水溜りが出来ていた。

 入学式の日くらい、呑花臥酒な感じでいきたかったのだが……誰かが噂している訳でもあるまいに、くしゃみが出て俺は鼻をすすった。


「うう、寒い……」


 それから俺は、眠い目をこすりながら、そそくさと制服に着替えて、顔を洗い、歯を磨く。

 ふと目に入った洗面台の姿見で、制服姿の自分を見てみると、そこに映っていたのは何時もと変わらない猫背で低身長、くせ毛で童顔な冴えない自分だった。

 そりゃあ、高校に進学したからといって、急に顔つきが精悍になるもんでもないってのは、分かってはいたけれども……俺は、小さく溜め息を吐いた。


「それはそうと、来たみたいだな……」


 食卓に置かれていたカツサンドを、甘めのコーヒーで胃に流し込み、足早に玄関へと向かう。


『入学おめでとう。父さんも母さんも、今朝は、仕事で留守にしていますが……』


 俺が、下駄箱に置いてあった両親からの置き手紙を読んでいると……


「ネー君、一緒に学校、行こお!」


 小さい頃から、まったく変わっていない、幼馴染の声が聞こえる。

 ちなみにネー君というのは、小さい頃、その幼馴染から付けられたアダ名で、『彦“ネ”だからネー君』だと、彼女は言っているのだが……俺は、正直、怪しいと踏んでいる(この件については、後で説明したい)


 最も、このアダ名で呼んでくるのは、学園でも彼女ぐらいなものなのだが……


「ゴメン……ちょっと待ってて!」


 俺は、急いでマフラーを巻くと、一応、入学式という事で新しく下ろしたローファーを履き、つま先でトントンと床を蹴る。

 玄関を開けると、そこには陽だまりのような笑顔を浮かべた幼馴染が立っていた。

 見慣れたはずのその笑顔に……今朝も鼓動が高鳴り、頬が紅潮する。


 彼女の名前は、星ヶ崎マホ。

 ちなみに俺は、彼女の事をマホ子と呼んでいる。

 名付け親は彼女自身で、毎年、クラスで自己紹介をする度に、『星ヶ崎マホです。マホ子って呼んでください!』と言っているのだが、このアダ名も学園で使っているのは俺くらいだったりする。

 『長身で白皙、均斉のとれた体に、口はやや大きめで、目は黒く炯々と輝き、健康に恵まれていた』ローマ帝国五賢帝時代の歴史家スエトニウスが、ユリウス・カエサル容貌について述べた一説だそうだ。

 マホ子を見ていると、何時もこの一説を思い出す。

 烏の濡れ羽色のような髪、カモシカのような足、シラウオのような指。明朗快活、羞月閉花、文武両道と、マホ子を称賛する言葉は、枚挙にいとまがない。


 ただ唯一、それらの長所をすべて帳消しにして、なお余りある欠点があったりもするのだが……それについても後で語りたい。


「まあ、そのマイナス分を差し引いても、俺とは月とスッポンなんだけどね……」


 同じ学校の同じ学年で、家が隣同士でもなかったら、俺とマホ子は無関係な世界の住人だったのではないだろうか?


 そんな事を考えながら、灰色の空を見上げていた俺に「まったく、ネー君はお寝坊さんだなあ。まだ寝ぼけてるの?」と、マホ子が悪戯っぽく言う。


(一応、寝坊はしてないんだけどね……)


「何時もありがとな」

「ううん、私がしたくてしてる事だもん。それより急いでネー君、遅刻しちゃうよ!」

「ちょっと待って……靴がどうにも……」

「へへへ……ほらほら早く!」


 今朝の曇り空のように、どんよりとした気分の俺とは対照的に、マホ子は期待に満ち溢れたような、晴れやかな表情をしていた。


「私たち、今日から高校生だよ。楽しみだよね!」

「うーん……校舎も中等部と一緒だし、入学式も何時もの大講堂だろ? 今までと、ほとんど変わらなくない?」

「まあ確かに、出来れば制服は新しいのが着たかったかな。リボンの色が違うだけで、中等部と一緒だし、青から赤って信号機みたいだよね」

「女子はまだ良いって、男子なんてバッジの色が変わるだけだぞ……」


 俺たちが通う、私立佐和山学園は、幼小中高大と一貫教育を行っている。なので、普通に通ってさえいれば、ほぼ無条件で幼稚部から大学部までエスカレーター式に上がっていける。

 校舎も大学部だけは、少し離れた場所にあるが(と言っても電車で数分の距離である)幼稚部から高等部までは同じ敷地内にあり、重複になるが中等部と高等部は校舎も一緒だ。大講堂や体育館など小中高で共同利用している施設も多い。

 ちなみにマホ子は、幼稚部から佐和山一筋。俺は、初等部からの編入組だ。


 春休みの間、ずっと考えていた事がある。

 もし大人の階段なるものが存在したとして、毎晩、寝ずに高校受験の勉強をして、中学までの友達と別れ、そして新たな場所で見知らぬ仲間と3年間、共に歩みを進めるというのは、大人になる為のステップとして、かなり大きいのではないか、と……


 歩きなれた道……試した事はないが、たぶん目隠しをしていても問題なく学園まで辿り着けるのではないだろうか。

 閑静な住宅街を暫く歩き、子供の頃にマホ子と2人でよく遊んだ公園の中を通る。昼間も薄暗い交差点を左に曲がって、駅前の寂れた商店街を抜け、大通りを進む。


「後は、この坂道をひたすら上る、と……」


 勾配はそれほどでもないのだが、いかんせん距離が長い。

 

(この坂道だけは、未だに慣れないんだよなあ……)


 俺が、腕を組んで唸っていると、マホ子が後ろ手を組み、珍しく憂いのある表情を浮かべて言った。


「ネー君、知ってる? 魔女の家があった場所、ずっと空き地だったけど、今度、アパートが出来るんだって……」


 魔女の家というのは、俺たちが現在進行形で上っている坂道を上り切った、その先。学園の幼稚部がある辺りに、10年ほど前まで存在していた古寂びた洋館の事である。

 隣に幼稚部の女子がたまり場にしていた児童公園があった事から、女子の間では、不気味な建物(心霊スポット)として、有名だった“らしい”。

 “らしい”というのは、突然の火事で、跡形もなく焼失してしまったからで、正直に言うと、俺はマホ子から聞いた話でしか魔女の家を知らない。


「私、幼稚部の頃に、隣の公園でよく遊んでたから、ちょっと寂しいんだ。もう何年もあの場所には行ってないんだけどね……」


 俺とマホ子が出会ったのは、俺が学園の初等部に編入する半月ほど前の事だった。


「ちなみに、どんな遊びをしてたの?」

「えっとね……よく皆で、かくれんぼとかしてたよ」


 時折吹く冷たい風が、むき出しの耳に当たって痛い。耳当てをしてくるんだった……


「ネー君と小さい頃に遊んだ川沿いの菜の花畑も、海の近くにあった博物館も、みんな無くなっちゃったね……」


 そう囁くと、マホ子は風で乱れた髪を掻き上げて、雨で散ってしまった桜の木を見上げていた。

 憂いを帯びた横顔。俺は、慌てて話題を変える。 


「……でも、駅前のコンビニは、来月、リニューアルオープンするらしいよ!」

「あそこのコンビニ、通学路にあるから便利なんだよね!」

「そうそう。それに、あのコンビニって、アニメ誌も普通に売ってるしね!」


 改めてマホ子の顔を見ると、また何時も笑顔に戻っていて、ホッとした。


「そういえば、ネー君。この前、貸したOVAは見てくれた?」


 『アニメ誌』というワードを聞いたからだろうか? マホ子が、思いしたように問う。


「ああ、見たよ。ベタなバブル期の青春群像劇かと思ったら、急にSF展開になってビックリした!」

「そうだよね。最初は王道というかベタな感じで進んでいくんだけど、途中から急に路線が変わる話って、私、大好き!」

「俺も好きだよ。でも発売当時は『急展開すぎて付いていけない』みたいな意見も結構あったみたいだけど……」


 俺がため息混じりに呟くと、マホ子が俺の肩を掴んで熱弁を振るう。


「ネー君、私たちオタクは自分が好きなモノに自信を持たなきゃダメ! 周りの皆が、誰も気にも留めていなくても、気にしちゃダメ! オタクの知名度とかパソコンの掲示板とかガンバレ特集とかも気にしちゃダメ! そして、面白いと思ったらひたすら布教!!」


 マホ子の目が血走っていた。


「そ、そっか、そうだよね……」


 正直、マホ子の気迫に押された部分はあったが、確かにその通りだとは思う。

 しかし、自分の好きなモノに自信を持て、か……自分自身にすら自信が持てない俺には、難易度の高い話だ。


「そもそも、あのメカデザインは、人型のメカで戦闘をする事に対する監督のアンチテーゼであって……」


 その後もしばらく続いたマホ子の熱いオタク論を聞いていたら、何時の間にか、校門のすぐ近くまで来ていたようだ。


「マホちゃん……彦根君、おはよう」「星ヶ崎さん、あと彦根さんも、またよろしくお願いしますね」「フフフ……御機嫌よう、星ヶ崎さん」「ほっ、星ヶ崎さん、おおおっ……おはようござりましゅ!」


 同じ学年の知り合いから、あまり話した事のない中等部の後輩に高等部の先輩まで、皆、引っ切り無しに挨拶をしていく。


(もちろん嬉しい事ではあるのだが……)


「相変わらず、人気者だな」

「そんな事ないよ。それにネー君だって……」

「いや、俺の場合は……」


 タイミング良く、男子生徒が俺の背中を叩いた。


「よう康太、聞いたぞ。お前の兄ちゃん、ワンダーランド……だっけ? RPGの町みたいなトコの先発になったんだろ!?」


「ほらね……」マホ子にだけ聞こえるくらいの声量で呟く。


「そうなんだよ。まだレギュラーに定着するのは厳しいって手紙で言ってたけど」

「そっか。そんじゃあ、俺は委員会の仕事があるから先に行くけど、お兄さんに会ったら応援してるって伝えておいてくれ!」

「うん。きっと兄貴も喜ぶよ……」


 配線がグチャグチャに絡まった電柱を見上げて、俺は小さく息を吐いた。


「ふう……」

 

 俺には4歳年上の兄貴がいる。

 兄貴は、一言でいうとスーパーヒーローみたいな人だった。誰かが困っていれば迷わず助けるし、その為の自己犠牲も厭わない。

 実際、過去には暴漢から女性を救い、警察から表彰された事もあった。

 顔は俺に似て、まあ……といった感じだったが、大人びていて、女子からも人気があったみたいだ。


 そんな兄貴だが、特に凄かったのは、子供の頃からプレイしているサッカーで、初等部の頃から、天才少年として、サッカー関係者の間では有名だったらしい。

 高等部では、八面六臂の活躍で、それまで良くて県大会上位止まりだった学園のサッカー部を全国大会へと導いた。

 そして、その活躍が海外クラブの目に留まり、去年、サッカー留学という形で、イギリスへと旅立っていったのだ。


 一応、誤解のないように言っておきたいのだが、俺は、兄貴の事を本当に心の底から尊敬しているし、大好きだ。

 兄貴は何時だって俺の事を守ってくれたし、何時だって俺の味方でいてくれた。

 本当にどれだけ感謝してもしきれない。

 ただ、そんな兄貴に対してコンプレックスを抱いていないかと言われると……自己嫌悪で、ただただ項垂れる。

 今の俺は、どれだけ憫然たる姿に見えている事だろう。


 そんな俺を、見かねてかどうかは分からないが……


「もお、ネー君ってば、シャキッとするっ!」


 マホ子が俺の背中を何度もバシバシと叩いてくる。


「痛い痛い……もっと優しく頼む……」


 本当は、それほど痛くなかった。

 少し大袈裟に体を反らして、マホ子の反応を待つ。すると……


「ほらね……」今度はマホ子が、俺にだけ聞こえるくらいの声量で呟いた。


「フフフ……やっぱりネー君、猫背だからよく分からないけど、春休みが終わって、少し背が伸びてるよ!」

「本当?」

「本当も本当。私は……ネー君の事、何時も見てるもん!」


 マホ子は、親指と人差し指でアルファベットのCのような形を作ると……


「本当に、『少し』だけどね!」


 そう言って、俺に屈託のない笑顔を向けた。

 見慣れたはずのその笑顔に、俺はまた見惚れてしまう。


 そしてマホ子は、そんな俺をしり目に……


「見て見て、ネー君、学園の桜がすっごく綺麗だよ!」


 そう言って、駆け出して行った。


「へへへ……ほらほら早く!」


 ついさっきまで、学園の生徒が歩いていたはずだ。

 だが、その瞬間だけ、その場所には、マホ子しか人がいなくなる。

 厚い雲で覆われていた空に、一瞬、太陽が顔を出せるくらいの隙間が出来て、眩しいくらいの光が、スポットライトのようにマホ子を照らす。

 時を同じくして、暖かな風が、辺り一面を揺らした。

 風に揺れる髪、舞い散る花びら、湿度を帯びた空気がキラキラと輝いていた。


(春の風の匂いがする……)


 まるで映画のワンシーンのような光景……物語の中に迷い込んだような感覚。

 マホ子と一緒にいると、こういった錯覚に陥る事がよくある。

 その度に思う。もしこの世界に主人公がいるのだとすれば、それはきっとマホ子みたいな人の事なんだろうと。


(……だとすると、やっぱり俺は脇役なんだろうか?)


 身長だって、マホ子の方が相変わらず高い。

 

「でもまあ、ヒロイン(女性主人公)の幼馴染なら、悪い役ではないよな」


 俺は、自分にそう言い聞かせると、もう一度、背筋を伸ばして、校門から学園へと一歩足を進めるのだった。


(まあ、女性主人公の幼馴染って、たいがい碌な目に合わないんだけどね……)


childhood (fri)end  完

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