第12話(1)アメジストは抱きしめる

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「いや~アメジストちゃん、お疲れ様~」


「お疲れ様です……」


 アメジストの隣の席に派手なスーツを着た若作りの中年男性がドカッと座る。アメジストが渋い顔つきになるが、男はそれに構わず話し出す。


「今回の役も良い感じだったよ~」


「どうも……」


「最近調子良いんじゃない? どの作品見てもアメジストちゃんの声聞くって感じだよ~」


「そこまではアニメのレギュラーはありません、大げさです」


「あ、そう? アメジストちゃんの存在感の成せる業かな~」


「買いかぶり過ぎです、私なんて諸先輩方に比べればまだまだです……」


「謙虚だね~」


「冷静に自分自身を客観視しているだけです……」


 アメジストが酒を一口飲む。男性がニヤリと笑う。


「こういう飲み会に出るなんて珍しいんじゃない?」


「たまには顔を出しますよ。ただ、21時前には失礼しますが」


「え~夜はこれからじゃない?」


「明日も早いので……」


「いやいや、明日は別に早くないでしょ? 新作ゲームの生配信番組は夜だから、夕方までに現場入りすればいいだけの話だし」


「……なんでそんなことを知っているんですか?」


 アメジストが顔をしかめながら、男に尋ねる。


「アメジストちゃんのSNSは欠かさずチェックしているからさ~。仕事相手のスケジュールを把握するのは社会人として当然でしょ?」


 男はウインクする。アメジストは吐き気を我慢しながら、目を逸らす。


「そこまで把握する必要はないと思いますが……」


「まあまあ、そういえば、あのお堅い感じのマネージャーさん、今日はいないんだね?」


「緊急の仕事が入ったのでそちらに。私だけの担当というわけではありませんから……」


「へ~そうなんだ……アメジストちゃん……この近くにさ、良い感じのバーラウンジがあるんだけど……そこで飲み直さない? 二人で」


「はっ?」


 アメジストが男を冷たい目で見る。


「こんな安っぽい店よりさ~シャレオツで良い雰囲気だよ?」


「……なにがおっしゃりたいのです?」


 アメジストの問いに男は笑顔を崩さぬまま答える。


「今後もお互い良い仕事が出来ればと思ってさ。ほら、俺って結構業界内で顔が広いし」


「あいにく、そういう営業は行っておりません!」


 アメジストはそっぽを向く。男は苦笑する。


「いやいや、アメジストちゃん、いつの時代の人間よ、案外古風なんだね~。俺はね、提案をしているんだよ」


「提案?」


「そそ。大人同士のお付き合いをしようってことよ。そういう経験をしておくと、今後、演技に深みが出てくると思うんだよね~」


「な、なにを言っているのですか⁉ 失礼します!」


「俺の機嫌を損ねちゃうと、色々面倒だよ~?」


 席を立とうとしたアメジストに男が声をかける。


「……!」


「今後の仕事に支障がでちゃうかもな~。そうだ、オタクの事務所自体との付き合いも見直しちゃおうかな~。アメジストちゃんの判断で先輩や同期、未来の後輩ちゃんたちにも迷惑がかかっちゃうね~」


「貴方……!」


 アメジストが手を挙げる。男が笑う。


「なに、その手? ビンタでもかますの? ヤバいよ~俺が顔広いって言ったでしょ?」


「くっ……」


 アメジストが手を引っ込める。


「顔がデカいの間違いだろ……」


「のわっ⁉」


「⁉」


 アメジストが驚く。店の制服を着た山田が赤ワインを男の頭に注いでいたからである。


「て、てめえ! なにしやがる⁉」


「失礼、手が滑りました……」


「そんなことあるか! 店長呼んで来い!」


「……店長と言わずに」


 山田が電話を差し出す。


「な、なんだよ?」


「オーナーと繋がっております」


男が訝し気に電話を手に取る。


「もしもし、オーナーさん? アンタ、従業員の教育どうなってんの? ……って、社長⁉ え、やり取りは聞いていた? 今後の企画は白紙? ちょ、ちょ、ちょっと待って……!」


「……失礼。アメジストさん、帰りましょう」


 山田は茫然とする男から電話を取り、アメジストを促す。


「え、ええ……」


「荷物、ここに置いておきます」


「ありがとう……何故、あの店に?」


 自宅の部屋に戻ったアメジストが山田に尋ねる。


「エメラルドさんからの頼みです。知人の経営する店が今日、どうしても人手が足りないということでしたので……」


「知人、社長……もしかして、あのゲーム会社の女社長⁉」


「はい、俺も今日会ってびっくりしました」


 山田が頷く。アメジストが納得したように頷く。


「近年、あそこの会社のゲームはアニメ化すれば。ほぼ必ず世界的ヒット……その影響力は計り知れないわ……」


「よく話題になりますよね」


「その企画を飛ばしたとなれば……ふふっ、あの男も終わりかもね……」


 アメジストが笑う。山田も頷く。


「最近の風潮では許されない振る舞いでしょうね……すみません」


 山田が頭を下げる。アメジストが首を傾げる。


「何を謝るの?」


「助けに入るのが遅れました……」


「ああ、良いのよ、あの会話を社長に聞いてもらったのだから」


「そうですか……」


「そうよ……それじゃあ、そろそろ休むから……」


「ああ、失礼しました……!」


 山田が振り返って部屋を出ようとすると、アメジストがその背中に抱き着く。山田を抱くか細い手は震えていた。


「……怖かった……」


 山田は自らの手をそっとアメジストの手に添える。


「……『誠実』かつ『高貴』な振る舞い、さすがアメジストさんだったと思います」


「え……?」


「落ち着くまで、もう少しこうしていましょうか?」


「え、ええ、お願い……」


 アメジストは山田を抱きしめる手にギュッと力を込める。しばらくして、山田がアメジストから離れ、再び頭を下げる。


「……それでは失礼します」


「え、ええ……」


「お休みなさい……」


「……私ったら、何をしているのよ⁉」


 アメジストが両手で赤らむ顔を抑える。しかし、不思議と嫌な感じはしなかった。

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