Ⅲ. 光の方へ

episode 1 誘拐予告

 島崎向葵。彩雅高校の2年生にして生徒会長を務める。先日の生徒会長選挙で続投が決まり、これで3期連続での任命となるが、これは100年の歴史を誇る我が校では前代未聞のことである。成績優秀、品行方正。定期テストでは常に上位十指に入り、一位をとった回数は数知れない。また、眉目秀麗というにはあまりに容姿が幼いが、大きく潤んだ瞳に、拳骨げんこつほどの小さな顔、そして長く艷やかな黒髪が、彼女を美少女たらしめている。

 そんな彼女の代名詞とも言えるのが、まさに彼女を生徒会長の座に押し上げた契機ともなる大事件、人呼んで「島崎の乱」である。彼女の姉・マシロを自殺に追い込んだ遠藤美和子及びその一派の悪事を告発し、彼女らを謹慎処分に追いやることで、見事姉のかたきを討った。その勇猛さを称え、彼女を「小さきジャンヌ・ダルク」と呼ぶ者も少なくない。

 ところで、これはあまり知られていないのだが、彼女は生徒会の他にもう一つ部活に所属している。サイコー新聞部。今年も廃部の危機をなんとか乗り越えたマイナーな部活なのだが、彼らの活動場所は僻地へきち僻地へきち、南校舎の3階にある空き教室の一つ、第2多目的室である。

 この夕暮れ迫る教室で、1年生にして生徒会役員兼サイコー新聞部員である俺、村田紫苑むらたしおんは、島崎向葵先輩が「小さきジャンヌ・ダルク」の異名を投げ捨てるかの如く、胡座あぐらをかき、スカートの隙間から黄色いパンツを堂々と見せながら、愉快そうにギターをき鳴らしている姿を眺めていた。

「あの、島崎先輩。うちの高校、軽音楽部以外楽器の持ち込み禁止だったと思うんですけど……」

「文化祭の練習って言っとけばなんとかなるよ」

 この人、本当に生徒会長なのだろうか。こんなに堂々と校則を破る生徒会長は初めて見た。そんなことを思ってると、ヒマリさんは俺を強くにらみつけた。俺は思わずたじろぐ。

「それより、いい加減『島崎先輩』っていうのやめてくれない? 『ヒマリ』でいいって、前に言ったでしょ? そんなに気を遣わなくていいのに。なんなら呼び捨てにタメ口でもいいよ」

「いや、さすがにそれは……」

 俺だって「ヒマリさん」って言いたい。でも、畏れ多いというか、勇気が出ないというか……俺が言い訳を考えていると、教室の扉がガラッと開いた。

「そりゃあ、パンツ見せてる先輩に気を遣わないわけないでしょ?」

 アカネさんが扉の前で呆れた顔でヒマリさんを見ている。アカネさん、ナイス。

「ああ、そういうことか。別にパンツぐらい気にしないんだけどなぁ」

「俺が気にするんです!」

 俺が語気を強めて言うと、ヒマリさんは渋々立ち上がり、ギターをしまった。はあ、これでやっとまともにヒマリさんの方を向ける。

「村田くんは神経質だなぁ。カルシウム足りてないんじゃないの? 牛乳飲んだら?」

「牛乳飲むべきなのは貴女あなたのほうじゃない?」

「飲んでこの身長なの!」

 ヒマリさんは頬を膨らましながらアカネさんに突っかかる。この二人はいつもこんな感じで漫才を繰り広げているのだ。あまりに仲がいいので、実は姉妹なんじゃないかと疑ってしまう。

「ところでヒマリ、貴女あなたもなんで『村田くん』なのよ」

「ああ、そっか。村田くん、これからはシオンでもいい?」

「はい! もちろんです!」

 俺は机の下でガッツポーズをする。アカネさん、ナイス! この日をどれだけ待ち望んだことか。遂にヒマリさんから名前を呼んでもらった。しかも呼び捨てだ。俺が喜びを噛み締めていると、また教室の扉が開く。今度は二人だ。

「久しぶり、ヒマリさん」

「なんだか楽しそうだね」

「藤原先輩! コーセーくん!」

 前生徒会長の藤原紬先輩とコーセーさんだ。きっと道中で会ったのだろう。藤原先輩は今、大学1年生だ。地元の国立大学に余裕で合格したらしい。さすがだ。コーセーさんは受験生なので、時々しか顔を出さない。アカネさんも受験生のはずなのだが、頻繁に部室に来ているあたり、後輩ながら心配になる。

「文化祭がうまくいってるか見に来たのよ。生徒会は人数が少ないし、もし大変そうなら少し手伝おうかなと思って」

「ありがとうございます。でも、むら、じゃなかった、シオンが優秀なので全然困ってないんですよ」

「そう。ならよかったわ」

 またまた机の下でガッツポーズをする。喜びを必死に隠そうとする俺をアカネさんが怪訝けげんそうな顔で見つめてくる。まずい、バレたか?

「ただ、一つだけ困ったことがあって……」

「困ったこと?」

 ヒマリさんは僕たちに2枚の紙切れを見せる。

「これは?」

「文化祭の要望書。『もっとこういうことしてほしい!』みたいな意見を一応毎年募集してるんだけど、今年は一枚も来なかった。そして、これが昨年来た2枚」

 コーセーくんは紙切れを一枚手に取った。俺とアカネさんものぞき込む。


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和子かずこ:私は貴方あなたを愛しております。どうか私の愛を受け取って。


由紀夫ゆきお:いいや、受け取るのは私ではなく貴女あなたのほう。私の愛が海よりも深いことを貴女あなたはご存知ないでしょう。


和子:いいえ、存じ上げております。でも、愛の深さなら私も負けません。


由紀夫:比べてもしょうがない。二人一緒に深い深い愛のふちに身を投げようではありませんか。


和子:ええ、貴方あなた


告白は屋上。満月の光の下で男女は口づけを交わす

舞台はダンスフロアに移り変わる


舞子まいこ:遅いわね、由紀夫さん。どうしたのかしら。

 

ペンネーム 湯と夏至と


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「劇の台本? それに、なんだこの名前?」

「湯と夏至と……イメージカラーは赤かしら?」

「どうして?」

「なんか暑そうでしょ」

「赤と言ったらアカネちゃんだね。アカネちゃん、どうしてこんなの出したの?」

「知らないわよ」

 皆が頭を抱えている中、一人コーセーさんが「ああ、なるほど」とつぶやく。

「コーセーくん、もしかして知ってる人?」

「ああ。こういう回りくどいことが好きな人なんだ。まったく、人使いが荒いね。これについては、僕がなんとかするよ」

「そう? じゃあ、お願いね。で、実は本当に困ってるのはこっちの方なの」

 俺たちはヒマリさんが指さしたもう一枚の紙切れを見た。そこには印刷された字で、こう書かれていた。


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 文化祭の劇中にて会長を頂きに参上する


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「ゆ、誘拐予告!?」

 俺たちは一斉に叫ぶ。ヒマリさんは気まずそうな顔で小さく頷いた。

「この『劇中に』っていうのは何?」

「毎年、生徒会で劇をすることになってるの。今年の主役は会長の私」

「なるほど。ミステリー劇の主役ってことね」

「そうそう、冒頭でハンカチで口を覆われて気づいたら……って、主役が誘拐されてどうするの。私たちがやるのは恋愛劇で、役はお姫様だよ」

 ヒマリさん、ノリツッコミしてる場合じゃないと思うんですが……この人は変なところで肝がすわってるから危なっかしい。

「誘拐予告が出てるなら、劇は中止したほうがいいわ。最悪、文化祭の中止も考えないと」

 さすが藤原先輩、よくぞ言ってくれた。生徒会の劇なんて自分の身を賭けてまでするもんじゃない。そう思っていると、ヒマリさんは平然と藤原さんの考えを否定する。

「そんな、大袈裟おおげさですよ。十中八九、ただのいたずらでしょうし。……でも、万が一のことを考えて、ボディガードみたいなのは欲しいかも。劇の間、私の側で見張っててくれる人はいないかな?」

 ヒマリさんがそう言うと、皆が一斉に俺の方を向く。えっ、まさか……

「そういえば、王子様役がまだ決まってなかったね。シオン、やってくれない?」

「ええ!?」

 ヒマリさんの王子様役なんて、願ったり叶ったりだ。本当にやっていいのだろうか。いや、本人から依頼されているんだ。ここで引いてどうする。

「や、やります! ヒマリさんの身はこの命にかえても俺が守り抜きます!」

 俺が勢いよくそう言うと、ヒマリさんが少しだけ頬を染めた。アカネさんがからかうような口調で俺に言う。

「まるで本当の王子様みたいなこと言うじゃない」 

 俺は真っ赤になって慌てた。それを見て皆が笑う。しかも、よく考えたら「ヒマリさん」って呼んでるじゃないか。本人がそう呼んでくれって言ってるから問題はないのだけど、やはり気恥ずかしいというか……そんなこんなで慌てふためいている俺に、ヒマリさんはトドメの一撃を食らわせた。彼女は少し顔を赤らめながら上目遣いで俺に言う。

「よろしくね、王子様」

 真っ赤な林檎りんごのようになった俺を見て、皆はいよいよ大笑いした。


「さて、今度は犯人探しといこうか。ヒマリ、ちょっと相談いいかな?」

「もちろん」

 ヒマリさんとコーセーさんが教室の隅で作戦会議を始める。この二人も仲がいいんだよなぁ。まるで兄妹だ。いや、もしかして恋人かも……俺は小声でアカネさんに訊ねる。

「アカネさん、もしかしてあの二人って、付き合ってるんですか?」

 アカネさんは呆れたような顔をする。

「何言ってるの? コーセーは私の彼氏よ」

「彼氏って……ええ!?」

 たしかに距離が近いとは思っていたが、まさか恋仲だったとは。いや、アカネさんがいつもみたく冗談を言ってるだけなのかも……すると、俺の大声でコーセーさんが振り向く。

「どうしたの、シオン?」

「この子、私たちが付き合ってるの知らなかったみたいなの」

「えっ、そうだったの?」

「ほ、ほんと、なんですか?」

 疑う俺を見て、アカネさんはコーセーさんに近づく。彼女は少し背伸びをすると、コーセーさんが顔を近づける。そして二人はキスをした。熱烈なキスだ。「あら、まあ」と藤原先輩。ヒマリさんは「またか」という顔だ。

「これで分かったでしょ?」

「はい。十分すぎるほど分かりました」

 それにしてもマジか。コーセーさんも変な趣味してるな……まあたしかに、アカネさんは客観的に見れば美人の類だ。それでいて、時々幼気いたいけな少女のような可愛さも見せる。可憐かれんな人だ。まあ、ただし、黙っていればだけど。アカネさんは俺のもとに戻り、小声で話す。

「そういうわけで、コーセーがヒマリをとることはないから安心しなさい。それにあの子、今も昔もずっとフリーよ。たぶん、競争相手もいないわ」

「そうなんですか? そうか、それはよか……ん?」

 アカネさんがニヤッと笑った。しまった、完全にバレた。

「でもあの子、ある意味で手強いわよ」

 俺は項垂うなだれた。そうだ。ヒマリさんはある意味で手強い。この半年間、あらゆる手を使ってアピールしてきたが、ヒマリさんはピクリとも反応しない。いわゆる、超がつくほどの鈍感だ。

 大きくため息をつく俺を見て、アカネさんは大笑いした。ヒマリさんが振り向く。

「どうしたの、シオン? アカネちゃんにいじめられた?」

「いえ、ヒマリさんにいじめられています」

「私!?」

 見に覚えのない罪を思い出そうとするヒマリさんと、意気消沈いきしょうちんしている俺を見て、アカネさんは手を叩いて笑った。




 






 

 

 

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