第拾伍話 コーヒーを飲む探偵と泣き叫ぶ少女

 翌日の早朝、僕たちは堺駅に向かった。駅の入口に着くとミドリさんが僕たちに手を振った。

「ヒマリ、2日ぶり」

「ミドリお姉ちゃん、急に呼んでごめんね」

「いいよ。私もまた会えて嬉しいし」

 ミドリさんは僕たちを追い越すと振り向いた。

「こんなところで話すのもなんでしょ? 駅前にいいトコがあるの。早く行こ」

 僕たちは数分歩いてカフェに向かった。カフェにつくとすぐにドリンクを頼む。ミドリさんはカフェオレ、僕とヒマリがブラックコーヒー、アカネがメロンソーダだ。

「アカネちゃん、なんでカフェに来てメロンソーダなの? 普通はコーヒーかカフェオレだと思うんだけど」

「貴女たちは常識に囚われてるのよ。カフェに来たからといって、メロンソーダを頼んじゃいけない法はないわ」

 アカネはふんぞり返り、鼻を鳴らしながら言う。眉をひそめるヒマリに僕が說明する。

「アカネは子供舌だからコーヒーが飲めないんだよ。あと人参とピーマンも苦手」

「ああ、なるほど」

 アカネは秘密をバラされて不満そうな顔をする。ミドリさんが一つ咳払せきばらいをして注目を集めた。

「で、今日はどうしたの?」

 ヒマリはミドリさんの話が嘘だと思った理由と昨日の僕の推理を説明した。ミドリさんの顔はだんだん険しくなり、僕の推理の段になるといよいよ顔を覆ってしまった。ヒマリが説明を終えると、ミドリさんは肘をつき、顔を下に向けながらつぶやいた。

「ごめん、ヒマリ。さすがに、アンタのせいでマシロが死んだなんて、言えなくて」

 ヒマリはミドリさんの手に触れる。顔を上げるミドリさんぬヒマリは柔らかい笑みを見せた。

「ありがとう、ミドリお姉ちゃん。私のことを思って黙ってくれてたんだよね。私、今回の旅行で気づいた。私の周りには優しい人がいっぱいいるんだって。私も、皆から貰った優しさに応えなくちゃって、そう思ったんだ」

 ミドリさんは唇を固く結びながら何度もうなずいた。

「そうだね。アイツは、マシロは本当に優しい奴だった。他人からの優しさは受け取らない癖に、人にばっか優しくして、それで自分が好きなもののために死んだんだ。立派だよ」

 彼女は両の手の平を見つめた。彼女の手は少し震えていた。

「でも、私はアイツに何もしてやれなかった。アイツに迷惑をかけるだけかけて、それでのうのうと生きてやがる。だからせめて、マシロのことはヒマリに黙っといてやろうと、思ってたんだ。まあ、そこにいる名探偵に見破られちまったんだけどな」

 そう言ってミドリさんは僕に笑いかけた。

「すいません。せっかくのミドリさんの優しさを無駄にして」

「いいさ。いつかは言わなきゃいけないことだ。むしろアンタが代わりに言ってくれたっていう見方をすれば、私はアンタに感謝すべきなのかもね。ありがと」

 ミドリさんは小さく頭を下げた。僕も小さくうなずき、微笑ほほrんで見せた。


 ブラックコーヒーを少し口に含んだ。マグカップを置き、小さく息を吐く。

「さて、ここまでが昨日、ヒマリやアカネに話したことです」

 僕の言葉にヒマリは目を丸くする。

「まだ続きがあるの?」

「続きというほどでもないさ。これはもはや推理じゃない。ただの解釈だ」

「解釈?」

 僕はヒマリに向かってうなずく。アカネはメロンソーダを飲みながら僕を見守っている。なんとなく僕の言いたいことが分かるのだろう。

「昨日ヒマリには言ったけど、僕もマシロ先輩を立派な人だと思っていた。自分を犠牲にすることをいとわず、他人を愛する強い人だと思っていた。でも、本当にそうだったのだろうか?」

 ヒマリとミドリさんが息を呑みながら僕の話を聞いている。アカネは微笑ほほえみながらメロンソーダを飲んでいた。

「昨日の夜、思ったんだ。なぜ、マシロ先輩はヒマリにチケットを渡したのだろう? なぜ、僕たちをミドリさんのもとに向かわせ、自分の自殺の真相を明かすようなことをしたのだろう? ヒマリのためを思うなら、ミドリさんのように秘密にしていてもよかったんじゃないか?」

 僕は自分を落ち着けるようにブラックコーヒーを飲む。ヒマリやミドリさんも真似をするようにドリンクを飲んだ。

「『屋上事件』の時だってそうだ。『恋心は墓場まで』と言うなら、あんな手紙を書く必要はなかったはずだし、ヒマリを僕たちのもとに向かわせたかったとしても、あんなに大袈裟おおげさな計画を立てる必要はなかったはずだ」

 ヒマリはなにかひらめいたように目を見開いた。

「お姉ちゃんは、私たちに知ってほしかった?」

「そうだ。マシロ先輩は知ってほしかったんだ。自分がどんなに苦しんできたか。どんなに君を愛していたのか。知って、同情してほしかった。そして、感謝してほしかった」

 アカネがグラスを小さく揺らす。氷がぶつかり合う甲高い音がかすかに響いた。

「マシロ先輩はきっと、スーパーマンになりたかったんだ。大好きな人のために戦い、大好きな人に愛される、そんな人になりたかった。マシロ先輩が100日、1000日、10000日たった後で伝えたかった想いは、きっと優しさとか愛とか、そんな素敵なものじゃない。ただ、愛されたかった。そんな情けない想いだったんじゃないか? マシロ先輩は立派な人でも、強い人でもない。ただの不器用な人だったんじゃないかって、そう思ったんだ」

 ミドリさんは納得がいったような表情で2、3度首を振った。

「そうだった。アイツは優しかったけど、それ以上に不器用な奴だった。自殺したのがショックで、アイツをどこか聖人みたく扱ってたみたいだ。アイツは、いつもふざけてばっかで、やることなすこと滅茶苦茶で、その癖に人一倍繊細で、気弱で、甘えたがり屋で、それで……」

 テーブルに涙が落ちた。ミドリさんは声を殺しながら泣いた。ここ数ヶ月、ずっと我慢していたのだろう。涙を流すミドリさんを見て、ヒマリの目にも涙が浮かぶ。固く唇を結ぶヒマリの頭をアカネは優しく叩いた。

「貴女も泣ける時に泣いときなさい。世の中、強い人なんていないのよ。皆、弱さを抱えて生きてる。泣いたって誰も責めないわ」

 ヒマリの瞳に涙があふれた。ヒマリはかすれる声で泣き叫んだ。

「なんで、なんで自殺なんてしたの! なんで、私に言ってくれなかったの! お姉ちゃんが生きててくれるなら、いじめだって我慢できたのに! 生きてて、欲しかったのに……」

 泣き濡れる二人を前に、僕もなんだか泣きたいような気分になった。平静を装うようにコーヒーを飲もうとするが、マグカップは空だった。マグカップの底を見る僕の背中をアカネが叩いた。彼女は僕の顔をのぞき込むと目を細めて微笑ほほえんだ。

「私は泣かさないでよ」

 僕が首を大きく縦に振ると、アカネは柔らかい笑みで応えた。僕とアカネは、ヒマリの震える小さな背中をさすった。ヒマリは僕たちの顔を見ると、泣きながらミドリさんの服のすそつかんだ。店内の柔らかな静寂の中に、二人の泣き声が響き続けた。


 堺駅の改札までミドリさんは僕たちを送ってくれた。

「ヒマリ、またライブ見に来てね。もちろん、二人も一緒にね」

「いいんですか?」

「もちろん。アンタたちにはお世話になったし。それに、ヒマリの友達だしね」

 ミドリさんはチャーミングな笑みを見せた。ヒマリは満面の笑みで応える。

「うん。絶対行くからね」

「その時は……」

 ミドリはヒマリが背負うギターを指さした。

「また一緒に弾こ」

 ヒマリは目を輝かせて大きくうなずいた。

 堺駅から電車で新大阪、そして新幹線で名古屋に向かう。大阪が遠ざかってゆく。新幹線に乗車するとアカネとヒマリはすぐに寝てしまった。僕は二人の寝顔を眺め、大きく伸びをした。

 こうして僕らの長く熱い大阪旅行は幕を閉じた。







 

 




 

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