第拾肆話 夜景を見る彼女と恋人を見る彼氏

 言うまでもなく、デートなどに行く気分にはなれなかった。そもそもこんな雰囲気になることは分かっていたんだ。なんでデートの約束なんかしたんだろう。

「ヒマリ、どこいったのかしら」

 アカネが心配そうな顔をしている。普段ふざけてばかりのアカネだが、こういう時は誰よりも人のことを気にかけるのだ。

「手ぶらで出ていったんだから、遠くには行ってないさ。夕飯の時間には戻ってくるよ」

 僕たちは部屋でヒマリの帰りを待った。日が暮れるまでは3時間近くある。特に何かをするわけでもなく、くだらない話をして時間を潰した。

「なんだか、ヒマリに出逢う前を思い出すね」

「そうね。あの頃はいつもこうやって漫然まんせんと時間を過ごしていたっけ。最近はあの子のせいでだいぶ騒がしくなったけど」

 よく考えると、付き合い始めてからのほうが二人で過ごす時間が減ったような気がする。別にヒマリを責めるつもりはないが、もう少し二人だけの時間を作らなければと思う。そうでないと付き合い初めた意味がない。僕がもっと積極的にアカネを誘わなくては。

「アカネ、今度二人でどこか行かないか? せっかくの夏休みなんだ。デートの一つもないとカップルらしくないだろう?」

 アカネは一瞬考えるような素振そぶりを見せたが、すぐに微笑ほほえんでうなずいた。

「たしかに、このままじゃ本当に付き合ってるのか不安になってくるわよね。いいわ、どこに行くか考えとくわ」

 そんな話をしていると、いつの間にか日が落ちかけていた。部屋の扉が開く。アカネが温かい笑みでヒマリを迎い入れた。

「お帰り、ヒマリ。一緒にご飯食べましょ」

 ヒマリうつむきながら小さくうなずいた。


 夕食の間、アカネは時折得意の冗談をおり混ぜながら楽しい話をし続けた。少しでも場を明るくしようという彼女なりの優しさなのだろう。僕もアカネの話に反応しながら会話を続けたが、ヒマリの表情は一向に明るくならなかった。食事が終わると、アカネはヒマリを風呂に誘ったが、彼女は断った。部屋に重々しい静寂が訪れる。会話で空気を変えることができないと察したアカネは、食べ物の力を借りることにした。

「ねえ、ヒマリ。こんなときは美味しいものを食べるのが一番だわ。コンビニでスイーツでも買ってこようと思うけど、なにか欲しいものはある?」

「……プリン」

「プリンね。了解したわ。ホイップが乗った豪華なやつ買ってきてあげるから、楽しみにしてなさい」

 そう言ってアカネは部屋を飛び出していった。アカネがいなくなると、ヒマリは大きくため息をついた。あまり気を遣いすぎるのもよくないようだ。僕はゆっくりと腰をあげた。

「それじゃあ、僕は風呂に入ってこようかな。ヒマリは部屋でゆっくりしててね。ずっと外にいて疲れただろう?」

 ヒマリは小さく「うん」と呟いた。


 湯船にかりながら、僕はマシロ先輩のことを考えていた。彼女は自分の命を顧みずにヒマリを愛した。アカネはこれを残酷な愛と表現したが、僕はあの献身的な愛に、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。あれほど人が愛せたらどれほど幸せなことだろう。彼女の愛は数十日の時間をかけて最愛の妹に届き、そして彼女を幸せにした。今のヒマリがいるのは、まさしくマシロ先輩の献身のお陰なのだ。ヒマリだけではない。僕とアカネが恋人同士になれたのも、『屋上事件』がきっかけであり、したがってマシロ先輩の遺書が僕たちの間を結んだと言えるのだ。これを「革命」と言わずしてなんと言おう。

 そんなことを考えていると風呂場の扉が開いた。ヒマリがうつむきながら湯船に向かって歩いてくる。いつもなら有無うむを言わさず追い出すところだが、今日はそうもいかない。ヒマリは僕の横に腰を下ろした。

「ごめん。やっぱり一人でいるのはちょっと辛くて。かといって、アカネちゃんに気を遣われるのもキツいし、コーセーくんと二人ならって思って」

「いいけど、セクハラで訴えるのだけはやめてね」

「そんなことしないよ。それに、もう前に見られたんだし、今更でしょ」

 そう言ってヒマリは大きく伸びをした。大きく息を吐くと、僕の顔を申し訳なさそうに見た。

「ごめんね。私のせいでデートがご破産はさんになっちゃったでしょ?」

「いいよ。デートの約束ならもう取り付けてあるし」

「そう? ならよかった」

 ヒマリは足を少しバタバタさせる。あがった水しぶきを彼女はぼおっと見つめている。不意に彼女は僕にたずねた。

「ねえ。コーセーくんはさ、お姉ちゃんのこと、どう思う?」

「マシロ先輩のこと?」

「うん。私、お姉ちゃんに感謝すればいいのか、それとも怒ればいいのか、よく分かんなくって」

 ヒマリはバタ足をやめ、天井を見上げる。

「お姉ちゃんのお陰で今の私は幸せでいられる。だから、お姉ちゃんの分まで幸せになってあげようと思う」

 今度はうつむき、水面に映る自分の顔を見つめた。悲しみと戸惑いに満ちた顔だ。

「その一方で、お姉ちゃんの行動を全部肯定するのはなんか違うような気がして。もっと私に頼ってほしかったとか、自分を大切にしてほしかったとか、そういう気持ちもあって。だから、よく分かんない」

 僕はヒマリの頭を優しくでてやった。僕は前を向きながら語り始める。

「君のお姉さんは立派な人だよ。マシロ先輩は決して幸せな環境にはいなかった。周りからいわれのない罪をなすりつけられ、多くの苦しみを味わった。それでも、ミドリさんや君を愛した。そして、その愛で君を幸せにした。マシロ先輩は、強い人だよ」

 ヒマリは顔をあげ、僕の目を見つめた。僕は優しく彼女に微笑ほほえみかける。

「クサイ言い方だけどさ、君のお姉さんはココで生きてるんじゃないかな?」

 そう言って僕はヒマリの心臓のあたりを叩いた。

「コーセーくん、セクハラ」

「え!?」

「冗談。ありがとね。少し楽になった」

 ヒマリは悪戯いたずらっぽく笑ってみせた。


 部屋に戻るとすでにアカネが帰っていた。

「彼女の前で浮気とはなかなかやるじゃないの」

「ごめんねアカネちゃん。コーセーくん借りちゃって」

 申し訳なさそうにするヒマリに、アカネは柔らかい笑みを見せた。

「冗談。貴女あなたが元気になってなによりだわ。さっ、みんなでプリン食べましょ」

 プリンを食べ終わると、アカネは入浴をしに行った。アカネが入浴を終えて部屋に戻る頃には、ヒマリはぐっすり眠っていた。ずっと一人で外を歩き回っていたのだから、疲弊するのは当然だった。アカネはヒマリの寝顔を眺めながら静かにつぶやく。

「コーセー、ありがとね。私、人を慰めるの下手くそで。貴方がいてくれて助かったわ」

「僕はなにもしてないよ。ただ話を聞いてやって、ちょっと自分の意見を言っただけさ」

 まったくその通りだった。むしろヒマリのために奔走ほんそうしたのはアカネの方だったはずだ。僕はそう思うのだが、アカネは首を横に振る。

「貴方にとってはそれだけでも、ヒマリにとってはありがたいことなのよ」

「そうかな? それならいいんだけど」

 僕は窓の向こうで光る月を眺めた。夜空に浮かぶ半月は、かすかに光る星々従えながら燦然さんぜんと輝いている。僕はゆっくりと腰を上げた。

「アカネ、行かないか?」

「何に?」

 僕は扉の前で振り返り、怪訝けげんそうな彼女に笑ってみせた。

「デートにさ」


 僕たちは民宿を出ると、10分かけて坂を登った。少し開けたところに着くと、目の前には見事な夜景が広がっていた。浴衣姿の彼女が柵の方に駆け出していく。

「きれいね」

 アカネは柵にあごを乗せながら嬉しそうに夜景を眺めた。夜風が彼女のボブヘアを揺らした。夜景に照らされた彼女の横顔はとても美しかった。僕は彼女の横に行き、柵に腕を乗せると、彼女の顎を手にとり、こちらに向かせた。僕が顔を近づけようとすると、彼女が慌てて拒んだ。

「ええっと、その、キスが嫌とかじゃないのよ。むしろ、その、したいし。でも、なんていうか、その……らしくない」

「らしくない?」

 アカネはうなずき、もう一度夜景の方を向いた。

「私いっつもくだらないことばっか言うでしょ? でも、私の話に付き合ってくれる人なんて、今までほとんどいなかったのよ。でも、貴方あなたは違った」

 アカネは柵にもたれかかって、昔を思い出すみたいに話をした。

「私がバカなこと言うと、貴方あなたは苦笑いしたり、ツッコんだりして、最後に優しく微笑ほほえんでくれる。それが、私にとってはすごく嬉しかった。私はこの人に愛されている。この人なら、私の不細工な愛をきっと受け止めてくれる。そう思うことが出来た。貴方にとってはそれのことかもしれないけど、私にとっては、こんなにも幸せなことはなかったの」

 アカネは柵に頭を乗せ僕の方を見ると、白い歯を見せて笑った。恋人の笑顔は綺麗で、愛らしかった。

「だから、焦って恋人らしいことする必要ないわ。貴方あなた貴方あなたらしくいてくれれば、それでいいのよ」

 僕は心臓を射抜かれたような気がした。そうか、僕は焦っていたんだ。何かを与えないといけない、タダ飯を食っているようではいけないと、焦っていたんだ。でも、タダ飯を食うという行為にはまったく値打ちがないのだろうか? タダでいいから、誰かに食べてほしいと願っている人もこの世にはいるのではないだろうか?

 僕たちは誰かを愛したいと思う前に、誰かから愛されたいと願っている。一方的に愛を与えて、それで満足できる人間なんて、この世にはいないんだ。世界は双方向で出来ている。愛して、愛されて。それが恋ということではないだろうか? それが愛ということではないだろうか?

 僕は大きくため息をついた。

「ごめん。どうやら僕は空回りしてたみたいだ」

 アカネが悄気しょげる僕の背中を叩いた。

「いいのよ。そういう貴方あなたを受け止めるのも、彼女の役目でしょ?」

 七色に光る夜景の前で恋人たちは笑いあった。

 

 





 



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