第拾参話 愛を与える姉と愛を貰う妹

 ミドリが大阪に引っ越すことが決まってから1週間が経った。たまにどうしようもない悲しみが胸に充満する。ふとした瞬間に目に涙が浮かぶ。身を引き裂かれるような痛みを感じる。彼女と離れるのはとても辛いことだ。

 だけど、大丈夫。私はあの子のことを愛している。それが何よりも大切なことなのだ。離れていても、彼女は私の親友なのだ。

 それに、私の宝物はミドリだけじゃない。ヒマリ。パパが残してくれた最高の宝物。「死んでも死なない」つもりだが、あの子のためなら、私は死んでいい。そう思えることはとても幸せなことだった。


 ある日登校すると、遠藤さんから声をかけられた。「校舎裏に来い」。私は思わずため息をついた。やれやれ、またいじめか。よくもまあ飽きないものだ。私はゆっくりと腰をあげた。

「ねえ、この前さ、いい事聞いたんだよね」

「い、いい事?」

 遠藤さんは不気味な笑みを浮かべている。

「アンタさ、ライブハウスでバンドやってたんだって? 担任にバレたんだけど、なんとか他の先生に言うのはやめてもらえたんだよね? よかったねー」

「そ、それがなにか?」

「ねえ、このこと、学校中に流してもいい?」

 学校中か。ママには余計な心配をかけさせたくないから、親には話さないよう先生に頼んだが、生徒にバレる分には何の問題もない。多少、学校での立場が悪くなるだけだ。

「『まあ、いっか』って顔してるね。本当にいいのかな?」

「ど、どういうこと?」

「妹ちゃん、今年受験なんだって? しかも特待生希望。そんな時に、お姉ちゃんに黒い噂が立っちゃったらマズイんじゃないの?」

 私は唇を噛んだ。たしかに、姉の評判が悪いと妹に悪影響が及ぶかもしれない。クソ、言う事を聞くしかないか。

「それに、仮に特待生としてちゃんと受かったとしても、私がちょっと仲良くしちゃうかもだし。ね? 私の言う事聞くべきだと思わない?」

 コイツ、直接妹をいじめようとしてるのか。それだけはなんとしてでも阻止しなければならない。私は遠藤さんを鋭くにらみつけた。

「……分かったわ。何をすればいい?」

 遠藤さんはニヤッと笑った。

「友達になってほしいの」


 その日以来、私は遠藤さんの友達役をやらされた。少しでも演技が下手だと、裏で罵声ばせいを浴びせられた。そして、妹をいじめるぞと何度もおどされた。

「なあ、お前、やる気あんのか。もし裕也と付き合えなかったら、アンタの妹を死ぬほど辛い目にあわせてやるからな」

「つ、付き合えなかったらって、約束が違うじゃない! ただ、仲良くするだけでいいって……」

「口答えすんなよ。私にはな、けっこうこわーい友達がいるんだぞ。あのかわいい顔がどんな風になるのか、楽しみだな」

「そ、それだけは! 何でもするから、妹には手を出さないで!」

「じゃあもっと真剣にやれよ。妹ちゃん守りたかったらな」

 無理難題だった。山口くんが好きなのは彼女じゃなくて私だ。前は大勢で押しかけたからなんとか復縁できた。でも今回はそうはいくまい。せいぜい友達止まりがいいところだ。完全に詰んでいた。


 勘のいいミドリは私が最近浮かない顔をしていることにすぐ気がついた。私はなんとかかわそうと試みたが無駄だった。結局、全部白状した。

「ごめん、マシロ。私のせいでヒマリまで巻き込んで」

「前にも言ったでしょ。貴女のせいじゃないって。まあ、きっとなんとかなるわよ」

「なんとかなるって……やっぱり先生に言うべきだよ。このままじゃ、アンタがもたないよ」

「そんなことしたら、ヒマリがどうなるか分かんないでしょ。それに先生もきっと取り合ってくれないわ。大丈夫。私は死んでも死なないわ」

 私は笑顔を貼り付けてピースサインをしてみせた。


 3年生でもクラスが一緒だったのは不幸中の幸いか。彼女と頻繁に会うのは辛いが、その分仲良しアピールをしやすい。遠藤さんも気分がいい日が多く、罵声ばせいを浴びせることも減ってきた。

 ある日、ついに山口くんが私たちのクラスにやって来た。私たちが仲直りしたという噂をたしかめに来たのだろう。これで彼女の機嫌も少しはよくなるだろうか。そう思ったのもつかの間、遠藤さんは、一向に友達以上の関係に進めないことに苛つき始めた。

「なんでよ! いじめのことは許してくれたって言うのに、なんでりを戻してくれないのよ!」

「ほ、他に好きな人でもいるんじゃないかな?」

「なに? もしかしてアンタにれてるとでも言いたいの? もしそうなら、アンタの妹をメチャクチャにしてやるからね。停学くらっても構わない。徹底的にアンタを苦しめてやるわ」

 遠藤さんも、山口くんが私に気があることに薄々気がついていたのだろう。彼女半ばやけになっていた。彼女は徐々に目的を達成することよりも、私をいかに苦しめるかを考えるようになっていった。ヒマリのもとに被害が及ぶのも、時間の問題だった。


 そんなある日、下校をしようとすると、校門のところにモエが立っていた。誰かを待っているようだ。私? いや違う。あれは……

「モエ?」

 モエは肩をピクっとさせて驚いた。

「私を待ってた……わけじゃないよね。もしかして」

 モエはまっすぐな目で私を見た。やめてくれ。そんなに優しい目で見ないでくれ。

「マシロ、もう我慢しなくていいんだ。もうすぐ全部解決する。だからアンタは家に帰って……」

「やめて!!!」

 気がつくと私は叫んでいた。モエは目を丸くして驚いていた。しまった。彼女を傷つけてどうする。

「ごめん、大きな声だして。でも、大丈夫だから。私が自分でなんとかするから。だからお願い。手を出さないで」

 私は深々と頭を下げた。もし、モエが先生に報告しても、きっと取り合ってくれないはずだ。なにせ表面上はただ仲良くしているだけなんだから。それに、仮に誰かが動いてくれたとしても、逆上した遠藤さんが妹に何をしでかすか分からない。私がなんとかするしかないんだ。

「分かったよ。でも、そうだな……ゴールデンウィーク明けの5月8日までになんとかならなかったら、止めても言いにいくからな。分かった?」

 ゴールデンウイークか。どうせそれまでにはケリをつけないと、ヒマリに被害が及ぶはずだ。私は胸をなでおろしてうなずいた。


 やれるだけのことはやった。山口くんに遠藤さんと復縁するよう求めたが、復縁するどころか彼は私に改めて告白しようとしてきた。私は必死に断ったが、すると今度は、好きな人に振られてすぐに前の彼女とりを戻すなんて、とても出来ないと言ってきた。もっともだった。

 遠藤さんはもう完全にやけになっていた。教室でも私をにらみつけてくるようになった。彼女は不良友達に声をかけ、ゴールデンウィーク明けぐらいにはヒマリに手を出そうと計画していた。もうどうしようもなかった。


 5月7日。私はこの日を自分の命日に決めた。私が消えれば全てが丸く収まる。さすがに私が自殺をすれば、遠藤さんも計画実行を躊躇ちゅうちょするだろう。いや、これは言い訳なのかもしれない。本当は自分が消えてなくなりたいと思っているだけなのかもしれない。そう思うと、より一層自殺の決心が固まった。

 私は自殺の準備を始めた。死ぬ前に二人の顔を見に行こうと思い、サイコー新聞部に顔を出すと、偶然面白い手紙を見つけた。恐らくヨッシーのものだろう。一瞬間に私はある計画を思いついた。どうせ死ぬんだ。置き土産に恋心をのこしてやろう。それに、この計画はきっとヒマリやサイコー新聞部の二人の将来を明るくしてくれる。ヒマリには友達ができて、あの二人はカップルになる。なんて素敵なのだろう。3人のために死ぬのだと思うと、少しだけ幸せな気分を味わうことができた。


 5月7日の夜、私は自殺をした。練炭自殺。方法はスマートフォンで調べた。これでよかったんだ。かすれゆく意識の中で私は必死にそう思い込んだ。目を閉じると、色んな人の顔が浮かんだ。

 ワカ、とても温かい子だった。あの子の前ならいくらでも弱い自分をさらけ出せたんだ。

 モエ、思いやりのある子だった。他人なんか知らないって顔しながら、いつも私に気を遣ってくれた。

 ミドリ、私の親友。貴女あなたに会えたことが私にとって何よりの財産だった。

 ママ、親不孝な私を女手一つで育ててくれた。私に使うはずだったお金は、ヒマリに使ってあげてね。

 ヒマリ、私の宝物。学校でどんなに嫌なことがあっても、貴女あなたがいたから私は生きていけたの。

 ああ、懐かしいギターの音がする。パパ、私に誰かを愛することを教えてくれた人。最愛の娘をのこして死んでいくのはどんなに辛かったろう。パパ、今行くからね。一緒に歌おう。何を歌おうか。そうだ、あの歌にしよう。andymoriの『Peace』。私とパパが一番好きだった曲。私は曖昧な意識の中で口ずさみ始めた。


 曲が終わる頃には、彼女は事切れていた。


「細部は分からないけど、きっとこんなところだろう」

 ヒマリはうつむきながら僕の話を聞いていた。彼女は唇を噛み、両手のこぶしを強く握りしめると、大きく息を吐き腰を上げた。

「……ごめん。一人にしてもらってもいいかな」

 傾きかけた陽がヒマリの背中を照らした。彼女が部屋を出ると場に静寂が訪れた。重々しい空気が僕たちの身体を包んだ。アカネが小さくつぶやいた。

「まったく、残酷な愛ね」

 






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