第6話 ヒーロー

「ヒーローって、あのヒーローですか?」

 ヒマリは目を丸くして言った。ヒーローといえば、弱きを助け強きをくじく勇敢な戦士のことだ。あの牧玄弥がマシロ先輩のヒーロー? 三つ編みの3年生は意外そうな顔をして、

「あれ? 知らないの? 『屋上事件』で牧くんは島崎さんを救ったのよ」

「『屋上事件』?」

「そう、屋上で始まったから『屋上事件』。そのまんまでしょ? そうね、何から話そうかしら……」

 三つ編みの3年生は昔を思い出すように話し始めた。


「『屋上事件』の発端ほったんは3月11日の放課後、屋上で起きたわ。島崎さんは野球部のエースで次期キャプテンと言われていた山口裕也やまぐちゆうやくんを呼び出したの。言うまでもなく、愛の告白をするためよ。でも、その告白はうまくいかなかった。

 彼女の告白計画はクラスの皆にバレていたの。そして、クラスの中心メンバーの一人だった遠藤美和子えんどうみわこさんは、島崎さんの告白を阻止しようと考えた。遠藤さんは山口くんの元カノで、彼とは数ヵ月前に喧嘩別れしてたの。彼女、けっこう気が強い子だったから。

 遠藤さんがりを戻そうとするのを、彼女と仲が良いクラスメイトたちは皆応援した。そして、島崎さんをまるで遠藤さんの恋路こいじを邪魔する悪女のように見做した。島崎さんはクラスでは目立つ方ではなかったから、味方が少なかったの。

 島崎さんがまさに告白しようとしたその時、遠藤さんは屋上の扉を開けて『ちょっと待って』と叫んだ。後ろには遠藤さんを応援する大勢のクラスメイト。流れは完全に遠藤さんの方に傾いた。あんなに喧嘩の仲裁人ちゅうさいにんがいたら、断る方が難しいわよね。結果、山口くんは遠藤さんともう一度付き合うことになった。クラスはお祭り騒ぎ。結婚披露宴けっこんひろうえんみたいな雰囲気だったわね。

 一方の島崎さんは「好き」の一言も言えず、おまけにクラスメイトからは完全に敵扱い。机を教室の外に運び出されるようないじめも起こった。しかも山口くんがいないところでやるんだから陰湿いんしつよね。もし山口くんがいじめに気づいたら、温厚な彼がいじめをやめるよう言うことは明らかだったから。

 そんな島崎さんを救ったのが、牧くんだったの。牧くんは同じ野球部の山口くんにいじめを報告し、遠藤さんを中心とするクラスメイトたちにいじめをやめるよう言わせた。もちろん、牧くん本人も声をあげた。牧くんの友だちにも協力をあおぎ、一大勢力を築きあげた。結果、遠藤さんたちは一気にクラスの悪者になり、山口くんと遠藤さんは破局。山口くんは島崎さんに深謝しんしゃした。こうして島崎さんはクラスでの立ち位置を取り戻した。これが世に言う『屋上事件』よ」


 チラとヒマリの方を見やると、彼女の手が震えていた。姉をいじめた遠藤さんたちへの怒りか。それとも、姉の苦しみに気づけなかった不甲斐ふがいない自分自身への怒りか。

「島崎さんと牧くんは幼馴染と聞いていたし、この事件をきっかけに付き合ってもおかしくないとは思っていたけど、まさかサイコー新聞で牧くんを屋上に呼び出していたとはね……サイコー新聞なんて普段読まないから気づかなかったわ」

 分かってはいたが、サイコー新聞を読まないことは言わないで欲しかった。これでも一応、毎月それなりに骨を折って作っているのだ。それを普段読まないなんて言われたら、それこそ骨を折られたように痛い。とはいえ、情報は十分得られた。私たちは三つ編みの3年生にお礼を言ってその場を去った。


「牧玄弥の話と三つ編みの人の話、そしてあのラブレターの3つを、三つ編みの如くより合わせるとこうなるわね。まず、マシロ先輩は小学生か中学生の頃に牧玄弥に片思いをしていた。ところが、彼と付き合うのは無理だとなかば諦め、高校では山口裕也にシフトチェンジ。そしたら、あの『屋上事件』が起きてしまった。結果、山口裕也と付き合うことは出来なかったものの、牧玄弥が自分のヒーロー的存在になってくれた。舞い上がったマシロ先輩は牧玄弥に告白するも振られてしまう。最終的に、長年の片恋かたこいはかなく散った悲傷ひしょうから自殺。まるでジェットコースターのような恋ね」

 私が棚の上のリナリアの花を眺めながら、半ば感心したように言うと、ヒマリが小さく唸った。まだ何か納得がいかないようだ。

「でも、失恋が原因で自殺するとはやはり思えません。よほど手酷てひどい振られ方をしたのなら別ですけど、牧先輩だって姉を突き放すような言い方で告白を断ったわけではないでしょうから」

貴女あなたは恋をしたことがないからそう言えるのよ」

「なんで私の初恋がまだだと断定できるんですか?」

「いや、何ていうか……ちっちゃいし」

「ちっちゃくても恋は出来ます!」

 ヒマリは半泣きになりながら訴えかけた。どっちの「ちっちゃい」を気にしているのか分からないが、相当コンプレックスに感じているらしい。そう思っているとヒマリが少しねた顔で言った。

「でも中村先輩だって、失恋をしたことはまだないでしょう?」

 たしかにそうだ。恋をしたことはあるが、失恋をしたことはない。実ることも枯れることもない、造花のような私の恋だ。

「そんなに納得がいかないなら、コーセーにも相談してみたら? アイツ、あれでもけっこう頭切れるのよ。多分童貞だし、恋にはうといけど」

 コーセーは温厚を絵に書いたような性格で、司会役や仲裁役に回ることが多いが、一人で考えさせるとなかなか深い思索や鋭い推理することがある。

「そうですね。処女2人と童貞1人とはいえ、三人寄れば文殊もんじゅの知恵と言いますし、きっとこの恋の謎も解くことが出来ますよ。そうだ! 明日私の家に来ませんか? 月曜日に考えてもいいんですけど、なんというか、待ちきれないというか……」

 元来がんらいせっかちな性格なのか、それとも姉の死が絡んでいるから気がいてるのか。どちらにせよ、明日は暇だし、コーセーも塾はなかったはずだ。断る理由がない。

「しかたないわね。明日の朝、裏口から侵入してあげるわ」

「お願いですから表から上がってきてください」

「注文の多い料理店ね」

「うち、料理店じゃありませんし、服を脱がしたり、体に塩をかけさせたりもしません」

「分かったわ。あらかじめ服を脱いで、体に塩をかけた状態で来店するわ」

「道中で逮捕されても知りませんよ」

 ヒマリは絶対零度ぜったいれいどの眼でこちらを見る。開いた窓から冷たい風が吹き抜けた。寒気を感じるのはきっと風のせいだろう。そう思いながら窓の外を見るとすっかり日が暮れてしまっている。私たちはそそくさと帰り支度をして解散した。

 


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