第5話 牧玄弥

 翌日の放課後、ヒマリは第2多目的室に駆け込んできた。

「調べてきました! ってあれ? 原田先輩は?」

「コーセーは私の腹の中よ」

「中村先輩はおおかみですか?」

 ヒマリは意外とツッコミが鋭いのでボケ甲斐がいがある。

「うそうそ。今日は塾に行ってるわ」

 コーセーは塾に通っているので毎日は部活に来れない。週3日といったところか。残りの2日は私もすぐ帰宅するのだが、今日は帰らず部室に寄った。ヒマリが来るだろうと思ったからだ。

「で、何か分かったの?」

 私がたずねると、ヒマリは上機嫌じょうきげんで答えた。

「はい。姉の幼馴染でこの高校に入学していた生徒は一人しかいませんでした。牧玄弥まきげんや先輩。小・中学校が同じで、家も近所です。と言っても、姉と深い関わりがあったわけではありませんが。現在は野球部に所属しているそうです」

「牧玄弥……玄弥って言ったら透明っていうより黒だと思うけどね」

 玄弥の「玄」は黒を意味する。透明と黒だと正反対のような気がするが……

「でも、黒にもシークレットというイメージはありますよ」

 なるほど。たしかに、黒塗くろぬりの車なんかはスパイが乗ってそうで、まさにシークレットという感じだ。黒も透明も表裏一体ということか。

「とにかく、牧先輩に話を聞きに行きましょう。牧先輩のクラスは3年1組です」

 私が了承する前にヒマリは教室を飛び出していった。やれやれ、付き合ってやるか。私はゆっくり腰を上げた。


 私が3年1組に到着すると、ヒマリは既に誰かと話し込んでいた。ヒマリの倍はあるのではないかと思ってしまう高い背丈、野球部員であることを象徴する坊主頭、少し無愛想ぶあいそうな顔。恐らくあれが牧玄弥なのだろう。ヒマリは私に気づくと手招きした。

「こちら、私の部活の先輩、中村茜先輩です」

 ヒマリの自己紹介に合わせお辞儀をする。牧玄弥まきげんやも小さく頭を下げた。

「それで、どうだったの?」

 私がヒマリにくと、牧玄弥が話し始めた。

「俺から話すよ。さっき彼女にも言ったんだけど、俺はたしかにマシロから告白されたよ。でも断ってしまってね。まさかその数ヶ月後にマシロが自殺するとは思っていなかったんだ。俺から振られたのがショックで死んだんだとしたら、申し訳ないことをしたと思うよ」

 牧玄弥は顔に罪悪感をにじませていた。やや無愛想ぶあいそうだが、悪い人ではないらしい。

「野球場の上は見ましたか?」

「野球場の上? ああ、一応見たけど、何もなかったよ。本人にも聞いたけど、どういう意味か教えてくれなかったんだ」

 あの手紙の意味は分からずじまいか。でも、これで「透明なあなた」の正体も、マシロ先輩の自殺の原因もはっきりした。マシロ先輩は、牧玄弥まきげんやに振られたショックで自殺したのだ。

「教えていただきありがとうございました。ほら、ヒマリも行くよ」

 私が牧玄弥にお辞儀をし、第2多目的室に向かおうとすると、ヒマリは沈鬱ちんうつな表情でついてきた。


「どうしてそんな顔してるのよ? 自殺の原因が解明されて喜ぶところじゃないの? 別に裸で踊り狂ってくれてもいいのよ」

 私が地球儀を回しながら言うと、ヒマリは不満そうな顔で抗議した。

「だって、おかしいと思いませんか? そりゃあ、失恋は痛いでしょうけど、それだけで自殺するとは到底とうてい思えません」

「あのラブレターを見る限り、そうとう牧玄弥にくびたけだったらしいし、失恋のショックで自殺してもおかしくないんじゃない?」

「じゃあ、中村先輩も原田先輩に振られたら自殺しますか? 中村先輩も原田先輩にくびたけですし」

「……しないわよ、多分」

くびたけのところは否定しないんですね」

 私はほおを膨らませながら地球儀を回し続けた。この娘、順良じゅんりょうそうな顔をして意外と口がうまい。それに、私がコーセーに惚れているのにいつ気がついたのだろう? 私はヒマリをにらみつけた。

「いい? もしコーセーに言ったら、貴女あなたってやるわよ。実は私、狼男おおかみおとこならぬ狼女おおかみおんななんだから」

「言いませんよ。でも、なんで告白しないんですか? それなりに付き合いは長いのでしょう?」

「だからこそよ。今のなんとなくの関係性が心地いいの。だから邪魔しないで」

 ヒマリは呆れた顔をしてみせた。たしかに恋人同士になれたらと思わないこともない。ただ、もし告白してコーセーとの関係が断絶すれば、私はその日から一人で学校生活を送らなければならなくなるのだ。人間関係において最も肝要なのは、お互い付かず離れず、無難ぶなんな付き合いをすることなのだと、私は心得ている。

「そうだ! 3年1組にもう一回戻って、他の人にも話を聞いてみるのはどうでしょう? 色恋事いろこいごと赤裸々せきららに話すことを躊躇ためらう人もいますし、牧先輩が嘘をついていた可能性もあります」

 私は大きくため息をついた。

「いいわ。今日は貴女あなたにとことん付き合うわよ」


 もう一度3年1組に戻ると牧玄弥はもういなかった。きっと帰ったのだろう。ヒマリは教室の前にいる三つ編みの3年生の女子に話しかけた。

「すいません。1年3組の島崎向葵です。少しお話を伺いのですがよろしいですか?」

「あれ? もしかして、島崎さんの妹さん? どうしたの?」

「姉のことについて聞きたいことがあるのです。実は.……」

 ヒマリが事の顛末てんまつを話と、その女子たちは目を丸くした。

「やっぱり島崎さん、牧くんのことが好きだったのね?」

「やっぱり?」

 どういうことだ? マシロ先輩と牧玄弥は関係が浅かったはずだが……はと豆鉄砲まめでっぽうを食らったような顔をしていると、三つ編みの3年生が快活に言った。

「だって牧くんは、島崎さんのヒーローだもの」



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