第4話 屋上

 島崎さんは怪訝けげんそうな顔をした。

「たしかに、『いつでも待ってます』とは書いてありますけど、姉は死んでるんですよ?」

「だからこそよ」

 島﨑さんがさらに眉をひそめる。ああ、なるほど。そういうことか。

「もしこの手紙が手がかりなら、これは自殺を決心した後に書かれた可能性が高い。それでも『いつでも待ってます』と書いたということは、何かしらのメッセージを屋上に残しているということだ。自殺した後でもちゃんと気持ちが伝えられるようにね。そういうことでしょ?」

 アカネがもう一度指を鳴らした。見事な指パッチンだ。僕が部室に来る直前までこっそり練習していただけのことはある。

「でも、もうすでに告白は行われたという可能性はないですか?」

「だとしても、行く価値はあるわ」

「どうしてですか?」

「だって、そもそも屋上で『いつまでも待つ』なんて不可能だからよ。毎日毎日ヨッシーから鍵を盗むって言うんなら別だけどね」

 島崎さんが合点がてんがいったような表情を見せる。僕もアカネが意外と鋭い推理をすることに驚いた。いつもボケてばかりだから忘れてしまうが、アカネは妙に勘が鋭いところがある。

「つまりマシロ先輩は確実に何らかのメッセージを残している。もう一つの手紙のことも考慮すれば、恐らく野球場の上を見れば何か分かるんだろう」

「では、吉川先生に鍵を借りて屋上に行ってみましょうか。ええっと……」

「アカネ。中村茜なかむらあかねよ。こっちはポチ」

 僕は机の下で軽くアカネのすねを蹴る。アカネは脚を抱えて飛び上がった。

「僕は原田康青はらだこうせい。よろしくね、島崎さん」

「ヒマリでいいですよ。こちらこそよろしくお願いします。中村先輩、原田先輩」


 僕たち3人は、職員室に向かった。職員室に着くと、鍵を借りに来たのだろう、職員室から出てきた野球部員とすれ違った。「失礼します」と言って入室すると、吉川先生がショーコ先生から何か注意を受けていた。ショーコ先生は若い女性の先生で、吉川先生とは同期らしい。背が高く秀麗しゅうれいな女性だ。吉川先生は、銀色の眼鏡のブリッジを触りながら、決まり悪そうにしていた。

「あの、吉川先生。屋上の鍵を貸してほしいのですが」

 僕が頼むと、吉川先生は当惑とうわくした様子で、

「えっ、屋上? いや、その、屋上はちょっと…」

 僕の後ろから、ヒマリが飛び出してきた。

「先生、お願いします! 私、どうしても屋上に行かなくてはいけないんです!」

 ヒマリがわけを話すと、吉川先生は頭をきながら、

「そうは言ってもねぇ……この前生徒に屋上に侵入されて、こっぴどく叱られたっていうのに、また生徒を屋上に入れるのはなぁ……それに、屋上には何もないと思うよ。僕、屋上の掃除当番なんだけど、それらしいものは見たことはないし」

 ヒマリが落胆するとショーコ先生が、

「そういえば吉川くん、今日の掃除は済んだの?」

「えっ、いや、まだだけど……」

 ヒマリが目を輝かせながら手を挙げて言った。

「先生! 私たち手伝います!」

 それを聞いたアカネは、まっすぐな目をしながら手を挙げて、

「先生! 私は手伝いません!」

 僕はアカネのすねを軽く蹴った。寛仁かんじんな僕はさっきと同じ脚の同じところを蹴ってやる。アカネは脚を抱えて大きく飛び上がった。

 ヒマリの発言を聞いて、ショーコ先生は満足そうに言った。

「よかったじゃない吉川君。島崎さん、掃除頼んだわよ。それと、君たちは……サイコー新聞部ね」

「はい、そうです」

「そういえサイコー新聞部には顧問がいないって言ってたわね。吉川くん、やってあげたら?」

「え!?」

「だって可哀想かわいそうじゃない。私はバレー部の顧問やってるから出来ないし……お願い、吉川くん」

「うっ……しょうがないなぁ」

 アカネは小さい声で「鼻の下伸ばしてらあ」と言った。たしかに少し気持ち悪……うわついた表情をしている。アカネは吉川先生の脚を軽く蹴った。

「ほら、さっさと行くわよ、ヨッシー」

 吉川先生は我に返り、職員室の壁に掛けられた鍵を取った。


 僕たちは掃除道具を持って屋上に向かった。

「本当に何もないわね」

 たしかに何もない。あるのは貯水槽ちょすいそうと小さな倉庫だけだ。

「そうでしょ? だから手がかりなんてないと思うんだけど……」

 吉川先生の言葉を無視するかにように、ヒマリは野球場が見える位置まで駆け出していった。僕も小走りで追いかける。

「野球場の上には……何もないかぁ」

 ヒマリは項垂うなだれた。よく考えれば当たり前だ。野球場の上には空と夕日と雲しかないのだから、メッセージを残しようがない。

「掃除してれば何か見つかるかもしれないわよ」

 ほうきを掃きながらアカネが言った。「私は手伝いません」なんて言っておきながら、一番掃除する気があるのはアカネなのかもしれない。僕たちもほうきで辺りを掃き始めた。僕は掃除をしながら、あの2つのメッセージについて考えていた。

「そもそも、なんで屋上なんかにメッセージを残そうとしたんだろう? 屋上に入るためには吉川先生から鍵を盗む必要がある。メッセージを残すならもっといい場所があったはずだ」

「だからこそ、愛の告白にはうってつけなんでしょ。絶対に誰にも邪魔されないから」

「これだけ探してもメッセージが見つからないですし、やっぱり直接告白したんじゃないですか?」

 たしかにヒマリの言う通りだ。メッセージは見つからないし、屋上という誰にも邪魔されない場所を指定しているということは、直接告白したということかもしれない。『いつでも待ってます』というのはただの誇張表現だったか。

「そうなると、マシロ先輩の幼馴染に直接話を聞きにいったほうが早いかもね」

「そうですね。帰ったら、中学の卒業アルバムと高校のクラス分け表を見比べて、この高校に姉の幼馴染がいないか探してみます」

 僕はうなずいた。それが最善の手のはずだ。しかし……僕は赤い夕日を見ながら考えた。では、マシロ先輩のあのメッセージ、「屋上に来たら、野球場の上を見ろ」とは、いったい何を意味しているのだろう? マシロ先輩は、「透明なあなた」に、そして僕たちに、いったい何を伝えたかったのだろう?


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