第7話 ロック

 けたたましい目覚まし時計の音で目が覚めた。7時30分。静謐せいひつな休日の朝だ。いつもなら二度寝するところだが、今日はそうはいかない。リビングで朝食を済ますと、クローゼットの中を散々漁あさり、私が持っている中で最もマシな服であろう赤い花柄のワンピースを着た。家を出る前、鏡の前で髪を整える。ふと、コーセーの顔とヒマリの長いポニーテールが思い浮かんだ。髪、もう少し伸ばそうかしら。

 私はヒマリから送られた住所を頼りに彼女の家に向かうと、約束の時間の20分も前に目的地に着いてしまった。ヒマリの家は閑静かんせいな住宅街の一角にある、ごく普通の一軒家だ。

 インターホンを鳴らすと、ヒマリのお母さんが扉を開けた。柔和にゅうわな顔立ちの優しそうな人だった。

貴女あなたがアカネちゃんね。どうぞ中へ入って」

 「お邪魔します」と言いながら中に入る。家の中は妙に寂然じゃくねんとしていた。ヒマリは外出しているのだろうか?

「ごめんなさいね。ヒマリは今、お菓子買いに行ってるのよ。何も無いと悪いだろうって。それにしてもよく来てくれたわね。あの子ったら、この頃、貴女あなたたちの話ばっかりしてるのよ。アカネちゃんが、コーセーくんが、って」

 姉の自殺の真相を突き止めるためだけに仕方なくサイコー新聞部に入ったのだと思っていたが、案外この部活のことを気に入っているらしい。それと、家では私のことを「中村先輩」ではなく、「アカネちゃん」って呼んでるのか。なかなか可愛らしいじゃないか。

「少し前、マシロにあんなことがあって、あの子とても沈んでたの。姉と一緒の高校に行けるって楽しみにしてたから……一時期は食事も喉を通らなくってね、学校にも行かなくなるじゃないかってすごく心配してたの。だけど、部活に入ってからはすっかり生気を取り戻してね。最近は溌剌はつらつとした様子で学校に行くようになったの……だから、貴女たちには本当に感謝しているわ。これからも、あの子をよろしくお願いします」

 お母さんは深々と頭を下げた。私も慌てて頭を下げた。


 ヒマリの部屋は二階にあった。部屋に入ると、大量の参考書が置かれた本棚が目についた。参考書が置かれた棚は、まさに生真面目なヒマリのイメージを体現していた。棚の片方には扉がついている。なんだろう? 興味本位で開けてみると、中には大量の音楽アルバムが入っていた。カネコアヤノ、ASIAN KUNG-FU GENERATION、ナンバーガール、サニーデイ・サービス、andymori、fishmans、ゆらゆら帝国……アジカンぐらいしか分からないが、全部邦ロックバンドのアルバムだろう。ヒマリのイメージに違うものが出てきて、不意をつかれたような気分になる。この発見で火をつけられた私は、押入れに手を伸ばした。中を開けるとアコースティックギターが置かれている。ギターを抱えたヒマリを想像してみた。学校での優等生島崎向葵とはまるで別人だ。


 しばらくすると、コーセーとヒマリが部屋にやって来た。道中で会ったのだろう。コーセーは青のフランネルシャツに黒いジーンズというシンプルな出で立ち。ヒマリは普段と違い、髪を下ろしていた。白のニットに黄色のジャケット、水色のジーンズというスタイリッシュな格好からは、ファッションへの拘りを感じる。やはり学校とプライベートでかなり顔を使い分けているようだ。

「中村先輩、お待たせしてすいません」

 ヒマリがそう言うと、私は少し意地悪な言い方で

「『アカネちゃん』じゃないの?」

 ヒマリはひどく赤面した。


 私たちははカーペットの上に座り、ヒマリが持ってきた小さな丸テーブルを囲った。テーブルにはヒマリが買ってきたお菓子が置かれている。

「原田先輩、アカネちゃ……アカネさん、今日は来ていただきありがとうございます。休日に呼び出してしまい申し訳ありません。でも、どうしても、居ても立っても居られなくて」

 アカネ「さん」か。別に「ちゃん」でも構わないんだけど、まあいっか。

「構わないよ。僕も早く昨日の話を聞きたかったんだ。それと、僕もコーセーでいいよ」

 ヒマリはまた頬を赤く染めた。私たちと距離を詰めたいと思っていたことがバレて恥ずかしいらしい。いつものヒマリは私たちにおくせず意見をするりんとした少女なのだが、いまのヒマリはなかなかにいじらしい。ヒマリは羞恥心しゅうちしんまぎらわすかのように、一つ咳払せきばらいをした。

「では、早速昨日の話を……」

 話し始めようとするヒマリを、私は手で制した。狼女おおかみおんなの私は、幼気いたいけな少女を見るとついつい虐めたくなるのだ。

「ところでさ、一つ聞きたいことがあるんだけど」

 ヒマリは不思議そうな顔をした。

「ヒマリ、趣味はなに?」

「趣味ですか? そうですね……読書とかですかね。残念ながら、あんまり大した趣味は持ち合わせていないんです」

「あれ、ロックじゃないの?」

 ヒマリは豆鉄砲まめでっぽうを食らったような顔をした後、何かに気づいたのか、見る見るうちに顔が紅潮こうちょうしていった。人間あそこまで顔が赤くなるものなのか。

「アカネさん、まさか!?」

 私は意地悪な顔をしてヒマリの背後にある扉つきの棚を指さす。

「人の趣味をのぞき見するなんて最低です!」

 ヒマリは涙目で叫んだ。よっぽどバレたくなかったのか。

「ていうか、ヒマリってギター弾けるのね。学校だと堅物かたぶつ委員長って感じだったから意外だったわ」

「まさか押入れまで!?」

 話の意味を理解したコーセーが拳骨げんこつで叩いた。手加減を忘れたのか、かなり痛い。

 ヒマリは悄然しょうぜんとしながら、

「優等生を演じるのもけっこう大変なんです……」

つぶやいた。正義感と明るさが取り柄の溌剌はつらつとした少女だと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。私たちの知らないところで色々苦心しているようだ。ヒマリは一つ息を吐くと顔を上げ、私をにらみつけた。

「というか、いびつな恋愛観を持っている人に、趣味をとやかく言われる筋合いはありません」

「恋愛観?」

「ちょっと、ヒマリ!?」

 まさか腹いせに私がコーセーに片思いをしているのをバラすつもりなんじゃないか……頼むからバラすのは恋愛観だけにしてくれ。

「アカネさんの恋愛観は『恋心は墓場まで』だそうですよ」

「『恋心は墓場まで』……なんだかアカネらしいや」

 好きな人に告白しないのが私らしいと言われると、なかなかに複雑な気分になる。たしかに告白するつもりはないのだが、もし、万が一告白するとしたら、それはコーセーにとって、私らしくない行為なのであって、コーセーにとっての私らしさを大事にするなら、告白しないのが正解なのであって……私はいったいどうすればいいのだろう……

「らしい、かぁ……」

 落ち込んだ様子で、そうつぶやく私を見て、ヒマリは必死に笑いを堪えていた。

 

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