第2話 新入部員

 掛け時計はちょうど16時半を指している。カチカチという秒針のかすかな音をかき消すように、屋上のカラスがけたたましく鳴いた。耳をますと軽音楽部のギターの演奏の音も聞こえる。あれは、ナンバーガールの『タッチ』か。

 掛け時計の隣には、世界遺産の写真がついたカレンダーが掛けられている。

「ちょうど一ヶ月前か」

 カレンダーを見ながら、アカネは小さくつぶいた。今日は5月18日。ポテトチップスのうず塩味くらいには平凡な水曜日だ。あっさりしていて、少ししょっぱくて、それでいて決して飽きることのない、日常の1ページ。

「何が1ヶ月前なの?」

 本に目をやったまま僕は訊ねた。

「岡田たちが屋上に侵入した日よ」

 アカネは棚の上の地球儀をクルクルと回しながら答えた。岡田はクラスの問題児たちの中心人物だった。155cmにギリギリ満たない身長では棚の上に届かないのか、わずかに背伸びしているのが愛らしい。彼女のボブヘアが風で少し揺れた。

 僕は読んでいた本を机に置いた。『旅のラゴス』。古本屋で見つけて何も考えず買った本だ。裏表紙には値札のシールがったままになっている。無理にがそうとすると裏表紙が破けそうだったので、そのままにしているのだ。

「どうやって侵入したの? 扉でも蹴っ飛ばした?」

 僕は岡田がアクション映画さながらに扉を蹴破るシーンを想像してみた。想像の中の岡田は扉を思いっ切り蹴った結果、無惨むざんにも跳ね返され、脚を痛めて悲鳴をあげている。想像とはいえ、少し可哀想かわいそうに思えてきた。

「そんな訳ないでしょ。ヨッシーの鍵を盗んだのよ」

 ヨッシーとは、僕らの担任の吉川よしかわ白秋はくしゅう先生のことだ。白秋という名前から想像がつく通り、担当教科は国語。背が低くせ気味で、いかにも文弱ぶんじゃくといった感じの新人教師だ。1年生の頃にもお世話になっているので、僕たち2年生の中には気安くヨッシーと渾名あだなで呼んでいる生徒が多い。まあ正直に言ってしまうとめられているのだ。

「で、岡田たちはどうなったの?」

「さあね。職員室でバケツでも持たされたんじゃない? あるいは、30分逆立ちも悪くないわね」

 いつの時代の話だ。っていうか「悪くない」って、嗜虐趣味しぎゃくしゅみでもあるのだろうか? 皮のむちを持ったアカネを想像してみる。ちょっと似合いすぎだ。アカネとむちは混ぜるな危険に違いない。

 僕は置いていた本をもう一度取り上げようとしたが、ある疑問が浮かび手を止めた。

「屋上には何があるんだろう?」

「さあね。貯水槽と……後は何だろう。落書きとか? まあ、大したものはないでしょうね」

「いい休憩所にはなるんじゃない?」

「屋根が無いから、雨降ったらヤバイでしょ。それに晴れでも直射日光で暑いし、休憩所としても最悪よ。まあ、愛の告白なんかにはうってつけかもね」

「意外とロマンチストなんだね」

 屋上でむちを片手に告白するアカネを想像する。屋上での愛の告白とアカネとの間には、この世と天国ぐらい距離があると思うのだが……墓場で告白とかならまだありえそうだ。

 そう思っていると、アカネは地球儀の台座で僕の頭を軽く叩いた。かなり痛い。これならむちのほうがマシだ。

「失敬なこと考えてるからよ。ていうか、休憩所なら教室で十分じゃない。例えば、こことか」

 僕はあたりを見回した。第2多目的室。彩雅さいが高校の南校舎3階、階段を上がった先に続く廊下を突き当たりまで進んだところに人知れず存在する空き教室。教室の中央にある机と壁際の棚、それ以外はほとんど何もない。まさに絶海の孤島。あまりに彩りがないので、僕が花瓶と花をわざわざ買って来たぐらいだ。一応、我らが彩雅さいが高校新聞部、通称「サイコー新聞部」の部室ということになっているが、部員は僕とアカネだけだったし、僕らはまともに部員として活動していなかったから、実質ここは僕らの休憩所だった。

「じゃあ、なんで岡田たちは屋上になんて行ったんだろう?」

「さあね。学校に対する反抗心から? 反抗なんてくだらないと思うけどね」

 アカネは地球儀を棚の上に戻しながら言った。隣には花瓶が置いてあり、リナリアの花が咲いている。彼女はそのスレンダーな体をもたせながら僕の方を向いて立った。彼女の顔は半分が夕陽に照らされ、もう半分は暗い影で覆われている。

「まあ、でも、反抗することによって、ある種の『席』を得ることは出来るのかもね。何々に反抗しているグループの一員、みたいな。ちゃちな『席』だけど、まあ、無いよりはマシよ。『席』があるって、けっこう大事なことよ」

 そう言って、アカネは僕の正面の席に腰を下ろした。アカネの眼が僕を見つめる。黒くて大きな眼だ。じっと見つめていると、何だか吸い込まれそうな気がする。


「ところでさ、サイコー新聞部、廃部になるんだって」

「はあ!?」

 僕は持ち上げようとしていた本を床に落としてしまった。ガタっという音が教室全体に響いた。

「いや、なんで!?」

 というか、そういう大事なことは先に言ってくれ。呑気のんきに屋上の話なんかしている場合か。

「部員が一人足りないことと、顧問の先生がいないことがマズイんだって。今朝、生徒会の子に言われたのよ」

「生徒会の子?」

「そう。ちっちゃくて愛らしい子だったわよ」

 そういってアカネは手で、「このぐらい」とその子の身長を示した。いや、それじゃあ100cmもないんじゃないか?

「顧問はともかく、部員が足りないって……サイコー新聞部に入りたい人なんているのかな?」

「それがいるのよ」

「誰?」

「その生徒会の子よ」

「はあ?」

 意味が分からない。廃部を宣告してきた生徒会の子が入部してくるって、いったいどういうことだ?

 すると突然、ガラっという音がした。教室の扉が開いたのだ。教室の前には、小さな少女が立っている。長いポニーテールが大きく揺れた。胸元の黄色いリボンから1年生だと分かる。訪問者は、はっきりとした声で言った。

「失礼します。ここはサイコー新聞部ですよね? 私、生徒会の島﨑向葵しまさきひまりです。入部志望で来たのですが」

 僕とアカネは顔を見合わせた。

「ほら、いった通りでしょ?」

「確かにちっちゃいね」

「そうでしょ? それにあの胸、Aカップは間違いないわ」

「確かにちっちゃ……着痩せするタイプなのかもね」

「初対面からのディスり!?」

 少女は後ろをチラと見て帰るタイミングを伺っている。完全に警戒されているようだ。

「ごめんごめん。それで、入部志望なんだよね? 生徒会にもう入っているのに、なんでサイコー新聞部なんかに来たの?」

 少女は両手のこぶしを握って叫んだ。

「私、姉の自殺の原因を探しに来たんです!」

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