第4話 ようこそ、尋問塔特別接待室へ!

「ようこそ、尋問塔特別接待室へ! ゆっくりくつろぎ洗いざらい話してからお帰りくださいね」


 縮こまるセイリオスを連れて尋問塔の特別接待室の扉を開けたティアナとジョシュを出迎えたのは、深緑色のお仕着せを身にまとったマリア・ワイズナーだ。

 赤茶色の豊かな髪を編み上げて頭の後ろですっきりまとめ、深い思いやりホスピタリティに満ち溢れた緑色の眼。

 儚く可憐なティアナとは異なる美貌に、セイリオスの頬が赤く染まった。


「あっ、あの……」

「セイリオス卿、中へ。あとはマリアに任せておけば、大丈夫です」


 ティアナはそう言うと、ジョシュとともに部屋の中央に置かれたティーテーブルの元へと向かう。


 尋問塔は、ラステサリア王立紋章院の北にある。

 元は王族が住まいし宮殿だっただけあり建物の構造は複雑だけれど、外観はいたってシンプルだ。

 王都ウルハサの東西を横断するワレズ川の北岸に面して平行となるよう建築され、東西に伸びる棟と、中央部から北へ向かって伸びる棟とで構成されている。

 上空から望めばT字型に見える造りだ。なお、ファラー子爵らを迎えた応接室は東棟に存在する。


 そんな紋章院の北の塔。

 中央部から北へ向かって建てられた北棟の先端にそびえ立つ塔の別称が尋問塔であり、マリアの職場テリトリーだ。


「お客さま、どうぞ上着をこちらへ。そんなに重い服を着ていては肩が凝るでしょう?」


 豊かで艶めいた美貌が、ふわりと微笑む。

 マリアは美しく豊かな容姿を活かし、この尋問塔で専属パーラーメイドの職についている。


「心配なさらないで、代わりの羽織りものガウンがありますわ」


 マリアはセイリオスから派手なだけの上着を剥ぎ取ると、綿コットンで作られたベロア生地のガウンをすかさず羽織らせた。

 肩幅を合わせ、ベルトを結ぶ。着付ける際にガウンに落ちてしまったセイリオスの髪を丁寧に拾い、エプロンのポケットへしまう。


「これで完璧です、お客さま。どうぞ、ごゆるりと」


 セイリオスはマリアに肩を押され、ティアナとジョシュが待つティーテーブルへと着席した。柔らかく肌触りのいいガウンはゆったりとしていて、セイリオスの体型を覆い隠してくれたようだった。

 派手な上着が重かったのか。それとも貴族的な服装から解放されたからか。

 それまで硬かったセイリオスの表情が緩み、身体の震えも止まっていた。


「あ、ありがとう……ございます」

「お気になさらないで、サー。これが私の仕事です」


 律儀にもメイド相手にお礼を述べるセイリオスに、マリアはニコリと綺麗に笑ってお辞儀で返す。

 ティアナはマリアが部屋の片隅に待機させたティーワゴン方向へ下がるのを確認してから、セイリオスに向き直った。


「さあ、セイリオス卿。座って尋問お話をいたしましょう。子爵が持ち込んだ未登録紋章についてのお話よ」


 尋問という言葉におそれをなしたのか、あるいは子爵家で受けている仕打ちを思い起こしたのか。

 セイリオスの細い肩がビクリと跳ねる。心なしか顔色も青い。

 しまった。

 せっかくマリアがほぐしてくれたセイリオスの強張こわばりが戻ってきてしまった。

 なんてこと、もう少し言葉を選べばよかった。と顔には出さずに静かに猛省するティアナに、


「あっ、あの……すみま、せん! ぼく、本当にあの紋章については、知らないんです!」


 と。セイリオスがガウンの柔らかい生地をぎゅう、ときつく握り締め、ところどころひっくり返った声で叫ぶ。


 グッジョブ、マリア。いつも最高の仕事をありがとう!

 静かにさりげなくカップを配りお茶を注ぎ、去り際に、そっとセイリオスの肩に手を触れていったマリアに向かってティアナは心の中で親指を立てる。

 それもあってセイリオスは、意を決してティアナを真っ直ぐ見た。


「そ、それから……その……『卿』っていうの、や、やめてくれませんか!」

 ティアナはセイリオスの申し出に、一度パチリとゆっくり瞬いた。


「セイリオス卿。ここにはあなたの事情を悪くいう人間はいないわ。たとえあなたが子爵に虐げられていたとしても、わたしも含めて、みんな、似たもの同士だから」

「……えっ?」


「無愛想なジョシュは元平民で、ティンジェル公爵家の使用人だったし、優しいマリアはとある伯爵家の娘だけれど、髪の色が平凡だっている理不尽な理由で虐げられていたの」


 ティアナがカラリと笑って見せると、ジョシュもマリアも事実を肯定するように小さく一度、頷いた。


「わたしに至っては、成人するまで閉じ込められて、自由と尊厳を奪われて育った紛いもののお嬢さまレディよ」


 ティアナはさらりとなんでもないことのように告げ、マリアが淹れてくれた紅茶ブラックティーをひと口飲む。

 あ、美味しい。

 カップをテーブルに置き、爽やかな葡萄マスカットの香りを鼻腔の奥で充分に味わい尽くす。


 ティアナはそれが逃避である自覚があった。

 今でも過去に受けた仕打ちを思い浮かべると心臓がバクバク鳴るし、呼吸だって浅くなる。

 実のところ、斜め向かいに座るセイリオスに微笑む余裕もないし、隣に座るジョシュがどんな表情を浮かべているのかもわからない。

 ティーワゴンの隣で待機しているマリアの姿だって、視界に入っているはずなのに認識できない。


 ティアナは深呼吸を二回した。そうして、マリアが自分のためだけに用意してくれた葡萄マスカットの香りにすがりつき、平気な顔を貼り付けてニコリと笑う。


「だから、気にすることなんてないわ」


 たいしたことではないのだ、と言葉にすることで、ティアナは胸の内に巣食う闇を討ち払う。

 それでようやく心的余裕を取り戻したティアナは、隣のジョシュと彼方のマリアの姿を視界に収め、セイリオスの青い眼を真っ直ぐ捉えた。


「それよりも、セイリオス卿。この大紋章は確実にあなたのために作られた紋章よ」

「えっ」

「天狼が三つも使われているでしょう? この天狼はね、星でいうと天狼座シリウス——セイリオスに由来するものだから。あなたの名前を決めた誰かが、そのセイリオス名前から着想を得て天狼シリウスを使ったか、使うように指示したのでしょう」


 ティアナは巻物スクロールを広げて見せて、兜飾りクレストと紋章を支える動物サポーターの三つを指差した。


「ぼくの、名前……考えたこと、なかった」

「名付け親も知らされていないのか?」

「し、知らない、です。物心ついたときから、使用人として生きてきた、ので。あの紋章、だって、今日、はじめて見たんです。どうしてぼくが、ここにいるかも……よく、わかっていなくて」


「そうなの? ……あなた、今いくつ?」

「あ、えっと……十七、です」

「もしかしたら、あなたの成人の祝いに贈られた紋章なのかもしれないわ」


 性別に関わらず貴族の子供は十七歳の成人を機に個人紋章が与えられ、紋章鑑に登録される。

 それがラステサリア王国貴族の成人の儀である。

 子に紋章を贈るのは親の務めだけれど、祖父母が代わりに贈る家門も多い。特に公爵家の血を引く子供の場合は。


 ——もしかしたらセイリオス卿は、どこかの公爵家に縁があるのかも。それならきっと、食べたときに感じる味は……極上の蜜の味!


「セイリオス卿、あなたにこの大紋章を贈った方を探しましょう。わたしも協力いたしますから」


 ティアナの紫色の眼に真剣味が帯び、白金色の長い睫毛に縁取られた双眸が鋭く光る。


「あ、あの。どうして、そこまで……」

「これもすべて、あの素晴らしい大紋章を美味しくいただくためなの」


 じゅるり。

 淑女として立ててはいけない音が出た。けれどティアナは言い訳をせずに微笑んだ。笑って誤魔化した、ともいう。


 ——もし本当に公爵家に所縁ゆかりがあるなら……セイリオス卿の代わりに登録料を支払ってもらえるはず。正式に登録されてしまえば、あの大紋章はわたしのものおやつよ!


 不純な動機を隠しもせずに、ティアナは戸惑うセイリオスを置き去りにして話を進める。


「ジョシュ、馬車の手配をお願い」

「念のため聞くが、どこへ行くつもりだ」


 すでにお茶の席から立ち上がっていたジョシュが、悪戯坊主が悪巧みをするような顔でティアナを見た。マリアはすでにお茶会ティーパーティーの後片付けの態勢に入っている。

 セイリオスだけが、なにがなんだかわからずにキョトンとした顔でティアナを見ている。


 だからティアナは可憐に笑った。

 浮かべた微笑みの柔らかさとは真逆の物騒な言葉を選んで告げる。


「王都ウルハサの貴族街、ファラー子爵家のタウンハウス。……取り立てるわよ!」






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