第5話 外出するならおやつは必要でしょう?
「あら、この行列。まだ解消していなかったのね」
馬車に揺られながら窓の外を眺めていたティアナは、貴族の馬車たちが成す行列に気づいてため息を吐いた。
馬車止めの空きを待つ行列を横目に、ティアナたちを乗せた馬車が紋章院の正門を駆け抜ける。
「……こ、この列は、なんの列なんですか?」
「紋章鑑定を待っている方々の列よ。ベアトリス王女殿下が王位継承権を放棄してシェバイ海洋連合王国へ嫁がれるから、その後釜を狙っているひと達の列なの」
「あ、後釜……? そ、それと紋章鑑定と、どんな関係があるんですか?」
マリアに着せてもらったガウンのまま馬車に乗ったセイリオスが、窓の外の行列とティアナとを交互に見ながら首を傾げた。
窓にかけられた薄いカーテンを閉じたティアナは、正面の席にジョシュと並んで座るセイリオスの問いに答えた。
「みんな夢を見ているの。王室の隠し子探しや、実は王族の血を引いていないか調べて欲しいのよ。ベアトリス殿下にはご兄弟がいないし、国王エウロス・ルカ・ラステサリア陛下のご兄弟であるシリウス・ルク・ラステサリア王弟殿下は女神を祀る神殿の神官で、未婚のまま十七年前に亡くなっているから。……そのおかげでわたしは飢えずにいられるのだけれど」
ティアナはそう言うと、ふわりと微笑み、ドレスのポケットから三本の
どれも紋章鑑定を行なって得た合法的な正規紋章である。
「ティアナ、持ってきたのか。ガーラント卿は知っているのか?」
「外出するなら
「えっ、ええと……」
「ティアナ、お前以外は紋章を食べない。セイリオス卿を巻き込んではぐらかすな」
ジロリと睨むジョシュの視線に、ティアナは肩をすくめて言い返す。
「大丈夫よ、登録済みの正規紋章の写しだから。それに、
「……そうか、そうだな」
非合法な紋章持ち出しを正当化するティアナの言い分に、ジョシュは呆れてものも言えない。
一方でティアナは、
「も、紋章の鑑定で王族の血を引くかどうか、わかるんですか?」
「わかるわよ、紋章は個人を識別するものだから。でも、ただ識別するだけのものじゃないの」
「紋章の
ティアナの言葉を継いで、ジョシュが解説をしてゆく。
「ラステサリア王国では、伯爵位以上の高位貴族は権威や誇りを示すために婚姻時に妻の生家の紋章を組み込んでいる。紋章を辿れば姻戚関係がわかるようになっている」
「だからね、積極的に
「さ、三百……。凄い……」
驚きのあまり見開かれた青い眼が、パチパチと瞬きしながらティアナを見ている。
「紋章官はね、紋章を見れば、どの家と関わりがあるのか、どの血が混ざっているのか、すぐにわかるのよ。すべて紋章が教えてくれるの」
「見ただけでわかるのはティアナだけだ」
「そんなことないでしょう。ジョシュだって、ガーラント卿だって、百分割くらいなら紋章鑑なしで鑑定できるでしょう?」
「も、紋章官って、凄いんですね」
セイリオスが感心したように長い息を吐き出した。純粋に敬意を示すセイリオスの様子に、ティアナは自分の職業について思いを馳せる。
「もともと紋章官というのはね、家門の経歴を語り、盾や鎧に描かれた紋章を用いて戦場における敵や味方の識別を行い、
「……武官の仕事、だったのですか?」
「そうだ。だが、今から三百年前の時代で活躍していたリバルド改革王が、紋章官を国に縛り付けた」
混乱していた国を統一し、平和を築いた王は、それまで領主個人に支えていた紋章官を公僕とし、紋章を管理保管する紋章院を建て、武官から文官へと変えたのだ。
「文官となった紋章官の戦場は宮殿へと移って、王室の冠婚葬祭や典礼、式次第などの公的儀式をも担うようになったのよ。今でも
「
「ふふ、そうね。今年も大活躍だったらしいじゃない」
「登録されていない非正規紋章を掲げた騎士が悪い」
ジョシュは眉間に皺を寄せ、ふい、とティアナから視線を逸らした。
その未登録紋章をジョシュが一発で見抜き、出場停止処分にしたところ、騎士を抱えていた家門の主人が猛抗議をした事件があったのだ。
どうやら騎士を目立たせたくて主人が紋章に手を加えたらしい。
紋章官が司会を担っている
「……普段は、どんなことを?」
「普段は紋章の管理業務を行なっているわ。紋章鑑定をはじめ、紋章の管理や登録、不正紋章の取り締まり。それから……未登録紋章の登録と登録料取立てです」
ティアナが意味深に静かに微笑んだとき、ちょうど馬車が停止した。目的地であるファラー子爵家のタウンハウスに到着したのだ。
一度閉めたカーテンの隙間からティアナが外を覗く。
「これが子爵家が保有するタウンハウス? ちょっと広すぎね」
王都ウルハサの貴族街に建つ子爵邸は、土地の広さも屋敷の大きさも立派なものであった。
三階建てで正門も大きく、
「これだけのタウンハウスを構えられるのに、あの大紋章の登録料を渋るなんて」
「す、すみま、せん……」
「気にするな。だが、子爵位にしては分不相応な屋敷だな。ファラー家は
「さすが、紋章登録料の取立て人。ファラー子爵家の経済事情はもう、頭の中?」
「当たり前だ」
ニヤリと不敵に笑うジョシュの頼もしい手にエスコートされて、ティアナは馬車から降り立った。
見上げた空は、セイリオスの眼のように青く晴れ渡り、西の彼方より薄暗い雲が沸き立っている。
それがティアナの紫色の眼に妙に焼きついて離れなかった。
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