第2話 ラステサリア王立紋章院の生ける紋章鑑
「最上段に配置された
小太りの男が紋章院に持ち込んだのは、楯型の枠に囲まれたシンプルな
それを、
「いったい、どのような経緯で入手した大紋章でしょうか? こんなに美味しそうな大紋章は、なかなかお目にかかれません」
「は、はぁ……それで?」
男はティアナの解説を聞いていたのか、いないのか。気が抜けたような返事で首を傾げる男に、ティアナはそっと胸の内だけでため息を吐いた。
——まったく、どんな経緯でこの男にあんな素晴らしい大紋章が渡ったの?
この男に
美しく豪奢な刺繍が施された上着は人目を引く。けれど、使われている刺繍糸はただの染色糸。金糸や銀糸でもなく、魔獣から紡がれる希少な糸も使われていない。
——この素敵な大紋章と、全然、少しも、釣り合っていないわ!
男の隣で小さくなって俯いている影の薄い息子も似たような上着である。親子そろってセンスが鈍いのか、それとも父親の趣味だろうか。
近年、王国では質の高さを求めた
——すべてはこの紋章を合法的に
鑑定の仕事さえ済めば、
だからティアナはこの仕事の果てで待っている
「この紋章を普通の紋章と切り分けているのは、こちらです。紋章上段に配置されている
ティアナの指が紋章上段に配置された三つのパーツを囲むように円を描く。
指先に紋章の輪郭を感じながら、ティアナは肉に埋もれて細くなった男の真意と身元を探る。
「……失礼ですが、どちらの
にこりと笑って眼を伏せると、男が急に青褪めた顔で首を振った。
「そッ、そんな、とんでもない! 我らファラー家はグレバドス公爵家の家臣ではあるが、王族の血など一滴も入っておらぬ!」
「嘘でしょ、こんな仰々しい大紋章を持ち込んでおいて、なんの野心もない普通の鑑定依頼なの!?」
胡散臭すぎるのに!?
驚きのあまりティアナは、この紋章を持ち込んだ男の思惑を探るのを忘れた。それどころか本音が飛び出て消し飛んだ。
「それならそうと、早くおっしゃってください!
「なッ、なんだね? なにかあるのかね!?」
「天狼のモチーフは王国ではあまり例がないので興味深くて。
「いや、そんな話はない。
「そう、そうですよね。ファラー家といえば、広大な狩猟地を有する帯剣貴族として有名ですもの。……この紋章を作成した
ティアナは首を捻って呟いた。
ファラー家といえば、爵位は子爵だ。
本来ならば
しかし、使われているのは公爵位を示す三枚葉と宝石で飾られた金冠だ。
——この紋章、誰がなんのためにファラー子爵に与えたの?
ティアナの胸の内を好奇心が駆け巡る。
知ることへの渇望と、溜めた知識を放出することへの愉悦が混じり、紫色の瞳の奥がチカチカと光り出す。
「中央の
「我が家門の
早口で長々としたティアナの解説に痺れを切らしたか。興奮したファラー子爵が手を伸ばし、ティアナの華奢な手首をがしりと掴んだ。
「きゃあ!」
反射的にティアナの喉から悲鳴が上がる。
——なんて短気な。もう少し余裕を持つのが貴族というものよ!
そんなことを思った次の瞬間、応接室の扉の前で控えていた紋章官が素早く動いた。あっという間に距離を詰め、ティアナに無体を働いた子爵の手を掴み、捻り上げる。
「痛ッ!? なッ、なにをするんだね!?」
「失礼、
歳の若さでいえば、ティアナと同じくらい。二十歳前後の精悍な顔つきの黒髪に浅黒い肌をしたジョシュ・デューラー。準男爵にして下級紋章官が、その金眼を鋭く光らせ子爵を睨む。
「ジョシュ! ありがとう、わたしは大丈夫よ。手を離して差し上げて」
助けられたティアナの頬が、思わず緩む。ジョシュはその頬を少し赤らめ、子爵から素直に手を離した。
「
「い、いや……私も悪かった。少し気が
背が高いジョシュに怯えたのか。子爵の身体が震えている。けれど、鑑定結果を早急に聞きたいとのご所望だ。ティアナは気にせず話を続けた。
「興味深い点はいくつかありますが……一番興味深いのは、これだけ見事な大紋章が、
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