第5話 2人の出会い

それは1年前のこと--------------------------------------

「お前はこんなこともできないのか!」上司の怒鳴る声。

「ごめんなさい…。あの、なんと言うか…、」優は口ごもる。

「言い訳なんて聞いてない!お前のミス1つでこっちは大迷惑だぞ!分かってるのか!?」

目を三角にしている上司。これは何日間か怒りは収まらないだろう。優は怒られることを酷く怯えている。今もそう。早くここから逃げ出したい。

「お前なんてこの会社にいらない!この不出来な奴め!」怒りに任せ、上司は厳しい言葉を優にぶつけた。ズキン。優の心が痛む。

(クビになったんだ…。もう終わりだ。死ぬ。死にたい。)優は初めて『死にたい』という感覚を知った。何にも興味が湧かず、ただ今の現状が好ましくない。どこにいても落ち着かない。居場所が無いんだ。ひとりぼっちで寂しく、人間が嫌いなのに人間を求める。そんな自分が嫌いになった。

(飛び降りて死のう。これで僕の人生は終わりだ。)新しい職を見つける方法だってある。自分の形に合うやり方を見つければいいのに、そんな余裕なんてちっともない。行き詰まっているんだ。世界は何も悪くない。自分が、ただこの自分という人間が悪いんだ。自分がもっと明るい人間だったら、このミス1つでさえ切り替えられる人間だったら…妄想がむくむくと膨らむ。


気づくと10階建てのビルの屋上にいた。見下ろすと、ランプを付けて光る車が列を成している。そして、ちらちらと窓が光る住宅街。その光は家が生きているような、そんな感覚を示唆していた。各々の家の電気の光は、ただの光なのか。優はそんなことまで考え始めた。誰かがそこに住んでいて、誰かが笑っていて、誰かが愛を感じている。僕たちは生きている。嬉しいことも、辛いことも、1人の人間としてそれを抱えながら生きている。

クラスで明るくはしゃいでいたあの子も、夜は泣いてたのかな。いつも大人しく無表情で本を読んでいたあの子は家では笑ってたのかな。僕のことをいじめたあいつは家で大切にされてなかったのかな。表のイメージ。裏のイメージ。

僕たち人間は表のイメージしか分からない。裏のイメージばかりを勝手に想像して勝手に落ち込む。自分勝手だと思うかもしれないけど、それぞれが自由に想像の上で創ったイメージに囚われて生きている。それは当たり前のことでもあるし、仕方の無いこと。僕がここにいて今飛び降りようとしているのも、仕方の無いこと。

(今までありがとう。父さん、母さん。両親よりも先に死ぬなんて、本当に不出来な息子だよ…。)フェンスに足をかける。その瞬間、

「ちょい待ちーーーーー!」甲高い女性の声。

あぁ、漫画でよくあるここで止められるシーン。

優は笑うにも笑えなかった。

「足、下ろして。」女性は真剣に、目には涙を浮かべながら訴える。

(初めて知り合った僕に泣いてくれるのか、。)優は卑屈なことを考えながらも足をフェンスから下ろす。勇気が足りなかったな。次こそは…。

「何で。?」女性は問いかける。何で?あぁ、ここにいたことか。

「上司に怒られちゃってさ、まぁこんなことで自殺なんてしようとする僕なんて生きてる価値ないさ、笑。」冗談交じりに、しかし本当のことを言う。

「辛かったでしょう?怒られるの。」女性は寄り添うような言葉をかけてきた。

「…うん。まぁね。」正直に優は答える。

「はい。ハンカチ。涙拭いて。」はっとした。僕、いつの間に泣いていたのだろう。女性の優しさに触れたんだ、きっと。受けとったハンカチで涙を拭う。ハンカチに小さなシミが残る。

「ありがとう。ハンカチ、濡れちゃった。」優は謝る。

「いいよそんなの!笑。てか家帰れる?私の家来る?」知りもしない女性の家に行くなんて。でも、もう少し女性といたくて。甘えてしまう。

「いいの、?」優はすがるような視線を向ける。

「うん!私一人暮らしだから正直寂しいし!笑。来な?」女性はぱっと花が咲くような笑顔を浮かべる。優は嬉しかった。生きていればこんな素敵な人に出会うもんだな。

「ありがとう。着いていくよ。」優は女性に手を取られ、歩いていく。生きていれば、こんなこともあるんだな。優は心の中でまた泣いた。ビルの屋上を見上げる姿勢になり、ほっとしたような、やりきれなかったような。変な気持ちだ。


5分ほど歩いただろうか。

「ここ!私の家。」女性が指さす。小さな古びたアパート。どこか歴史を感じる。

女性がかばんから鍵を取り出す。鍵には小さなうさぎのアクセサリーが着いている。

「おじゃまします…。」優は丁寧に靴を揃え、部屋に上がる。扉の先には、アパートの外見とは反対に、白い家具で統一された綺麗な部屋があった。よく見ると所々うさぎのぬいぐるみやクッションが置いてあり、女性の可愛らしさを表しているような気がする。

ズキン。頭が痛くなる。自殺なんてしようとしたら、そりゃあ心も体も疲れるだろう。その様子を見かねた彼女は、大丈夫?と聞くと優をソファーに座らせる。パタパタと女性の足音が遠ざかっていく。そしてパタパタという足音と共に、右手に水が入ったコップを持って優の隣に腰掛ける。コップを手渡す。

「ありがとう。」優はコップの水を飲み干す。頭が冷える。それと同時に気持ちも落ち着くような気がした。眠い。

「眠たい?」女性が顔を覗き込む。テレパシーなのか…。優は感心する。いや、たまたまだろう。女性に支えられ、優は横になる。眠気が襲う。優は眠りに包まれた。


「おはよう〜」女性が優に声をかける。

「ごめん!寝てた!?」見知らぬ女性の家で寝てしまうなんて、全く無防備だ。

「いいよいいよ〜。今日土曜だし。ゆっくりしてって。」女性の声色は優しい。落ち着いている。また眠ってしまいそうだ。

「土曜か。仕事もクビになったし、やることないな〜。」あ、優が呟く。

「どうした?」不思議そうに優を見つめる女性。

「君の名前何?」肝心なこと。聞き忘れていた。

「あぁ〜私?藤田羽奈。21歳。君は?」羽奈が聞き返す。

「僕は小林優。僕も21歳だよ。」同い年という事にお互いの目が丸くなる。

「え!同い年!嬉しい〜仲良くしよ!」羽奈が笑顔を見せる。その反応に優も嬉しくなった。

「うん!よろしく。」


2人の出会いはここが最初だった。


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