第26話 繋がり


『ネオンフィーブ病』の研究を再開してから、今日で十日目。


 反応なし、微弱な反応、異常細胞の活性化、別の悪性細胞への変化。私は様々な失敗作を記録することに成功していた。


 徐々に勘を取り戻し、作業ペースは格段に上がっている。さらには、一部の作業ではあるが自動化にも成功した。試行回数は10,000回を優に超えていた。それでも、成功と呼べるような反応はない。今回は副産物も生まれていない。


 少々きつい。めげそうになる心を、なんとか奮いたたせる。


(——想像しろ)


 あの子を失うことを。


 それに比べれば、どんな困難もつらいとは思えないはずだ。擦り切れてきた精神に再び火が灯る。


(——やるしかないのだ)


 そう思えば、自然と体が動く。今日もまた、繰り返す。



 ******



 ——研究再開から、十八日目。

 試行回数20,000回を超える。

 今日もまた、失敗に成功する。


 ——研究再開から、二十五日目。

 試行回数30,000回を超える。

 今日もまた、失敗に成功する。


 ——研究再開から、三十六日目。

 試行回数50,000回を超える。

 今日もまた、失敗に成功する。


 ——研究再開から、四十七日目。

 試行回数が100,000回を超えた。

 失敗によって記録が埋められていく。


 失敗したというデータだけが溜まっていく。これは成功に近づいたことだ、と頭では理解している。それでも、私の心が悲鳴をあげている。

(……正解なんてものは、はじめから存在しないのではないか)


 そんな考えが頭をよぎる。慌てて、頭を左右に強く何度も振り、嫌な思考を追い出す。


 失敗を続けていると怖くなる。このままでいいのかという不安が胸の中で暴れだすのだ。結果が出せない私が嫌になる。それでも、臆病ですぐに逃げる私はもっと嫌いだから。諦めたくないから。脳を、体を精一杯の勇気で動かすのだ。


(少し休憩しよう……)


 冷えたコーヒーを飲みながら、今朝届いたメッセージの内容を思い出す。現在、島民から依頼された薬の製造は小柚にお願いしている。ちなみに、配達は寿人くんにお願いしている。


 私は製薬に特別な許可の必要ない薬しか扱っていない。そのため、問題はないはずである。しかし、今朝、材料がなくなってしまったようだ。


 『ここあ』のおじいちゃんに渡す腰痛薬、その材料が不足しているとのことだ。 珍しい人参と希少な大根の粉末、漢方薬のようなものなので入手手段が限られる。島で取り扱っている店舗は一つだけ。魔女のようなおばあさんが経営している花屋である。


 私は小柚に、その店の位置情報を送ろうと、ノートパソコンにインストールされてあるアプリを起動する。


(……そういえば、奥の棚にまだ粉末が残っていたような気がする)


 気になったことはすぐに解消したほうがいい。私は普段使っていた材料保管庫を取り出すために、一番奥の棚を物色する。


(……あった)


 夕日色の粉末と白色の粉末。瓶の中でオブラートに包んであるそれらを取り出して、眺める。この量では、せいぜい二日分の腰痛薬しかつくれなさそうだ。私は保管庫に粉末を戻そうとする。


 しかし、手が止まる。


(……これは試したこと無かったわよね……)


 どうせ手がかりすら掴めていないのだ。


 私は瓶の蓋を開け、粉末が包まれたオブラートを取り出す。それを握ったまま作業机に向かう。包装を破り、二つとも試験管に流し込む。


 ダメで元々、とにかくなんでも試してみよう。そんな理論が頭で考えるより先に、体を動かした。


(なにをやっているのか、私……)


 いざミキサーが回りだすと、少し冷静になってきた。疲れているのだろう。目の上あたりがギシギシと痛い。頭の中に住んでいる小人が大合唱を始めたかのように、ガンガンと頭痛がしている。


(とりあえずこれをフラスコに流し込んだら、仮眠をとろう)


 ——そう思っていた。


 何の期待も抱いていなかったそれは、私の眠気を一瞬にして奪い去り、痛みを忘れさせたのだ。


「……! これは……!」


 反応がある。今まで見たことのない反応が。『エルストロ病』の特効薬が偶然生まれたときと似ている。異常細胞が弱体化しているのだ。


 すぐに記録して、慌てて走り出す。目的地は魔女のいる花屋だ。


 ******


 何回かこけそうになりながらも、花屋にたどり着いた。私はあるだけすべての粉末を買い取って、急いで研究室に戻ってきた。


 お釣りはいりません、なんてセリフを使ったのは人生で初めてである。ベースを腰痛薬に設定して、私はまた作業を繰り返す。


 希望が見えてきた。その事実が私を突き動かす。


 繰り返す。繰り返す。繰り返す。繰り返す。繰り返す——


 ——研究再開から、四十八日目。

 試行回数100,000と1,214回目。


 『ネオンフィーブ病』によって発生する異常細胞。


 ——正常化を確認。


 体の力が一気に抜ける。指が震え、うまく動かせない。


 考えてみれば、当然の話である。『エルストロ病』も異常細胞に対して、反応を示したのだ。それらを調合すれば、新しい反応が見られる。もっと早く気付けたはずだ。


 『エルストロ病』特効薬、それの元になる化合物。夕焼け人参と白昼大根で作られた腰痛薬。そんな二つの薬。


「……全部繋がっていたのね」


 三年前、偶然作られた薬。二年間、毎日作っていた薬。その二つを混ぜ合わせることで、『ネオンフィーブ病』への対抗策が生まれる。


 フラスコの中で、異常細胞は正常な働きを取り戻していた。


 瞳から水滴が溢れてくるのを止められない。前がうまく見えない。執念で私は成功を記録し、なんとかドクターコールを押す。


(あとは、岩清水先生がうまくやってくれるはず……)


 その記憶を最後に、私の意識は深いところに落ちていったのだった。


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