第27話 涙の意味
「現在世界中で『ネオンフィーブ病』の患者数は、増加傾向にあります。国内だけでも、2,000人以上の患者が存在すると言われています。そんな不治の病と言われる、いいえ、不治の病と言われていた『ネオンフィーブ病』。特効薬誕生。その奇跡の報せが、昨日世界中を飛びまわりました。科学者たちの不断の努力が生みだした新薬は、全世界で多くの人々を救うことでしょう。我々は、その孤独な闘いに打ち勝った熊谷さ——」
興奮しながらも静かに熱を伝えるアナウンサー。その音声が途切れる。
「あ——っ! 何で消しちゃうんですか!? 先輩! これからがいいところなのにぃー!」
ハイテンションの小柚が不平を伝えてくる。
「3回も見れば、もう十分でしょ……。それに、恥ずかしいのよ。岩清水先生が面白がって、めちゃくちゃしたから」
過労で倒れた私は、現在入院中である。意識を取り戻したあとに点滴を見つけて、少々焦ったが、安静にしていればすぐに退院可能らしい。海堀さんがいつになく優しく教えてくれた。
「何回見ても良いものは良いんですよぉー!」
「そもそも、あんなセリフ言った覚えがないのだけれど……」
「薬学者として当然のことをしたまでです。感謝は必要ありませんよ。救われた方々が無事健康でいてくれること、それが何よりの贈り物なのです、ですよね!」
小柚がニヤニヤしながら暗唱したセリフ。それらは、なぜか私が言ったことになっているらしい。加えて言うと、他にもたくさん語ったことにされている。
「私が寝ているからって、好き放題やりすぎじゃないかしら……」
犯人は岩清水先生だ。『ネオンフィーブ病』の特効薬が完成したという報せを世界中に届け、特許申請も行ってくれた。これによりレシピは公開され、世界中で新薬が調合されるだろう。一夜にしてこの業務を完遂する、そんなことができるのはあの人くらいだろう。ここで起きていればよかった。しかし、私は痛恨にも二日間寝込んでしまった。
「あれCGよね……。何で私そっくりのアバターなんて持っているのよ、あの人……」
「先輩の全国放送デビュー! わたしは誇らしいですよ!」
「私は恥ずかしすぎて、震えているのだけど……」
研究の扉、希望の光源、新たな英雄、救いの歌声。正直、深夜で疲れているときぐらいしか発しない、考えすらしない言葉たち。それらを全て使い、あたかも当然のように偉ぶる私もどき。寿人くんがサカレンジャーの最終回に感じた気持ち悪さの一端を垣間見たような気がする。
「……変装のために、髪でも伸ばそうかしら……」
そう言いながら、私は髪の毛を触る。
「いいですねー! ロングも似合うと思いますよ、先輩なら!」
キラキラと目を輝かせる小柚。返答がなんだかずれているような気もするが、放っておく。
「もう、動けると思うのだけど……」
「ダメですよ! 少なくともあと1日はここに固定しといて、との
小柚が共犯者だったのか、と今更気づく。もう色々と手遅れだろう。今日はもう素直に休もう。そう思った私は起こしていた上半身から力を抜く。
「お休みですか?」
「ええ、もう少しだけ、……寝るわ……」
「そうですか。先輩、お疲れ様です。お休みなさ——」
なんだかんだ疲れていたのだろうか、小柚の挨拶を聞き終わる前に、私の視界はまた暗くなっていった。
******
——これは夢だろうか。
目の前にはたくさんの花々。彩り豊かなそれらは、とても魅惑的な匂いで私を誘う。みかんとりんご、それに少しだけぶどうが混ざったようなそんな甘い匂い。
ぐるるるる。お腹の虫が騒いでいる。だが、いくら夢の中とはいえ、花をたべるほど自由にはなれない。
(蜜なら安全だろうか?)
こんなことを考えてしまうほど、空腹なのだろうか。キラキラと輝きながら、風に揺られている花々に対して、美味しそうなどといった感想を持った私は、ふらふらと前に歩いていく。
歩き出し、花を手に取ろうとした瞬間、カエルが飛び出してきた。
「ぎゃっっっ!?」
乙女が出してはいけない声を出してしまう。その声量に自分でも驚き、目がさめる。
「……おはよう、沙月さん」
飛び上がり、視線の先にいたのは、たくさんのゼリーの空。それと、スプーンをくわえた寿人くんだった。
「寿人くん……、おはよう」
そう挨拶したあと、体が落ちていく。上半身をもう一度持ち上げようとしたが、力が入らない。仕方なくベッド脇にあるボタンを押して、ベッドごと上半身を起こす。
「嘉人くんに聞いたんだ。これ美味しいって。ゼリー、食べる?」
「ふふっ。先に顔を洗いに行っていいかしら」
何だか安心するような会話。
「そっか、じゃあ手を貸そうか?」
「……ナースコールを押すから大丈夫」
冷静に考えてみると、3日間ほとんど寝たきりだったのだ。私にも多少の恥じらいは残っている。近くに来られるのは避けたい。
「……そうだね」
私の表情で察してくれたのか、寿人くんはその場でじっとしてくれていた。
「——沙月さん」
扉から私の名前が聞こえる。小鳥のさえずりのような綺麗な声だ。こんな透き通った声の看護師さんいたかな、と思いながら病室の出入り口の方を見る。
そこには、少女と少年がいた。
怒っているような、寂しいような、何かを我慢しているような、そんな複雑な表情をしたかすみさんが立っている。山岸くんの手を支えにしているが、しっかりと自分の足で立っている。
(よかった。成功していたんだ)
特効薬の実際の効果を確認し、体中から生気が抜ける。ぐったりしながらかすみさんたちを見つめていると、ややあって、かすみさんが口を開いた。
「わたし、許してませんから。約束、破ったこと。また明日、って言ったのに」
そう言ったかすみさんは、山岸くんに支えられながら、こちらに近づいてくる。
そういえば、そうだった。50日は若者にとってはとてつもなく長い時間だろう。ビンタくらいは許容しよう。そう思い、目を
しかし、私に襲いかかってきたのは痛みではなく、ローズマリーのようないい匂いとそよ風のような柔らかな感触だった。
驚いて目を開ける。抱きつかれ、端正な顔を特等席で見ることができた。瞳が赤くうるうるとしている。
目にいっぱいに貯められた雫が解放される。
「うえええぇーーーーんっ」
その泣き声を聞いて、私も感情のダムが決壊する。
「よかっだぁーーーーっ」
抱きしめあい、わんわんと幼児のように泣き叫ぶ私たち。
もう感情を堪える必要も、遠慮も隠し事も必要ない。今日ぐらいは、全力で泣いても許されるだろう。溢れ出した水分がどちらのものなのか、もう判別ができない。
私たちはお互いをびちゃびちゃにしながら、歓喜する。
また、思い出したことがある。涙は嬉しいときにも流すものなのだ。
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