第22話 美人薄命
「ヒトデは意外と硬くて、ナマコはヌルヌルしてなんとも言えない感じね」
「ほへぇ〜、そうなんですね〜」
昨日の体験についての感想に、かすみさんはほほ笑みながら相づちをうってくれる。
私たちが会話している場所は『第四病院』。かすみさんの病室であった。
「一部の地域では、食べられてもいるみたい」
「えっ……、食べるんですか……」
昨日の展示に書いてあったことをそのまま口に出しているだけに過ぎないが、かすみさんは思っていたよりいい反応をくれた。気分が良くなった私は、昨日得た知識をさらにひけらかす。
「ナマコを切って、三杯酢につけて食べるみたいよ。内臓はこのわたと呼ばれていて、日本三大珍味に数えられているみたい」
「ふぇ〜。沙月さん物知りですねぇ〜」
きっと今、鏡を見たらドヤ顔の私が映っているだろう。
ふと腕時計を見ると、もうすぐ小柚が帰ってくる時間である。進めていた資料作成もちょうど区切りがついている。いいタイミングかな、と思い、私はかすみさんにさよならの挨拶をしようとする。
「それじゃあ、かすみさん。明日もまた来るわね」
「……はい。また明日……」
明らかに、かすみさんのテンションが下がってしまった。
その寂しそうな表情は、絵画として成立するほどの華やかさを誇っている。胸をちくちくと突き刺す罪悪感と、いじらしさによる愛おしさをなんとか制御して、私は立ち上がる。
「必ずまた来るわ、明日」
「……はい! また明日!」
ほんの少しだけ、かすみさんの表情に明るさが戻ってきた。守りたいこの笑顔。万が一にも寝坊などしてしまわないように、今日は早めに寝よう。私は胸中で並々ならぬ決意を固めたのだった。
******
「……しまった」
かすみさんの病室に資料を入れたファイルを忘れてきてしまった。お茶を飲んでいるときに濡れないようにと、遠ざけてしまったのがまずかった。
『第四病院』を出てすぐにカバンの中にファイルがないことに気づいた私は選択に迫られていた。
別にそこまで重要な資料ではないし、明日取りに行けば問題はない。だが、もしもかすみさんがそのファイルを発見して、無理に届けようとしたらことである。それは私の望むところではない。
(戻るか……)
私は再び『第四病院』の中に向かって、歩き出していた。
******
——声が聞こえてくる。
かすみさんの病室からだ。
(……誰か来ているのかしら)
大事な話をしているのなら、立ち去ろう。そう思った私は、足を止めて、聞き耳を立てる。
「サワカスミサマ。オクスリノジカンデス」
無感情な機械音声。看護ロボットのようだ。
「……ありがとうございます」
ロボット相手にも律儀にお礼を言うかすみさん。本当にいい子である。
看護ロボットなら大丈夫かなと思い、ドアに手をかける。しかし、少しの隙間から見えた景色によって、私の体が硬直する。
泣いているのだ。ポロポロと、しゃくりあげることもなく、静かに。
かすみさんが泣いている。
「ロボットさん……、わたしの病気は良くなるんでしょうか?」
涙を拭うこともせず、いつも通りの表情でロボットに尋ねるかすみさん。
「モウシワケアリマセン。ワタシニハワカリマセン。オチカラニナレズスミマセン」
返答の声に抑揚はない。いくら高性能なAIを搭載していても、プログラムされていない回答は用意されていないのだ。
そして、もしもあの場にいたのが私だったとしても、同じような答えしか返せないだろう。
「どうしてかな……? わたし、何か悪いことしたのかなぁ……」
『そんなことない!』
そう叫んで抱きしめてあげればいい。なぜ、そんな簡単なことができないのだ。
「ずっとこのままでもいいの……。よしくんは毎週会いに来てくれるし……、最近は沙月さんも来てくれてるの……。たくさん、たくさんお話しできて楽しいんだよ……」
綺麗な雫が、絶え間なくかすみさんの瞳から溢れている。
「動けなくなっても……。ずっと一緒にいられればいいんだよ……。それも駄目なのかなぁ……。欲張りなのかなぁ……」
ずっと無理をしていたのだ。気丈に振舞っていたのだ。こんな私のために笑顔を作ってくれていたのだ。
「ぐすっ、わたし、死にたくないよぅ……。もっと、よしくんと一緒にいたい、沙月さんとお話ししたい……。ずっと、一緒にぃ……、生きていたいよぉ……」
涙は無限に湧いてくる。いつも、泣いていたのだろうか。私が去ったあとも毎日。
「ぅ……ぅっ、誰か助けてよぉ……」
か細い声が聞こえた。
——走り出していた。いてもたってもいられずに。その場から一刻も早く立ち去りたいという浅ましい感情に脳を支配されて。
ぐにゃりと視界が歪んで見える。
思い出した。悲しみとは何かを。哀しみという感情を。
絶望、悲哀、苦痛、失意、自棄。あのときの——全てを失ったときよりも痛い負の感情たち。そして、それら全ての中で最も強く私を見つめている感情がいる。
突き刺すような視線は、決して逃してなるまいかというその意思は、心臓を握りつぶすかのように、私に執着する。
その感情の名は……。
——罪悪感。
気づいていた。
——彼女が重いものを持てないことに。
気づけていた。
——だんだんとやせ細っていっていることに。
予測していた。
——肌の乾燥がひどくなるだろうと。
予測できていた。
——こうなることは。
気づいていた。気づきたくなかった。予測していた。予測したくなかった。知っていた。知りたくなかった。理解していた。理解したくなかった。分析していた。分析したくなかった。把握していた。把握したくなかった。見越していた。見越したくなかった。推察していた。推察したくなかった。分かっていた。分からない振りを繰り返していた。
私はただ、目を逸らしていただけだった。そうでないと、願わずにはいられなかったのだ。後悔の念が土砂降りの雨のように降りそそぐ。
心臓が握りつぶされているようだ。痛みと吐き気が私を挟み込む。背中から嫌な汗が噴き出している。
走って、走って、走って。逃げたのだ。違う、もう既に、逃げていたのだ。目の前の幸せなんてものは、絶望を見えにくくするための蓋でしかなかったのだ。
かすみさんは、かすみさんの抱えている
——『ネオンフィーブ
——ここは、『医療都市アレクリン』。
病を抱えた人たちが訪れる島。
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