第21話 小柚vs寿人
私たちが今いる場所はパン屋『ここあ』。和やかな会合になると思っていた顔合わせは、一触即発の空気に支配されていた。
爆発寸前のオーラを放っているのは、小柚であった。
「あなたが城後さんですか?」
「……はい」
「声小さくないですかぁ〜?」
「はい!」
まるで小姑のようである。いびりたおしてやろうという魂胆を全面に押し出した小柚の迫力に、寿人くんは少々
どこで買ってきたか分からないサングラスをつけて、寿人くんを
******
今日は、三日ぶりに小柚が自由に活動できる日。
「紹介してくださいよ! 先輩! 噂の彼!」
朝はにこやかかつ軽快な雰囲気だったので大丈夫だと思っていたのだが、小柚の後ろには嫉妬の炎がめらめらと燃え盛っている。口出しした方がいいのかな、と
「安藤小柚さんだよね。沙月さんから話は聞いてるよ。優秀で大事な後輩だって」
妙手である。小柚の機嫌をとりつつ、自分は敵ではないとアピールする。
「そんなこと、知ってますぅ〜! 先輩がわたしの事を優秀で、大切で、可愛くて、一番大事な後輩だと思ってることはぁ〜!」
だめだ、小柚の自己肯定感が天元突破していた。というか、何かいろいろと追加されていたような気がする。まあ、事実であるのだから特に否定はしないが。
「小柚……。とりあえず自己紹介だけでも……」
この雰囲気を何とかしようと、私は無難な事柄を提案する。
「安藤小柚。『シキクラ大学病院』所属。趣味はジョギング。好きな食べ物は栗まんじゅうと緑茶。特技はアーチェリー、学生時代はアーチェリー部でしたぁ〜。好きなものは先輩で、先輩が好きなものはわたしですぅ〜!」
段々とヒートアップしていく小柚。最後は自己紹介かどうか怪しい
「ありがとう、小柚。それじゃあ、次は寿人くん……」
私が寿人くんの名前を呼んだ瞬間、小柚の目尻がピクッと動いたが、一応聞く気はあるようだ。警戒態勢を維持したままではあるが、黙ってくれている。
「城後寿人です、よろしく。『ヤマノボリ』事務所所属。趣味は、釣りとロッククライミング、アクション映画の鑑賞、サッカーかな。特技は体を動かすこと全般。好きな食べ物は鶏肉料理なら何でも。飲み物はオレンジジュースが好きで、学生時代はサッカー部でした。弱小だったけど……。今はスタントマンやってます」
寿人くんは一気に自己紹介を終える。小柚はというと、今にも舌打ちでもしはじめそうな表情である。
しかし、寿人くんのプロフィールを改めて聞いてみると、アウトドア思考で体を動かすことが好きという私とは真反対な性格をしている。そんなことを考えていると、小柚が口撃を仕掛けだす。
「それでぇ〜? 城後さんはどう責任を取るつもりなんですかぁ〜?」
「責任?」
寿人くんは思い当たる節がないようである。
「分かってるでしょぉ!? うちの先輩をたぶらかしてるそうじゃないですかぁ!?」
「げほ……っ、げほっ! 急に何言い出しているの!? 小柚!?」
思いもよらない言葉に咳き込んでしまう。とんだ流れ弾だ。
「聞いてるんですよぉ〜! わたしの情報収集は完璧なんですから! この前、そこにいる菊子さんに大体聞きましたから!」
視線の先にいるのは菊子さん。頑張って、とでも言っているのだろうか、ガッツポーズとウインクをお見舞いされる。
(……菊子さんは何を言ったんだ?)
それはさておき訂正せねば、と寿人くんの方を見る。小柚の爆弾発言によって固まっていた表情がほぐれて、子を見守る父親のような慈愛に満ちた表情をしている。
「たぶらかしたつもりも、たぶらかしているつもりもないけど、沙月さんとはこれからも仲良くしたいと思ってるよ」
「く……っ!?」
屈託のない笑顔でそう言い切った寿人くんに小柚が若干たじろぐ。それでも、小柚は簡単にはめげない。
「先輩といちゃいちゃしていいのはわたしだけなんです!」
「いちゃいちゃしてるつもりはないけど、もし、一緒に食事をしたり、歩いたり、二人で話すのもいちゃいちゃに含まれるなら、ごめん、譲れないかな」
寿人くんは、きっぱりと否定する。
「ぐっ……、わたしは先輩の色々なことを知っています! 誰よりも先輩のことに詳しい自信があります! あなたは、全然知らないでしょう!?」
小柚はたじろぎながらも、必死に言い返す。
「そうだね、ほとんど知らない。何が好きかも何が苦手かもほとんど知らない。だから、これから知っていきたいと思ってる」
寿人くんは、はっきりと答える。
「うぐ……っ、う〜」
小柚が言葉に詰まる。覚悟を持って誠実に話している寿人くんに、これ以上何を言っても説得できないと悟ったのだろう。そして、分かっているはずだ。自分の我儘が全て通るような人ではないことを。
寿人くんは理解したからこそ、穏やかな表情になったのだろう。小柚は今日、子供の癇癪のような、そんな気持ちでこの場に臨んでいることを。
それでも痛いほど伝わってくる。小柚の気持ちが。だから私は小柚を強く叱れない。
ただ、それでも。そろそろ羞恥心が限界である。
「とりあえず! 今日は予定どおりに動きましょう!」
これ以上、また言い争いが起きる前に、私は無理やりこの場を終わらせる。
「……そうだね」
「……はい」
寿人くんも小柚もそれぞれ思うところはあるだろうが、とりあえず、今は同意してくれる。
「菊子さん、おじいちゃん。うるさくしてすみませんでした」
私は菊子さんとおじいちゃんに向かって謝罪する。
「いいのよ〜。納得のいかないことがあるなら、どんどん感情的にならなくっちゃ! 我慢なんて若い頃から覚える必要なんてないんだからね〜」
小柚を見て、菊子さんは優しく笑う。
「はい……」
どこか元気のなくなった小柚は乾いた笑いで応えていた。
******
水平移動エレベーターに乗り、私たち三人がやってきたのは、『シャウラメ水族館』。
顔合わせがヒートアップしてしまい、予約時間までに来ることが出来なかった。そのため、今日開催のシャチによるパフォーマンス会場ではなく、ドクターフィッシュ体験場に来ている。
「……すみませんでした、熱くなっちゃって」
小柚がシュンとしながら謝る。
「いいのよ、それにまだしばらくここにいるんでしょう? 何回でも来ればいいのよ」
私はできるだけ優しく小柚を励ます。
「ありがとうございます……」
どこかぎこちないが、小柚は笑顔を見せてくれる。
考えてみれば当たり前のことだ。自らの友人同士が、必ずしも仲良くできるわけではない。だからといって、二人の評価が私の中で変わることはない。二人とも大切な友人だ。
「サカレッドー! ビーム出して! ビーム!」
「ビームじゃないよぉー! ばいしくるだもんね! ばいしくるぅー!」
「おれはね、おれはね! 顔面ブロックが好きー!」
「きゃっきゃ、きゃっきゃ!」
隣にあるなまこふれあいコーナーから、子供たちの高笑いが聞こえてくる。
ここに来るまでの間で寿人くんは、子供たちに捕まってしまったのだ。今も4、5人の子供たちに囲まれながら、ファンサービスをおこなっている。私はその様子をぼーっと眺めていた。
「……優しい人なんですよね」
「えっ、そ、そうね」
小柚のつぶやきに不意を突かれ、少し取り乱してしまった。
「本当は分かっているんです。先輩にとって、あの人も大事な人になっているんだ、ってことは。認めなきゃいけない、って思ってたんです」
小柚は独り言のように、こちらを見ずに喋りだす。
「それでも、やっぱり悔しいんです。哀しいと思えなくなったとしても、先輩は辛そうで、すごく苦しそうだった。それをどうにかしたのが、わたしじゃなくて、よく知らない男の人だったなんて」
「……」
「最初は頑張って、先輩を祝福しようと思ってたのに……。すみません、全部醜い嫉妬なんです」
言い終わり、うつむく小柚。横顔からも、ほんの少しだけ涙が見える。
「……辛くて、苦しかったのは事実」
私も前を向いて、話しはじめる。
「それでも、無気力で惰性だったとしても、薬を触り続けられたのは間違いなく小柚のおかげよ」
伝わっていると勘違いしていた。そんなわけないのに。
「全部嫌になって、研究なんて二度としない、とはならなかったの」
大切な後輩でも心の中を覗く、なんてことは不可能なのだ。
「私、一年生の頃はずっと一人で研究しかしてないような変人だったの。もちろん友人と呼べるような人もいなかった」
不安にさせたのかもしれない。
「二年生の頃、小柚と出会って、構ってくれて、最初は戸惑ったけど、すごく楽しかったの」
いつもそばにいてくれた。
「そんな思い出があったから、薬学を選んだこと全く後悔していないの」
あなたに出会えたから。
「私が世界で一番大事な後輩は今も昔も、これから先もずっと小柚だよ」
心からの言葉を。
「ありがとう、小柚。私と出会ってくれて」
「せぇんぱぁあぁいぃ〜」
小柚が勢い良く抱きついてくる。私はそれを優しく抱きしめ、頭を撫でる。
「うっぅぅ〜」
びえんびえんと泣く小柚を抱きしめながら、私はいまの幸せに、出会えたことに感謝したのである。
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