第23話 悲しみは私を逃がしてくれない
ただ、ひたすらに泣いていた。
自宅の近くの公園で。気づけばこんなとこまで走ってきていた。幸い人通りが少ない時間のため、人に見られることはない。
私にはそんな資格がないことは分かっていたのに。三年ぶりの悲しみという楽なものに逃げて。ただひたすら、自分勝手に感情を発散させていた。
今も理由ばかり探している。私は悪くない、十分頑張っているそんな浅ましい考えを肯定できる根拠を。泣いて、泣き疲れるまで泣けば、眠れるのではなかろうか。
寝て起きたら、みんな夢の出来事で。かすみさんの体調は良くなっていて、私は悲しみを思い出さないままでいて。妄想でもいいから、そんな世界が待っているのではないかと期待する。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。とっくに涙は枯れている。それでも立ち上がる力は湧いてこない。下を向いて、ベンチでただ座っていた。
遠くから激しい足音がする。足音が段々と大きくなっていき、近くで消える。
「寿人くん……」
私の目の前に立っていたのは、寿人くんだった。
「……どうして泣いてるの?」
涙は枯れていると思っていたのに。寿人くんの顔を見て、また感情が瞳から溢れだしてくる。
「……っ、うぅ……っく」
声がうまく出せない。
「大丈夫。大丈夫だよ」
寿人くんは隣に座り、優しく背中をさすってくれる。
「あ、……っ、あり、がと……う」
「無理しなくていいよ。大丈夫。ちゃんと待ってるから。隣にいるから……」
しばらく背中をさすってもらっていた。
その間、寿人くんは言葉を発していない。今はその優しさですら、胸の痛みを増幅させる。
「ん……、げほっ、げほっ」
息を吐き出す。無理やりにでも息を整え、涙をぬぐう。
「ごめんなさい。……もう平気」
「……そっか」
私の言葉を聞いて、寿人くんはゆっくりと手を離す。
「…………、聞いてくれる……?」
軽蔑されるかもしれない。突き放されるかもしれない。
それでも寿人くんなら、私の考えを理解して、慰めの言葉をくれるかもしれない。自分勝手なものだ。浅ましい。それでも、どんな形でもいいから救われたかったのだ。
「……私、気づいていたの。かすみさんの症状、特徴が『ネオンフィーブ病』と合致することに」
「……」
寿人くんは真剣な表情でこちらをまっすぐ見つめてくれている。
「軽いものでも、持つのがつらそうな時がある。体勢を変えるのにも、時間がかかっている。かたいものを食べているのを見たことがない。他にも……、たくさん」
「……」
「気のせいだと思いたかった。目の前ですごく楽しそうに、明るくて、素敵に笑う子が、不治の病を抱えているなんて……」
「あの階に入院している人たちは、元気になって退院する人もいるから。かすみさんもそのうちの一人になるものだと都合よく決めつけていたかった」
「岩清水先生は優秀だから。これまでもたくさん病気を治してきたから、今回もうまくいくはずだって、信じていたかった」
「考えることを放棄してっ! 誰かに任せて……っ、責任なんて感じない方がずっと楽だから」
「私は、私は、私は……っ、小柚に、偉そうなこと言って、結局はまたっ! また……逃げているだけだった……」
気持ちを一気に吐きだす。これもまた逃げなのだろうか。幼い子供のように喚き散らして。知っているはずなのに。どんなに醜く自分を罵っても、何も解決はしない。ただ、自分がすっきりするだけ。
それに、寿人くんは私のことを見捨てる人じゃないことも。逃げても、情けない姿を見せても、汚く甘えても、寿人くんは私を肯定してくれる。そんな根拠のない自信が私にはあった。
だから。
上を向いて、寿人くんの顔を見たとき、胸が締め付けられてしまった。そこにいたのは、見たことのない表情で、いつもの優しい表情ではなかったから。
そして、その真剣な顔のまま、射抜くような瞳で私を見つめながら、寿人くんは口を開いた。
「沙月さん。俺は、沙月さんの好きなようにしたらいいと思う。逃げるのが悪いことだとも思わない。むしろ、沙月さんが泣いちゃうほど苦しむなら、逃げて欲しいとすら思うよ」
ほら、寿人くんなら。こんな私でも。そう思ったときだった。
「でも!」
寿人の表情がさらに真剣に、苦しい表情に変わる。
「俺は君に後悔をしてほしくない! 逃げることの悔しさも、自分の不甲斐なさへの怒りも全部、君に気づかせてもらったから! そして、俺はそれを大切なことだと思ってるから! ……あの日の君の笑顔で、俺は救われた。思い出す度に胸があったかくて、おだやかになる。そんな君に……」
寿人くんの声で肩が震え、涙が、止まる。
「……あえて、言うよ。頑張ってほしい! あがいてほしい! 苦しんでほしい! つらくても、どうしようもなくても、はいつくばってでも、その子を助けるっていう道を選んでほしい! 多分、今の話を聞く限り、俺に難しいことは手伝えない。無責任かもしれないけど、死にたくなるほど悲しくなったら支える! もし失敗してどんなに笑われても俺が守る! だから、諦めないでほしい。俺は、人に、誰かに優しくしてる君が好きだから。君を優しく抱きしめたい。けど! それだけじゃなくて、俺は……、君の横で笑って、背中を強く押してあげられる人間になりたいんだ……」
寿人くんは、とても苦しそうだった。否定でも、肯定でもない。全身全霊の激励。
そうだった。あの日、寿人くんの力になろうと思えたのは、寿人くんが勇気をくれたからだった。
「ごめん……、むちゃくちゃ言って。それでも、俺は——」
パシ———ッン!
「えっ……」
両の頬を思いきりひっぱたく。痛みで頭と視界がクリアになってきた。
「ありがとう、寿人くん」
寿人くんの目がまん丸になっている。先ほどまでと違い、穏やかな表情になったことに安堵する。
「背中、もう一度だけ押してくれるかしら」
もう、迷いはない。
「うん! 何度でも!」
出会ってから一番の笑顔をみせてくれる寿人くん。
あのとき、『ネオンフィーブ』の研究から逃げてしまったのはなぜ?
心が弱かったからだろうか。それもあるだろう。だけど、多分、あのときはあなたと出会っていなかったから。
あなたと出会えたから。だから私は立ち向かおうと思えたのだ。
泥水にまみれようと、荊の道だろうと歩いてやる! 醜くあがいてやる!!
薬学者を目指した子供の頃のように、純粋に誰かを助けたいと思える人間を、もう一度目指そう。寿人くんが信じてくれるなら、自分に期待してみよう。
もう弱音は一生分吐き尽くした。
どうやって進んだらいいのか分からない。どういう希望を描けばいいのかも。何も分かっていない。ここに答えはないのだから当たり前だ。私にできることは、たった一つだけ。より良い未来を掴むための努力だけ。工夫、追求、研究、反芻。何もしないよりは、確実にましだと言える。
——
私はもう一度歩き出す。寿人くんに背中を押されて。
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