第13話 いまのはなし2【寿人⑤】
さっきまでいた個室居酒屋から歩いて、十分弱。
大きなビル二つに挟まれた小さな建物。俺はその建物の扉を開いて、隠れ家のようなバーに入店した。
店内の一番奥にポツンと座っている
「お久しぶりです。監督」
「……監督はやめろ。もうそっち方向はやってねえんだ」
「俺にとってはいつまでも監督ですよ」
「そうか……、まぁいい。
監督は
「はい。おかげさまで。すっかり元気です」
「そうか。ならいい」
そう言って、監督はグラスに入った茶色いお酒を口に含む。
「ありがとうございます。あそこを紹介してくれて」
「……構わねぇよ。あんときはお前の顔が一番白かった。ただ、それだけだ」
「ははっ、多分お互い様ですよ」
「かっ。言うようになったじゃねぇか」
監督は今日、初めて小さくだが笑顔を見せてくれた。
実際にはあの瞬間——最終回のことについて聞いたときは、周りを見渡す余裕なんてなかった。
ただ、監督の肩ががくりと、まるで何か重い荷物でも背負ったかのように、下がったのは覚えている。
「島で、何か……、聞くまでもねぇか。顔つきが全く違ってやがる」
「そうですね。いろいろな事があって、思ってたより多くのものを貰った気がします」
「そうか。大事にしろよ。人の縁ってやつぁ、どこで役立つかは分かんねぇもんだ」
そう言った後、監督はグラスにもう一度口をつけ、残っていた液体を飲み干す。カウンターの奥にいたマスターが、すぐにこちらにウイスキーらしきものが入った瓶を持ってくる。
「すみません。僕はウーロン茶、お願いします」
「それで? もう一度、芝居の世界に関わっていくつもりなのか?」
俺はウーロン茶で喉を濡らした後に、監督の質問に答える。
「少しだけ休憩しようと思ってます。一つだけあの島でやりたいこと、というより、やり残したことがあるんで」
「……まぁ、それもいい。まだまだ若ぇんだ、やりたいことをやればいい」
「そうですね。でも、多分、やり残したことを終えたら、また、もう一度だけでいいから演技もやってみたいと思ってます。スタントマン一本ってのも考えてたんですけど」
ゆっくりと、吐き出すように言葉を
「それもいいかもな。無理する必要はねぇが、どことなく気に入らねぇもんは削ぎ落としたほうがいい。あのままくたばっちまうような
お互い、抽象的な言葉しかしゃべっていないが、一つ一つ、言葉の意味をしっかりと理解できる感覚。同じ経験を持って、同じ絶望を味わったからこそ、今、俺たちは前を向けているんだ、と思う。
「監督は? まだあの学校に?」
「ああ、ガキどもに芝居を教えるってぇのも案外わるくねぇ。まあ今は、少しでも厳しくしたら、ぴーてぃーえーだの教育委員会とやらが、ぎゃあぎゃあうるせぇがな」
「ははっ、優しい監督ってのもちょっと見てみたいですけど」
熱く語る監督に、冗談めかして言った。
「かかっ。無視して厳しくやってるに決まってんじゃねぇか。俺が優しくなったらそん時ゃ、ぼけた時だけだ」
「変わってないようで安心しました」
冗談ではなく本気で言っていそうな監督の言葉に、盛大に吹き出しそうになるのをこらえて、返事をした。
「もう迷いは無ぇようだな」
監督はしっかりと俺の目をみて問うた。
「はい」
だから、俺もしっかり監督の目を見て、まっすぐに答えた。
******
監督と話した翌日。
それなりに高い丘の上。たくさんの花が咲いている場所に、俺は立っていた。
「親父さんは何も変わってないように思ったな」
「昔から、豪快に笑ってくれる人だよね」
「それと、皆んなに会って来たんだ。【サカレンジャー】の仲間たちに」
「ちょっとだけ変わってたかなぁ。髪型とか」
「でも変わらないことも多かったよ」
「ああ見えて智章さんが一番しっかりしてて、場を回してくれたり」
「保仁さんはちょっと感情が溢れがちで」
「憲剛さんはマイペースだけど優しいんだ」
「蘭さんも自分に素直って感じがしたな」
「五人で集まったら、また、あの時みたいに会話が続いたんだ」
「監督とも話ができたんだ」
「少しだけ雰囲気が優しくなってるような気がしたよ」
「前から案外優しい所はあったけどね」
「それから——」
——たくさん話した。
報告すべきことがたくさんあったから。
でも、これは最後に言っとかなくちゃ。
「——母さん。俺、初めて好きな人ができたんだ」
はっきりと口に出したのはこれが初めて。
自覚もほとんど出来ていなかった。だけど、不思議と恥ずかしいとは思わない。
自分の気持ちに、もう嘘はつきたくないから。自分の感情から、二度と逃げたくはないから。
「その人を連れて、またここに来られるように祈っといてよ」
「彼女の抱えているものを少しでも、俺が背負えたらいいなって思ってるんだ」
「じゃあ、また来るよ」
そう言って後ろを振り向こうとした瞬間。
『精一杯やりなさい』
そんな声が聞こえた気がした。
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