第53話 繋がった二人と影
好き……? 李音様が私を……? 嘘でしょ、これ夢なのかな? だって李音様が私のことを好き、だなんて、きっと何かの間違いなのでは?
ドキドキと心臓がやかましく暴れ始めた。しばらく抱きしめられ、どうすればいいのかわからず大人しくしているとようやく解放して貰えた。
すぐさま先ほどキスをされた唇を自身の手で触れると、その時伝わってきた彼の熱を思い出し、それが全身に伝染するかのように指の先まで燃えるような熱さを感じた。少しでも気持ちを落ち着かせようとしてるのにいつまで経ってもその熱は抜けやしない。
「えっ……あの……」
熟れた林檎のように真っ赤になった頬を抑え、深呼吸をしてからもう一度彼の瞳を見つめた。真剣でとても冗談を言っているようには見えない。本気、本気なんだ。どうしよう。でも、私もちゃんと言わなきゃ……。
「わた、しも、お慕い、しております……」
何だかものすごく堅苦しくなってしまったがそう言葉を振り絞るので今は限界だった。そんなカチコチに固まった私の返事を聞いても嬉しそうに笑ってくれる李音様を見て愛しいという気持ちがさらに溢れた。
(どうしよう……半分は冗談だったのに……まさか、こんなことが起きるなんて……)
裏を返せば半分は本気だったのだが、こんなにもトントン拍子に話が進むとは思いもしなかった。
しかし段々と時間が経つにつれて不安の気持ちが膨らみ始めた。やはり私では力不足なのでは? あの華ちゃんを納得させ、亜李沙さんにきちんと認めてもらう。そんなこと私に出来るのだろうか? 次々マイナスな気持ちが込み上げてきて、自己肯定感の低い自分が本当に嫌になる。いっつもこうだ。頭でばかり考えてちっとも行動に移せやしない。しかし誰よりも彼の隣に立ちたいという気持ちも決して嘘ではなかった。
そんな複雑な感情を抱いて口を開こうとした時だった。もう一度、優しく口を塞がれ、強張った体が彼の熱によって溶かされる。さっきは軽く触れ合うようなキスで今度は貪るような少し荒いキスだった。
「ひぇ……あ、あの、も、もう」
唇が離れた瞬間、両手で静止を求める。これ以上はもう完全にキャパオーバーだった。私の反応を見て面白がっているのか李音様は小さく笑みを浮かべるとようやく少し離れてくれた。私はホッと胸を撫で下ろすと一先ず落ち着くためにハーブティーを入れようと思った。どちらにせよ一度ゆっくり話し合いをしなくちゃいけない状況だ。顔を真っ赤にしながら「お茶入れるので座っててください」と言葉を残すと茶葉を取るためキッチンへ逃げるように駆け込んだ。
(心臓に悪い、本当に悪い……)
李音様から見えないように高い棚の後ろに隠れへたりこむ。もうどうしようもなく気持ちが浮かれていた。
(どうしよう、どんな顔で戻ればいいの?)
ペタペタと自分の顔を両手で触り、今だに熱を発する頬を冷ますため、とりあえずひんやりと冷たい壁に押しつけた。その奇妙な行動の後お湯を沸かし、二人分のお茶を入れ終わると元の席へと戻り、入れたてのハーブティーを差し出した。
「あの、私、その……」
どうしても本人を目の前にするとうまく言葉が出てこなかった。この短い間に言いたいことを纏めたつもりだったが全然纏まらなかった。
「揚羽」
「ひゃ、ひゃいっ!」
名を呼ばれ、思わず過剰に反応してしまう。そんな私を見てまた李音様は小さく笑うのだ。
「そんな様子じゃ変すぎるだろ」
「でも、だって!」
逆になんでそんな涼しい顔でいられるのか。私はこんなに恥ずかしくてたまらないというのに。むぅっと自然と頬が剥れ、つい可愛くないことを口走ってしまう。
「……李音様こそ、本当にいいんですか? 薫さんみたいな恋人じゃなくて」
「薫と比べたらキリないぞ」
自分で皮肉を言っておいて李音様のストレートな答えに不覚にも「そりゃそうか」と頷いた。
「それに俺は薫に対してそんな感情抱いたことないな。今も昔も薫は俺の姉みたいなもんだ」
そう言って李音様はハーブティーを一口含み、それでだ、と話を続けた。
「話は変わるが凪の話だと近々母さんが来る。その時、今度こそ本当にお前を本物の恋人として紹介していいんだな?」
改めて聞かれて揚羽は少し答えに迷った。もちろん答えは「はい」なのだが全ての不安を吹っ飛ばすほどの自信はやっぱり持てなかった。でももう、考えるのはやめることにした。全ての壁を一度に壊す必要はない。まずは一つずつ目の前の壁から攻略していけばいい。
「……はい。こんな私でよければ、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく頼む」
何だか不思議な気持ちになった。ほんの一ヶ月前に頼まれた偽物の恋人役だったはずなのに、いつの間にか両思いになれていたなんて。
「そうと決まれば本格的に華のことも断りやすいな。これからは変に遠慮する必要も無くなったしな」
「遠慮、ですか?」
偽物の恋人の時に遠慮していたこと、一体何のことだろう……?
そこまで考えてハッと息を呑み、ようやく熱が抜け始めていた顔がもう一度赤に染まる。まさか、遠慮したことって……
「知りたいか?」
「い、いえ、大丈夫です!」
思わずサッと手で唇をガードすると「当たりだ」と言って李音様は笑った。
「あの時は悪かったな。拒否したつもりはなかったんだがお前の気持ちがわからなかった以上、無理矢理は出来なくてな。それとも無理矢理の方がよかったか?」
「い、いえ! あの時のことは今すぐ忘れてください、直ちに!」
意地悪だ! 絶対意地悪されてる! なんか弄ばれてて非常に悔しい! でも心のどこかであの時のあの反応は拒否されたんじゃなくて私の気持ちを考えて遠慮したのだと知ったらちょっと嬉しいと思う単純な自分もいた。
「そういえば華は? 薫も体調が優れないと言っていたが何かあったのか?」
実は、と先程朝食の時に起きた事と薫さんから嵐さんの話を聞いたことを伝えた。すると李音様はようやく自分の口から話せたんだなと静かに笑った。どうやら随分前から薫さんは私にちゃんと話をしなきゃとタイミングを伺い、悩んでいたのだと言う。
「ここ数年大人しかったとはいえ、俺と凪はまだ華を100%信用していない。またいつ薫に手を出すかわからないからな。そして揚羽、もしかしたら今度はお前が狙われるのかもしれない」
確かに話を聞く限り、華ちゃんが仕組んだ可能性は高いと思う。でももし仮に薫さんがそのまま男に刺されて亡き者にされたとして、本当に嵐さんと華ちゃんがくっつく未来はあったのだろうか? それこそ嵐さんも今の薫さんみたいに結婚の話を全部断るのではないだろうか? 何でも全部自分の思い通りにいくと思っていたら大間違いだ。何とか華ちゃんにそれが伝われば暴走も止まるのではないだろうか?
「とにかく今まで以上に一人になることは避けてほしい。早急に華にも帰るように伝えよう」
まずはどこかに飛び出して行った華ちゃんを探そうと二人の意見が纏まった時だった。コンコンとノック音が響き、扉から凪様がひょっこり顔を出した。
「やぁ。今しがた薫ちゃんが眠ったところだよ。二人はよく話し合えたかい?」
「凪様!」
私は凪様の顔を見るなり彼の元へ走り出した。凪様は不思議そうに首を傾げ、私を見つめた。結果的に彼の助言のおかげで全てが丸く治ったので一言お礼が言いたかったのだ。
「あの、ありがとうございました!」
「えっ、何のこと?」
まだ何のことかわからず首を傾げている凪様にだけ聞こえるようにこっそり耳打ちをした。
「嘘を本当にすればいいって助言、本当に叶っちゃいました」
頬を赤く染めながら報告をするとようやく伝わったのか、凪様はニヤニヤと怪しく笑みを浮かべた。そして「ふーん、なるほどねぇ」と何か言いたそうに李音様に目配せを送った。
「よかったじゃん、いいなぁ、李音。両思いおめでとう」
小さな拍手と共に祝福の言葉が飛んだ。
「それじゃあ次は華ちゃんってわけだね。見たところ探しにいく所だったんだろ? 手伝うよ」
「あぁ、助かる。揚羽、お前は一旦自分の部屋で待機だ」
鍵をかけて声をかけるまで出てくるなと言われ、そのまま二人は華ちゃんを探しに出ていってしまった。本当は自分も手伝いたかったのだが、ここは大人しく言うことを聞いたほうがいいだろう。揚羽は仕方なく自分の部屋へと戻ることにした。
鍵をきちんと閉め、一先ずゆっくりベッドにでも腰掛けようかと思った時だった。
––ガタンッ
クローゼットの中からそんな音が響いた。また何か物が崩れてしまったのだろうか? と思いつつ、扉を開けてみると小さく体育座りをして縮こまった華ちゃんが声を押し殺して泣いていた。驚いた様子で彼女のことを見つめると、見てんじゃないわよ、とでも言いたげにキッと睨まれたがボロボロ涙を流すだけで言葉を交わす事はなかった。
まさかこの部屋の中に隠れていたとは思いも寄らなかった。一先ずそんな狭い所にいては体を痛めてしまうと思い、そっと「出ておいで」と声をかけ手を伸ばすと、口をへの字口に曲げながら無言でその手を取り、何とかクローゼットの中から出てきた。
「どうしたの、私に何かご用?」
きっと闇雲に隠れ場所として選んだわけではないだろう。わざわざ私の部屋のクローゼットに潜り込んでいたということは、私が戻ってくるのをずっと待っていたのだろうか?
「あのね……どうしてもアンタに言いたいことがあったの……」
ボロボロ溢れる涙を両手で拭いとると、朝あんなに自慢していたバッチリメイクも一緒に落ちてしまった。それでも華ちゃんの整った顔立ちで思いっきり睨まれるとものすごい威圧感を感じた。
「私、諦めないから。李音様は絶対アンタなんかに渡さない……!」
それは宣戦布告の言葉。そして次の瞬間、華ちゃんは私にめがけて、まるで弾丸のように鋭い体当たりをしてきた。そのまま後ろに押し倒され、頭をぶつけ痛がっていると馬乗りの状態で押し潰された。
「これ、李音様に付けてもらったんでしょ? いいよね、愛されてて。それで勝ったつもり?」
トントンと胸元に貼っている絆創膏を指で叩かれた。何のことかわからず黙っているとそれが勘に触ったのか、鋭く爪を立てられた。
「いたっ!」
「馬鹿にするのもいい加減にして。華、もう怒ったんだから……」
そう言って華ちゃんは自身のポケットからカッターナイフを取り出した。わざと私に見えるようにそれをチラつかせると、ゆっくりカチッカチッと音を立てて刃を少しずつ剥き出しにしていく。
「その顔、ズタズタにして李音様に二度と顔向けできないようにしてあげる」
その声色はちっとも笑っていなくて、目は獲物を狩るライオンのようにギラギラと血走っていた。
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