第52話 嫌じゃなければ

 楽しい誕生日会兼二人の結婚前祝いのパーティーが悲劇のパーティーへと変わった。


 嵐と凪は不穏な男の影を見逃さず、薫の危機へと駆けつけたがその際、嵐は男が持っていたナイフを奪い取ろうと取っ組み合いになり、弟である凪を危険から遠ざけるためにわざと突き飛ばし、薫を庇い男に刺されたのだという。


 急いで病院に運ばれたが医者が言うには目を覚ますのはほぼ絶望的。万が一助かったとしても日常生活は極めて困難な体になるだろうと言われた。


 紅葉狩家の両親は突然自分の息子が婚約者を庇い刺されたと聞いて酷く錯乱し、思わず薫のことを責めてしまった。勿論、薫が悪いわけではない。両親達も頭ではわかっていた。でもどうしても受け入れたくない辛い現実がそこにあった。だから全て薫のせいにして楽になりたかった。そして薫自身もそれを受け入れた。


「薫、貴方が悪いわけじゃないのはわかっているの。嵐は正義感の強い子だったから貴方を守った。でも私は、貴方の顔を見るのが正直辛い。お願い、察して頂戴。貴方にとって愛する婚約者であったように、私達にとっても愛する息子だったの」


 そう言って嵐の母は肩を震わせ涙を流した。何も言えずその場を去るしかなかった。もう二度と会う事は許されないのかもしれない。下手したら死に目にも合わせてもらえないかもしれない。薫はどうしようもなく打ちひしがれていた。


 このまま帰るわけにもいかず、しかし顔を見られたくないと言われてしまっては待合室を出るしか選択肢がなく、仕方なく病院の前に小さな公園があり、そのベンチに腰掛けた。いつの間にか日は沈み夜が近づいていた。血で汚れたドレスを隠すようにショールで隠したがこの格好のままだとあまり長居はできないだろう。


「薫!」


 聞き慣れた声が聞こえ、声がした方へ目をやるとバタバタと慌ただしく李音が駆け寄ってきた。息が途切れ途切れになっているところを見ると随分探し回ってくれたのだろう。


「これ、一先ず着替え持ってきた」


 紙袋を手渡し、一度病院のトイレで着替えてこいと言われた。その後、外で待ち続けて風邪でもひかれたら嵐に怒られる、車を用意したからそこで一緒に待とうと言ってくれた。涙を流しながらお礼を言うと黙って背中をさすってくれた。李音に連れられ、もう一度病院内へ入ると血相を変えた凪が薫達を探し回っていた。


「早く来て! 兄貴が、兄さんが目を覚ましたんだ!」


 その言葉を聞いてここが病院内だということも忘れ、ひたすら走った。すれ違う看護師に注意の声をかけられたのも全く気付かずにただひたすら集中治療室へ向かった。辿り着き、扉を開けるとそこには泣き崩れる嵐の両親達がいた。入ってきた薫、凪、李音の三人に順番に目をやりながら医者は重たい口を開いた。


「残念ですが……」


 その言葉に息を呑んだ。


 それは一瞬の奇跡だったと医者が言っていた。意識を取り戻した嵐がずっと薫の名を呼び続けているのを見てすぐに凪が薫を呼びに行ったが間に合う事はなかった。両親達は自分達が二人を引き裂いてしまったと、酷い事を言ってしまったと後悔した。


「嵐が、貴方をずっと呼んでいたの。無事なのか? 怪我はないのか? って最後まで貴方を心配していたわ」


「すまない。死に目に合わせてやれなくて、本当にすまなかった……」


 もう動かなくなった婚約者を見て薫は泣き崩れた。もう少し、もう少しだけ彼の側にいることが許されていれば、最後の時まで手を握って「私は大丈夫」と伝え、安心させることもできただろうに。


 凪も李音も抑えていた涙が一気にこぼれ落ち、目の前が真っ暗になった。あまりにも突然で、あまりにも早すぎる別れに心がついていけなかった。その空気をぶち壊すかのように一人、能天気で場違いな笑みを含んだ声が部屋に響いた。


「あら、もしかして助からなかったの?」


 重い空気を劈くようにヒールの音がコツコツと響いた。見舞いというにはあまりにも派手な格好の真っ赤なワンピースに身を包み、病院の中だというのに下品すぎる強い香水を纏い、冬花は口元に笑みを浮かべながら神聖な部屋へ不躾に足を踏み入れた。後ろには怯えるように体を震わせながら身を隠すように華がついてきていた。


「この度はご愁傷様です。まさかうちの薫が人に恨まれるような、ましてや命を狙われるような子だったとは。とても残念ですわ。彼女を産んではいませんが母親として一応、謝罪申し上げますわ」


 この女はどうしてこうも人の神経を逆撫でするようなことしか言えないのか? ここにいる全員、彼女が薫のことや紅葉狩家を馬鹿にしているようにしか思えなかった。いや、実際そうなのだろう。


「こうなってしまった以上。両家を繋ぐはずの婚約は白紙、ということになってしまいますね。しかし両家にとってこの白紙は余りにも勿体無いと思いますの」


 一人饒舌に喋り続ける冬花に全員が苛立ちを覚えた。今、この場でしなきゃいけない話なのだろうか? 悲しみに暮れる時間さえ、何故この女に奪われなくてはならないのか?


「だからと言ってお宅さまももう薫の顔なんて見たくもないでしょう? 次男の凪さんにはうちの華なんてどうです?」


 ニコニコとまるで深夜のテレビでやる通販番組のように。まるで商品を紹介するかのように冬花は後ろで震える華を指差して見せた。当然、紅葉狩家は激怒した。冗談じゃないと。


 火に油を注がれ、氷河家と紅葉狩家は事実上絶縁状態になった。婚約の話どころか仕事の話も打ち切られた。冬花はそれが面白くなかったのか薫をどこかそこそこの財閥へ嫁がせ、仕事のパイプを作ろうと何度もお見合いの話を持ってきたが全て断った。すると次第に屋敷の中でメイド達に意地悪をされるようになった。


 薫はこれ以上氷河家に関わり合いたくないとこの事件や虐めをきっかけに家を出ることにした。冬花ももはや薫に利用価値がないと思い、屋敷を出ていくことに反対はしなかった。華には強く止められたが何を言われても心は決して変わらなかった。


 紅葉狩家の両親は薫だけは守ってやりたいとは思ったが薫を受け入れてしまうとどうしても氷河家と縁が出来てしまい、公に力を貸すことが出来ず困り果てていた。実は嵐が最後にそっと遺言を残していたのだ。


『凪に、薫を任せる。きっと、本当はあいつも、薫のことが……』


 にわかに信じがたい言葉だったが最後に残した息子の言葉を胸に秘め、もしいつか、凪と薫が結ばれるような日が来るのであれば……その時は全てを受け入れようと思った。それまでは二人の問題なので深く口出ししないと決めたのだ。


 結局見かねた桜乃宮家が薫の身請けを申し出た。但し、結婚を望まない薫を嫁に迎えるのではなく、彼女の希望として使用人として迎え入れることになったのだ。こうすることによって衣食住は約束され、給金も惜しみなく本人に渡せることができる。こうして薫は令嬢としての人生を捨てたのだ。



「そして今の私がある。だから私、屋敷を出てから李音には……ううん、李音様には感謝しても返せないくらいいっぱい助けられたの」


 そう言って薫さんは力無く笑った。


 結局その事件は謎を残したまま幕を閉じた。捕まった犯人は何故このような事件を起こしたのか詳しく口を破る事はなくただ「幸せそうだったのでぶち壊してやりたかった」と曖昧な供述のみでパーティー内にいる誰とも面識はないのにどうやってパーティーに潜り込んだのか手引きした犯人を探したものの、その調査はいつの間にか何者かの圧力によって有耶無耶にされた。


 しかし火のない所に煙は立たない。その圧力をかけたのは氷河家現女当主の冬花ではないかという噂が少なからず飛び交っている。確かにもし薫が殺されていたら得をするのは嵐の花嫁になりたかった華と自分の娘を良いところへ嫁がせたい冬花が一番得をすることになる。


 ましてや冬花からすると薫は正妻の子であり、後々薫の父が死んだ後財産争いをする際邪魔になる。もし都合よく始末しようとしたのであればとんでも無い悪女だと噂が広まり、その真意がわからない以上、皆氷河家とは距離を置いているらしい。そんな噂もあってか華の嫁ぎ先もなかなか決まらずここ一年位、急激に桜乃宮家へ強引に嫁入り希望を志願してきたらしい。その理由は過去に薫が身勝手な理由で婚約破棄をしたからその穴埋めに今度は妹の華を嫁がせると無理矢理、亜李沙へ直談判をしているらしい。


「亜李沙さんも李音自身も何度も断ってるんだけどね。恋人がいないなら候補にくらいいいじゃないって五月蝿いんだよね」


「華も18になりましたし、早く良いところへ嫁に出したいのでしょう。正直氷河家の財産はもうほぼ底だとこの間経理のものから泣きつかれましたし……」


 確かにパーティーで見た二人のドレスや身につけていた宝石を見る限り、かなりの豪遊生活を楽しんでいるのだろう。湯水の如くお金を使えば減るのは当然だし、薫さんのお父様が寝込んだままなのであれば会社経営経験のない素人の二人にはお金を稼ぐ術がないのだろう。だから嫁ぎ先を見つけ、そこからお金の援助を得ようと必死になっているのだという。


「あの様子じゃ華ちゃんもまたいつ爆発するかわかんないし、俺個人としては李音には早く恋人ごっこを卒業してもらって本物の恋人を作ってもらいたいと思ってるよ」


 凪様に目配せをされ、ドキッと心臓が高鳴った。やっぱり……そうだよね。偽物の恋人なんてずっとは続けられない。亜李沙さんも近々訪れるらしいし、ハッキリと偽物の恋人役を降りないと……。


「随分と盛り上がっているな。何の話だ?」


 不意打ちに聞こえた声にまた心臓がびっくりして一瞬早く脈を打った。華ちゃんが開け放って行った扉から李音様が眠たそうに欠伸をしながら入ってきたのだ。朝ご飯を食べ終え、あの一悶着の後、二人の話を聞いていたらいつの間にかお昼近くまで時間が経っていたらしい。


「丁度良かった。李音、亜李沙さんから言伝だよ」


 凪様はもう一度改めて李音様と薫さんに亜李沙さんの言伝を伝えた。すると思っていた通り李音様は困ったように眉を顰め何やら考え事を始め、薫さんはというと何故か嬉しそうに微笑んでいた。そして凪様は二人の反応を面白がるように見つめ満足した後、薫さんの手を取りそっと寄り添った。


「李音、悪いけど薫ちゃんの体調が優れないから俺達はそろそろ失礼するよ。彼女を部屋まで送っていかないといけないからね」


 これはもしかして二人でよく話し合え、という事なのだろうか? 凪様はすれ違い様そっと小声で「大丈夫。頑張って」と言い残して薫さんの手を引いて開け放っていた扉を閉め去ってしまった。


 沈黙が少し続いた。なんて言って話を切り出せばいいのだろう?


「揚羽」


 私の考えが纏まるより先にさっきからずっと考え事をしていた様子の李音様が口を開いた。


 何を言われても傷付いてはダメ。泣いてはダメ。第一に李音様のお気持ちを大事に考えなきゃ。そう心に決めて強い意志を持って彼の言葉を待った。


「ずっと、考えていた」


 それは珍しく少しだけ震えた声だった。いつもは自信があって傲慢で少し偉そうな声が僅かだが震えている。何かに怯えているのだろうか? 一体何に?


「このままじゃ、ダメだって」


 それは偽物の恋人関係のことを指しているのだろうか? 李音様も同じ気持ちだったのであれば話は早いのかもしれない。


「はい。私もそう思っておりました」


 私も強く頷いた。偽物の恋人を解消するのは少し寂しいけれど、凪様の言う通り早く本物の恋人を探す方が賢明だ。期待させてしまった亜李沙さんには本当に悪いが嘘をついたままの状態で私はこれ以上隣に立つ事はできない。


 そうハッキリと伝えると何故か悲しそうな顔をされた。


 おかしいな、いい機会だから偽物の恋人を解消しようって話ではなかったのだろうか? そんな時、何故か凪様に言われた言葉をふと思い出した。


『嘘つくのがしんどいなら、この際嘘を本当にしちゃえばいいんだよ』


 そう頭の中で彼の言葉がこだまする。嘘を本当に、か。そんなの夢のまた夢だと思った。が、今のこのなんとも言えない空気をとりあえず何とかしようと思い、苦し紛れにそのまま冗談のつもりで口にした。


「この際、嘘を本当にしちゃいますか?」


 笑いながらあまり本気っぽく聞こえないように気を遣ったつもりだが何故か李音様の瞳が驚きの色で染まった気がした。あれ、もしかしてこの冗談思いっ切り滑った……? そりゃそうか。私は慌てて「なんちゃって」と続けようとしたが「な」の音を発したと同時に口を右手で塞がれた。


「それは、つまり」


 反対の空いている手で自身の顔を覆い、咄嗟に表情を隠していたが指の隙間から赤く染まる頬が見え隠れしているのに気がついた。その様子を見て今更ながら自分は思わず何て冗談を口にしてしまったのだと恥ずかしくなった。


「……俺と本物の恋人になっても構わない、という意味なのか?」


 確認するかのように続けられた言葉にどう返事すべきか悩んだ。が、この美しい紫の瞳に見つめられてはもう嘘はつけなかった。ゆっくり口を塞いでいた右手が離れ、そのまま優しく頬を撫でられた。


「り、李音様が、嫌じゃなければ……」


 思わずそんな言葉が飛び出したが内心言ってからすごく怖くなった。これではあの時と一緒ではないか。華ちゃんに目の前でキスをしてみせろと言われ、一人先走って拒絶されたあの日と。


 そのまま頬を撫でていた手がゆっくり降りて顎を持ち上げられた。恥ずかしくて目を逸らしたいのにその気持ちを読まれているのかどこにも逃してくれなかった。


「嫌じゃない、といえば?」


「……えっ?」


 どういう意味なのか全て聞く前に唇がそっと塞がれた。びっくりして目を見開いたまま何が起こったのかわからず思考が停止した。唇が離れ放心状態で固まっているとそのまま強く抱きしめられ、耳元でこう囁かれた。


「……好きだ」

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