第51話 欲しがりの妹奪われた姉

 華が婚約者である嵐を譲ってほしいと我儘を言い始めた日からあっという間に日にちが経ち、今日は薫の20歳の誕生日だった。


 二人の結婚式は一週間後に控えていた。今日は薫の誕生日パーティー兼二人の結婚前祝いパーティーが催されていた。沢山の人が訪れ二人を祝福した。それは李音や凪も例外ではなかった


「薫、誕生日おめでとう。そして少し気が早いが結婚おめでとう」


 デンファレと霞草で作ってもらったお祝いの花束を持って挨拶に行くとそれを嬉しそうに薫は受け取った。隣にいた嵐がその花束を見て小さくにやけていた。


「李音、粋なプレゼントだな。わざわざ自分で調べたのか?」


「さて、何のことですかね?」


 照れくさそうにしらを切る李音を見て嵐は肩に手を回し、頬をツンツンと刺した。


「痛いです」


 絡まれたのが面倒くさかったのか李音は静かに眉を潜めた。


「薫。李音が俺たちの事、花言葉で【お似合いの二人】だって褒めてくれてるぞ」


「まぁ、そんな意味が、本当にありがとうございます」


 花束をギュッと握りしめ、幸せそうに笑う薫を見て、今日くらい嵐のウザ絡みをもう少し我慢してやってもいいかなと思い、いつもは肩に回された手をすぐに振り解くのだが今日はほんの少しだけ我慢をした。


 その様子を少しだけ離れた所から凪は見ていた。自分の兄と幼い頃から妹のように可愛がっていた薫、二人の結婚前祝いも兼ねたパーティーなのは頭では理解していた。素直に祝ってやりたい気持ちもあるが、素直に祝えない気持ちもどこかにあった。


 そんな凪の気持ちを知ってか知らずか華がこそこそと隠れるように近づいて話しかけてきた。


「ねぇねぇ、凪様ってお姉ちゃんのことが好きなんでしょ?」


 またその話か。誰にも自分が彼女に好意を頂いているなどと喋った事はないのだが、いつの間にか態度に出てしまっていたのだろうか? うまく隠していたつもりだが目ざとい奴も中にはいたもんだとうんざりしていると華は怪しくニンマリと笑った。


「ねぇねぇ、だったら略奪しちゃえばいいじゃない。華は嵐お兄ちゃんが欲しい、凪様はお姉ちゃんが欲しい。二人で協力すればウィンウィン? って奴でしょ?」


 どこでそんな言葉を覚えたんだか。凪は華と会話してると頭が痛かった。9歳も歳が離れているとこうも話が噛み合わないのだろうか?


「あのね、華ちゃん。普通の人は人のもの取ったりしないの。華ちゃんも自分のものを誰かに横取りされたら嫌でしょ? 人にされたくないことを人にしちゃいけません」


 小さい子を叱るように優しい口調で言ったつもりだったが華は面白くなさそうに剥れた。


「凪様って案外育児なしなのね」


 もうどうとでも好きに言ってくれ。こっちはただでさえ失恋して傷ついてるんだから。華と会話をするのが心底面倒くさくなり無視を決め込むと華はようやく薫の方へ走って行った。


 幸せそうに沢山の人の輪に囲まれていて、美しい煌びやかなドレスを着た薫を見て、華はまた酷く姉のことが羨ましく思えた。ふとすぐ近くのテーブルを見ると誕生日のプレゼントと結婚のお祝いのプレゼントが置かれ、無数の山ができていた。


 これ全部お姉ちゃんのものなの? ふと自分の13歳の誕生日を思い出してみた。母が盛大にお祝いのパーティーをしてくれたがここまでのプレゼントの山は届かなかった。


(いいなぁ、いいなぁ、でもきっとお姉ちゃんがいなくなればあそこが華の居場所になるわよね)


 そう心の中でほくそ笑み、華は薫のドレスを引っ張り、呼び止めた。


「お姉ちゃん、ちょっとだけお話ししたいの。あまり人に聞かれたくないからあっちの方に行こう」


 そう言って比較的人の少ない場所を指さしてみせた。実はあの辺りにいるのは華が母親の冬花に頼んで買収した金持ちのフリしてパーティーに潜り込ませた貧乏人達の集まりだった。彼ら達は多額のお金欲しさに華の合図一つでどんないうことでも聞いてくれる。


 そんな危ない人たちの集まりの輪に誘導されてるとも知らずに、薫は快く承諾をしてくれた。


 凪は少し遠目から何故か主役を引き連れて部屋の隅に移動する華を見て違和感を覚えた。理由はわからないがなんとも形容し難い不安に襲われた気がした。


(まさか、ただの考えすぎ、だよな)


 いくら華が我儘でも今まで手を出してきた事は一度もなかった。しかし、なんだろうこの胸騒ぎは……ただの勘違いであればいいのだが……


「兄貴、ちょっといい?」


 やがて凪は一人で抱えきれなくなった不安を兄の嵐と分けるかのように口を開いた。




「それで華、話って?」


 近くのソファに誘導し薫を座らせると、偶然近くを通りかかったように見せかけた仕込みのウェイターからジュースと度数の高いお酒をうまい具合にシェイクしたものを入れたグラスを選び、わざと手渡した。怪しまれないように華自身も似たような色のジュースを手に取り、目の前で一口飲んでみせた。


「あのね、最後のお願いに来たの」


 ここで素直に婚約者の座を譲ってくれたらこの作戦はこれでおしまい。でも、もし拒否したら……その時は––


「どうしても、嵐お兄ちゃんとの婚約、華に譲ってくれないの?」


 うるうると瞳を潤ませ、自分がもてる最大級の可愛さでおねだりをした。今までこのおねだりをして断られた事は一度もなかった。薫は正直心の中でまたそのお願いか、とも思ったがその言葉はグッと飲み込んだ。何度聞かれても、何度頼まれても答えは同じ。どうすればこの子に伝わるのか、それだけを考えていた。しかし、やはり口から出た答えはシンプルに断ることだった。


「そうね。例え可愛い妹の頼みでも嵐さんだけはどうしても譲ることができないわ。私、彼のことが好きなの。誰にも譲れないくらい、本当に」


 それは嘘偽りのない凛とした声で真っ直ぐに華の耳に突き刺さった。


 違う、そうじゃない。聞きたかったのはそんな言葉じゃない。いいよって、華にならいいよって、もちろん譲るよって、ただ、その言葉だけが欲しかった。


「……わかった。我儘言ってごめんなさい。お祝いも兼ねて乾杯しましょう」


 グラスを薫に向けて少し掲げてみせる。グラスとグラスをぶつけるこの行為、この【乾杯】の動作がここにいる人達への華の合図になっているとも知らずに。


「えぇ、乾杯」


 疑うこともなく、薫は掲げられたグラス目掛けて自身のグラスを合わせ、小さく音を鳴らした。そして二人がグラスに口をつけ、中の飲み物を飲み干した。そして短い談笑と改めて華からのお祝いの言葉を聞き、ようやく祝福してくれるのだと心から嬉しく思った。これで心残りすることなく結婚式を迎えられると思っていた。


「それじゃあ私はそろそろ戻るわね、あらっ?」


 腰掛けていたソファから立ちあがろうとすると何故か足がもたついた。おかしいわね、今日はジュースしか飲んでいないのにと不思議に思ったが、ただの疲れで脚がもつれたのだと思い、その場から立ち去ることにした。


 しかし、一歩また一歩と歩き続けるにつれてどうも平衡感覚が取れず、千鳥足のようにふらついた。華が内緒で呑ませた甘い味でジュースのように誤魔化したアルコールが徐々に薫の体の自由を奪った。しかも度数の高いものを一気に飲み干し、20歳になったばかりでまだお酒に慣れていない薫の体はそれに順応することが出来ず、訳もわからないまま高鳴る動悸を抑えようと一度立ち止まった。


––その時だった。


 急に一人の男が薫に向かって走り出した。手元には怪しく光る銀色のナイフが見え隠れしていた。でも誰もその異変に気づく事はなかった。大人達はお酒が入り、若い男女は次こそは自分の番だと番いつがいを探し、皆周りを気にする余裕などなかった。薫も体調が優れず、しかも背中側の死角から狙われ男に気づく術がなかった。


––ただ二人、薫から目を離さず見守っていた者達以外は。


 華は自分にあらぬ疑いが掛からぬよう遠くから高みの見物をしていた。大好きな姉がいなくなってしまう。そりゃあ少しは悲しい気持ちがないわけではなかった。なんでもいうことを聞いてくれる私のお姉ちゃん。でも今回はお姉ちゃんが悪いのよ? お姉ちゃんが華に譲ってくれなかったから。だから––


(さぁて、これから忙しくなるわよ。これから起こる惨劇にピッタリの悲劇のヒロインを演じなきゃ)


「バイバイ、お姉ちゃん」


 それはただの小さな独り言。あまりにも上手くいきすぎて思わず気が緩んで出てしまった言葉なのだろう。でもただ一人、気づかれないよう華の近くに移動してきた李音だけがその小さな独り言を聞いてしまっていた。


 思わずどういう意味なのか、聞くべきか迷っていた時だった。


「キャァアアァァァ!」


「人殺しよ! 誰か、誰かあの人を取り押さえて!」


「誰か刺されたわ! 救急車を呼んで!」


 複数の貴婦人達の叫び声が響き渡った。思わずそちらの騒ぎに気がとられ、華から目を離してしまいそうになったが、嵐と凪に華を見張っているよう頼まれた自分は一秒たりとも目を逸らさないよう強い意志で華を見つめた。


 するとその叫び声を待っていたかのように華はすぐに涙を浮かべ、泣きながらその騒ぎの中心に向かって走り出した。李音も後ろから華を逃さず追いかけるように後を追った。


「そんな、どうして!」


 そんなわざとらしい言葉をまるで周りにいる人達に聴かせるかのように華は泣き叫んだ。騒ぎに驚いた人達が入口目掛けて雪崩のように駆け込み、会場内はパニックに陥っていった。


 ようやく騒ぎの中心に辿り着き、目をやるとそこには––


「あ、れ……な、んで?」


 それは本心から溢れた言葉だった。華は目の前の光景が信じられず、ただ茫然と立ち尽くした。


 目の前は血の海。力なく座り込む薫の真っ白なドレスが血で赤く染まり、むせ返るような鉄の匂いが鼻を刺した。そして薫の胸元に寄りかかり倒れ込んで動かない血まみれの嵐の姿があった。


「な、んて、嵐お兄ちゃんが……」


 刺されてるの? 私はママに頼んでお姉ちゃんを消してって、頼んだのに、なんで、これじゃあ……華、お兄ちゃんと結婚できないじゃない……


「うぁ、うわぁぁぁぁぁあぁぁん!」


 会場の窓ガラスが全部割れるんじゃないかと思うくらい、それは大きな泣き声というより、獣のように大きい叫び声だった。


「おね、お姉ちゃんを庇って、嵐お兄ちゃんが、死んじゃったぁぁぁぁああ」


 なんで、どうして? こうなったの? 華は、ただ


––嵐お兄ちゃんが欲しかっただけなのに。

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