第49話 波乱の朝
台所へ向かうとすでに薫さんが朝食の準備を始めていた。華ちゃんの姿はまだなく、反対に意外な人物の姿があった。
「やぁ。おはよう」
凪様だ。さわやかに挨拶を交わし、大人しく席に着いて朝食ができるのを待っている様子だった。なぜここに居るのか理由を聞く前に本人がペラペラと喋り出した。
「李音に言われてね。様子を見にきたんだ。薫ちゃんのご飯も食べれるしねー」
ねーっと可愛く相槌を打ったが薫は冷ややかな目で一瞥した。
「凪様。あまり私達と関わりを持つとまたお家の方に怒られますよ」
「構やしないさ。俺は自分の気持ちに正直でいたいんでね」
注意をしたのに一向に聞く気がない様子に薫が剥れると、凪はその姿を見て「ふふ、可愛い」と声が漏れ出た。その言葉に不満そうにまた薫は剥れた。
「そういえば我儘
「もうすぐ降りてきますよ。朝から随分お目かししてるみたいで……」
苦笑いを浮かべながら薫さんは朝食のプレートをテーブルに置いた。私も慌てて運ぶのを手伝った。
そして李音様は昨日徹夜で仕事をしていたので朝は起きて来ない事を伝え、彼を除いた人数分の朝食を準備し終えた頃、華ちゃんがやっていた。
「見てー! 昨日ぜーんぶ李音様に買ってもらったのー。せっかくだからつけてきちゃったー」
そう言って部屋に入ってくるなり、モデルみたいに少し気取りながら歩いて私の目の前で止まり、クルッと回ってみせた。
ふわっとフリルいっぱいの桃色のスカートが舞い上がり、頑張って巻いたであろう巻き髪のツインテールが動く度に揺れた。頭には昨日も自慢してきた真っ赤な薔薇の髪飾りがついている。他にも香水を纏っているのだろうか? 少しだけツンッと刺さるような強めのジャスミンの匂いが鼻の中をくすぐった。本当にお洒落に随分時間をかけたのであろう気合いの入れっぷりが垣間見れた。
そして華は余裕たっぷりの笑顔で怪しく笑った。
(どう? 昨日の夜は抜け駆けされたけど今日はそうは行かないわ、可愛い華を見て少しは醜く嫉妬でもしてなさい)
いつもお洒落に気を遣ってはいるが今日はこの女よりも何倍も、いや何十倍も何百倍も磨いてきた。朝からパックもしたし、お気に入りのとっておきの香水を鎧のように纏い、一番可愛く見える髪型を研究し、新作の化粧品でメイクも万全。自分の顔を見て絶望しろ、可愛い華を見て自分は何て平凡で地味で花がないのだと思い知るがいい。
はらわたの中身がそんな汚い言葉で煮えくり返っているとも知らずに揚羽は呑気に素直に思った感想を述べた。
「とってもお洒落さんで可愛いです」
お洒落に疎い自分でも華ちゃんが物凄い気合いを入れているのがわかった。私にはセンスがないから素直に女の子らしい可愛い服を着こなせてて凄いと思った。メイクだって自分の良さを理解しているから長所がより目立つように工夫されてるし、何よりピンクが本当に似合う。
予想よりも遥かに褒められた華は、本当は嫉妬する醜い姿が見たかったのをすっかり忘れ、勝利を確信し、ふふんっと鼻を鳴らしながらご機嫌な様子で着席した。
「そういえば何で凪様がいるのぉ?」
ミニトマトを口に運びながら華は不思議そうに首を傾げた。
「久々に薫ちゃんのご飯が食べたくなってね。お邪魔させてもらったよ」
負けじと凪様もカリカリのベーコンを口に運び、あっという間にご飯を平らげた。するとすかさず薫さんが茶碗を受け取り、ご飯をよそっておかわりを差し出すと嬉しそうに受け取り、いつもの甘い言葉で薫さんを誘惑した。
「ありがとう。薫ちゃんの作ってくれるご飯は美味しいね。毎日食べたいくらいだ」
「お褒めに預かり光栄ですわ。いつでもいらしてください」
多分、お嫁にきてほしいの意味を込めていたと思うけどストレートに言葉の意味だけ受け取った薫さんは愛の言葉だと思わずにニッコリと微笑んだ。その反応を見て伝わらなかったことに気づいた凪様はガックリと肩を落とした。
「ちぇー。毎日薫ちゃんと会える李音が羨ましいー」
そんなことをボヤきながらものすごいスピードで白米を口に運び涙を飲んだ。そんな二人の様子を見て私は思わず口元が綻んだが華ちゃんはそうではなかったようだ。嫌悪の表情を浮かべ、ストレートに言葉を吐いた。
「うわっ……お姉ちゃん。まだ凪様のこと弄んでるの?」
その言葉に一瞬でその場が凍りついた。
「……えっ?」
びっくりした様子で何とか声を振り絞った薫に対して華はもう一度容赦なく言葉の爆弾を投げつけた。
「だって、嵐お兄ちゃんとあんなことがあったのにちゃっかり凪様もキープしてさぁ、家を出た癖にこれまたちゃっかり李音様所に転がり込んで、お姉ちゃんって案外欲張りさんよね」
ムシャムシャとサラダを口に運び、悪びれる様子もなく続けた。ふと凪様を見ると怒りで拳が震えているように見えた。慌てて話題を変えようと試みたが一足遅かったようだ。
「……あ、私、そんなつもりじゃ––」
ポロポロと薫さんの目から涙が溢れていた。その姿を見てもまだ華は少しも悪びれた様子はなく、むしろ面倒くさそうにため息をついた。
「あのさぁ、華ちゃん。俺が個人的に好意を伝えてるだけだから彼女を責めるのはやめてくれないかな?」
それは上手く怒りを隠した猫撫で声だった。これ以上刺激を与えたら今にも爆発しそうなくらい不安定さが伝わってきた。お願いだからこれ以上何も起こらずに時が過ぎ去って欲しかった。その願いはことごとく叶わない。
華は眉をあげ反論するかのように再び噛みついた。
「それってずるくない? いいよねお姉ちゃんは。婚約破棄になってもまた別の人が言い寄ってくれて」
「……華ちゃん、悪いけど少し黙っててくれないかな?」
「いいよねお姉ちゃんは、最初から何でも持っていて華は何一つ持ってない。だったら何でそれを少しでも華に分け与えようとしてくれないの? 嵐お兄ちゃんを譲ってくれても罰は当たらなかったと思うわ」
チクチクと小さな針で何度も刺すように、言葉の攻撃は止まらない。
「そういえば揚羽さん知ってる? 本当はね李音様、お姉ちゃんと結婚する約束だったのよ。お姉ちゃんは揚羽さんを騙してそういう大事なことは全部内緒にしてるの」
「待って、そういうわけじゃ––!」
「黙ってるってことは同じじゃない。内心は揚羽さんのことだって、華のことだって心の底で笑ってるんだわ。元々李音様は自分のものだったんだって!」
そう投げやりに吐き捨て、ベーコンに思いっきりフォークを突き刺すと華ちゃんは勢いよく立ち上がった。そして次の瞬間、ポロポロと涙を流し、うわーんと大きな声を出して泣き始めた。私は慌ててポケットからハンカチを取り出し、華ちゃんに手渡したが一向に泣き止む気配はない。
「揚羽さんだって内心華を馬鹿にしてるんでしょ? いいよね愛されてる人は! どうせ華は、華は誰からも愛されないんだ!」
大声で喚き散らすと勢いよく扉を跳ね除けて出ていってしまった。後を追いかけようかと思ったが凪様に強く制止された。
「放っておきなよ。彼女は少し頭を冷やした方がいい。思い通りに行かなくて周りに当たり散らかしてるだけなんだから」
そういって凪様は震える薫さんの肩を抱いて「大丈夫?」と優しく声をかけた。薫さんはゆっくり私の方を見ながら嗚咽混じりの声で顔を真っ青にしながら首を振った。
「……違うんです……違う……違うの……」
何かを否定するように同じ言葉を続け、薫さんはフッと意識を失い倒れた。傍にいた凪様が体を支え抱き上げると近くのソファに移動し、そっと寝かせた。
「お医者様を呼んだ方がいいでしょうか?」
「大丈夫。寝てれば治るよ。前にもこんなことがあってね。大袈裟にすると薫ちゃんが嫌がるんだ」
寝言でまだ唸っている薫さんを安心させるかのように凪様は優しく頭を撫でていた。
「ごめんね。俺のせいで傷つけてしまったね……」
「凪様のせいではないと思います……」
私は思ったことを言っただけなのだが凪様はその言葉に救われたかのように嬉しそうに微笑み、礼をいった。そして寝ている薫さんの邪魔にならないよう少し離れたテーブルに戻り、二人で食後のお茶をいれ、ゆっくり様子を見ることにした。
「さっき華ちゃんが言っていたことは、いずれ薫ちゃんが自分の口で話してくれると思うよ。ただ昔色々あってね。彼女も少し臆病になってるんだ。時間がかかるかもしれないけど察してあげてくれると助かるよ」
そう言って凪様は入れたばかりの紅茶を口に含んだ。
(……どうして華ちゃんはこんなにも私達を攻撃してくるんだろう)
好きとか、嫌いとか。様々な人間の感情があるが彼女の場合振り幅が0か100しかないのだろうか? どうして自分の感情ばかり押し付けてそれが受け入れられないとあんなにも爆発してしまうのか。
「やっぱり、よくないですよね……。このまま恋人のフリして騙すのは……」
もし彼女が本当の意味で、本気で李音様のことが好きで、愛しているのなら、正々堂々正面から断るべきで、このように回りくどい嘘をついて傷つけるのはあまりにも失礼な気がしてきた。
そりゃあいくら彼女が好きでも、李音様がその気にならなきゃ意味がないのもわかっている。
「李音の恋人のフリ、やめたくなった?」
凪様はじっと見据え、ただニコッと笑った。その笑みにどういう意味や感情が混ざっていたのか上手く読み取れなかった。多分、悪い意味ではないと思うが不安になって見つめてみると彼は人差し指を自身の口にあて、ウィンクをしながら小さく笑った。
「嘘つくのがしんどいなら、この際嘘を本当にしちゃえばいいんだよ」
「えっ?」
簡単な話でしょ、みたいなノリで提案されても困るだけだ。そんな夢見たいな妄想みたいな話、実現するわけがない。私は「揶揄わないでください」と剥れながらいうとまた凪様は小さくクスッと笑った。
「まぁ、確かに揚羽ちゃんの言う通り嘘をついたり、逃げ腰の李音が一番良く無いよなぁ」
うんうん、と自分自身の言葉に相槌を打ちながら首を縦に振った。
「実はね、亜李沙さんから言伝を貰ってきてるんだ」
いたずらっ子のような笑顔を浮かべ、少しだけ面白がるように凪様はまた一つ魅力的なウィンクを飛ばした。そして亜李沙さんをイメージしてなのか、気持ちいつもの地声より高めで色っぽく言伝を述べた。
「近々屋敷に遊びにきます。その時に正式に候補ではなく、婚約の手続きを行うので楽しみにしててね、だって」
私はそれを聞いて顔が真っ青になった。
どどどど、どうしよう!?
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