第48話 華の嫉妬

 時刻は午前6時前。華は珍しく早起きをして李音の自室へと向かっていた。


(寝起きドッキリで李音様をびっくりさせちゃおう〜)


 るんるんっと鼻歌を歌いながら足取り軽く階段を一つ、また一つと駆け上がった。その度にトレードマークの長いツインテールが右に左に大きく揺れた。


(それとも起こさずにベッドに入って一緒に添い寝するのもアリかも)


 あれやこれやと次々に悪巧みの案が浮かぶ。


 例え李音と揚羽が本物の恋人だろうが偽物の恋人だろうが華にとってはもうどうでもよかった。あんな女に自分が負ける気はしなかったし、幼い頃から母である冬花とうかにずっと言われ続けた言葉。


『欲しいものは自分自身の手で勝ち取るものよ。例えそれが他人のものであっても、ね』


 華はその言葉を信じ続けてきた。現に今まで彼女に手に入らなかったものはない。壊してしまったものは別だけど。


 だから抜け駆けをしようと思ったのだ。朝ならばあの女は李音様の傍にいないと全部計算しての行動だった。


(結局、李音様が華にメロメロになればいいだけの話でしょ。簡単簡単、華が本気を出せばイチコロよ!)


 鼻息荒く部屋の前までたどり着き、そーっと扉を開けキョロキョロと周りを見渡した。カーテンは閉ざされたままで中はまだうっすらほの暗かった。


 忍足で部屋の中に滑り込むと真っ先にベッドに向かった。


(さーて、李音様の寝顔はどんな感じなのかなー)


 ワクワクとした気持ちでベッドを覗き込んだ。しかし期待とは裏腹にそこで寝ていたのは見知らぬ女。いや、正確には見知った女だった。薄暗くて一瞬誰なのかわかりにくかっただけで冷静に見てみるとそこに寝ているのは揚羽だった。


(どうしてこの女がここに?)


 確かに李音様の部屋に忍び込んだはず。部屋を間違えたわけではない、とすると……


(二人は昨日、一晩を過ごしたってこと?)


 華が呑気にお風呂に入ったり、お姉ちゃんに疲れた体をマッサージをしてもらってる間、二人は私に内緒で会っていたってこと?


 舐められたもんだと沸々と怒りが煮えたぎった。しかし意外なことに華は冷静に怒りを抑え考えた。


(待って、まだそうと決まった訳じゃない。それじゃあ李音様はどこ?)


 辺りを見渡してみるが彼の姿はどこにもない。でも部屋にいた形跡はある。一緒に部屋にいたのは間違い無いと思う。それじゃあ今は一体どこに……。


 耳をすましてみると微かに脱衣所の方から音がする。これは、シャワーを浴びている音?


 ハッとなり、もう一度ベッドで眠る揚羽をマジマジと見つめた。服装は昨日着ていたものと同じ、よく見ると上の服がはだけているように見えた。暗闇の中、カーテンの隙間から入ってくる光を頼りに目を凝らしてみる。


 ほんのり残る赤いアザのようなもの、これはもしかして……


(……ッ!)


 みるみるうちに華の顔が鬼の形相のように変わっていく。気分が悪くなり、そのまま飛び出るように部屋を後にした。


「はぁ……はぁ……うっ、おえええ」


 今は少しでも二人から遠のきたくて階段を駆け降り走って、走って走って逃げ出した。息切れし、立ち止まると不快な気持ちと共に胃の底から胃液が押し寄せてきた。気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。


「絶対に壊してやる……」


 他人の幸せなど見たくなかった。大事なのは私自身が幸せになれるか否か。あんな女に優良物件李音様を取られてなるものか。華は奥歯を噛み締め、襲いくる吐き気を押し除けてまた歩き出した。





***


 時刻は少し巻き戻る。


 華が立ち去って間もなく揚羽は目が覚めた。眠たい目を擦り、体を起こすとすぐに自分の部屋のベッドではないことに気づいた。


(あれ? 私、あのまま李音様の部屋で寝ちゃったのかな……)


 確かソファで眠っていたはずなのにベッドの上にいるということは、気を利かせて貸してくれたのだろうか?


 ……ということは、ここは普段李音様が使っているベッドということになる。その事実に気づいて頭の中がサーッと真っ白になった。主人を差し置いて寝てしまうなんてなんという失態なのだろう……。しかも一晩もベッドを借りてしまうなんて……。


(バカバカ、気が緩みすぎでしょ……)


 本人にあったらなんて謝ればいいんだろう……そんなことを考えていると脱衣所の方から扉の開く音と共に足音が近づいてきた。


 シャワーを浴びていたのかポタポタと滴を垂らしながら濡れた髪で李音様は部屋に戻ってきた。


「起きたか」


「あ、すみません……私、全然起きなくて……」


 申し訳なさと恥ずかしさの気持ちが入り混じって思わず目が泳いでしまった。その挙動不審な様子を見て李音様はクスッと笑った。


 私は急いでベッドから飛び降りると窓際に駆け寄り、薄暗い部屋を照らすようにカーテンをひき、朝日を取り込んだ。急に差し込んだ光はあまりにも眩しくて思わず目をギュッと瞑った。


「揚羽」


 名前を呼ばれたので目を開き振り向くと、朝日の光に照らされ、雫で濡れる李音様の美しい茶色の髪がキラキラと輝いていた。濃い紫色の瞳が私の姿をしっかりと捉える。


「本当にお前のおかげで助かった。ありがとう」


 お礼を言われ、思わず表情筋が緩んだ。確かに大変だったけどお役に立てたなら何よりだ。私は言葉の代わりに笑顔を返すとそれに満足したように李音様も微笑み返してくれた。


「悪いが俺は昼まで少し寝る」


 ベッドを借りてしまい、昨日は徹夜したのか眠そうに欠伸を一つ漏らして、先程まで揚羽が寝ていたベッドに吸い込まれるように潜り込んだ。


 その様子を見て慌てて揚羽はもう一度カーテンを閉じ、昨日飲んだコーヒカップを下げながら部屋を後にした。


(私も一度部屋に戻ってシャワーを浴びよう……)


 服も昨日のままだし、このまま下に降りていくと変だよね? 早めに済ませて朝食の手伝いくらいはしないと。そんなことを思いながら廊下をパタパタと駆け抜けた。


 自室に戻り服を脱ぎ、脱衣所にある大きな鏡を見てふと気がついた。


「あれ、この赤いアザみたいなの、なんだろう?」


 どこかにぶつけた覚えもない……その真新しい赤い印が何故できたのか疑問に思ったが、まぁ、痛いわけじゃないし、別にいっかと流した。


 シャワーを急いで浴びて髪を乾かし、メイド服に着替えようとしたのを寸前でやめて、また私服に着替える。アザが見えないように一応絆創膏で隠しもした。


 着ていた服を洗濯に出さないとと思い、ポケットの中身を引っ張り出すと、昨日見つけた李音様のお守りがでてきた。どうやら間違って持ってきてしまったようだった。


(あとで返さないと……)


 その時に母のことを何か聞けたらいいなと思った。とりあえずもう一度今着ている服のポケットにいれ、朝食の手伝いに行こうと食堂へ急いだ。

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