第44話 恋人役続行

(やだ……、どうしよう……自分の心臓の音、李音様に聞こえてないよね……?)


 パーティー会場内を後にしてようやく人の視線がなくなり、恥ずかしい気持ちが落ち着くと思っていた。しかし思ってた以上に激しく暴れた心臓は早々に鎮まることはなく、今もなお激しく脈を打っている。


 あの後、タクシーを捕まえ真っ直ぐ屋敷に帰った。薫さんはどうするのかと聞いたら凪様が最後まできちんとエスコートして連れて帰ってくるとのことだった。


 屋敷に着き、タクシーを降りると今度は自分で歩くから大丈夫ですと伝えたのだが、頑なに有無をいわせず、また抱っこされた。


(はぁ……なんか私だけドキドキしてるの、バカみたい……)


 チラリと抱かれたまま彼の顔を見るととても涼しい顔をしていた。一欠片も恥ずかしがっている様子はない。


(サラッとこういうことしちゃうんだもんなぁ……)


 なんか悔しいなぁ、とジトッと李音様の横顔を見つめていたら視線に気がついたのか声をかけられた。


「どうした?」


「……申し訳ございません。今日はあまりお役に立てず」


 本心からの気持ちだった。正直、結果的に言えば周りの人達の反応は悪くなかったと思う。まだ疑う者もいるかもしれないが最低限恋人のフリは成功したと思われる。しかし最後の最後に大失敗をしてしまった。


(私がもう少し注意していたら……)


 咄嗟の出来事だったとはいえ、もう少し気をつけていればあそこまで大騒ぎにならなかったかもしれないのに……。せっかくパーティーを主催してくれた亜李沙さんにもご迷惑をかけてしまった……後で謝らないと……。


 そんなことをグルグル頭の中で考えていたら無事に自室に辿り着いた。ベッドに汚れたドレスのまま腰掛けるわけにはいかなかったので近くの椅子にそっと下ろしてもらい、会話の続きをした。


「いや、むしろこちらこそお前を守りきれなくてすまなかった」


「そんな、私が––––」


 それ以上は言葉にすることができなかった。李音様に人差し指を唇にそっと当てられ止められた。


「お前を守れなかった俺が悪い」


 綺麗な紫の瞳に見つめられ思考が止まった。


「手、大丈夫か?」


 ガラスの破片で切ってしまった手を確認するかのように手を握られた。薫さんに巻いてもらった真っ白のハンカチは既に何箇所か血で赤黒く染まり、斑点模様がついていた。そのハンカチをそっと解き、傷口を確認された。私は心配させまいと言葉を選んだ。


「血が出て大袈裟に見えるだけで全然傷は浅いですよ」


 本当は握ったり、動かしたりすると少し痛みが走るのだがそれは黙っておくことにした。


「……」


 極めて明るく心配させないように言ったつもりだったが、李音様は全てお見通しというような目で見つめてきた。そして


––チュッ


「ひゃっ!?」


 何故か手の指にキスをされた。しかも意味はないのかもしれないがたまたま唇が当たったのは左手の薬指だった。思わずびっくりして間抜けな声が出てしまいものすごく恥ずかしかった。


「り、李音様? どうなされましたか?」


 偶然唇が当たったのかな? と無理矢理そう思うようにしてたらもう一度優しく指にキスをされた。


「あ、あの……」


 触れられた箇所から徐々に熱を帯びてその熱は全身に伝染した。李音様は質問に答える代わりに小さく笑うと、今日は休め。と一言残し、そのまま部屋を後にした。


(し、心臓に悪い〜〜〜!)


 結局どういう意味なのか、どういう意図だったのか分からなかったけど深く考えるのはやめた。きっとただの謝罪的な意味に違いない。取り敢えず急いでドレスを脱ぎ、甘いジュースでベタベタする髪を洗うため、火照る体に熱いシャワーを浴び、気持ちをシャキッとさせ何事もなかったかのように眠ることにした。






***


 翌日。朝起きて早々に李音様の部屋に呼ばれた。話を聞くと今日、屋敷に華さんが遊びに来るらしい。


「すみません。何度も私の方で断ったのですが全くいうことを聞かなくて……」


 心底困ったように薫はため息をついた。


「いや、むしろ昨日は薫にも迷惑をかけた。俺がもう少し冷静に対応していれば……」


 昨夜は、自分でも驚くくらい李音は感情的になっていた。もう少し冷静に事を進めるべきだったのに昨日は自分自身を上手くコントロールすることができなかった。父親に何よりも1番に自分の感情をコントロールする術を学んでいたのに……こんなのは初めてのことだった。


「いいえ、李音様のせいではありませんわ。私が姉としてもっと注意を払うべきでした」


「違う。主人である俺の責任だ。二人ともすまなかった」


 そう言って李音様は頭を下げた。


「一先ず揚羽、お前にはもうしばらく屋敷の中でも恋人のふりを続けてもらいたい」


「それは構いませんが……」


 問題は華さんがどのくらいの期間この屋敷にいるつもりなのだろうか? 後、昨日のパーティーのように明確に恋人らしい何かを見せつければいいって話でもないし、頼まれたものの屋敷の中で何をどうすればいいのかわからなかった。


「一応早く帰るよう促しては見ますが、私の話を素直に聞くような子じゃありませんから……」


「薫、凪にも連絡してある。華がいる間、身を寄せてもいいんだぞ?」


「ご心配ありがとうございます。でも私もいつまでも逃げるわけにはいきませんから。それに私がいないとこの屋敷のメイドが一人もいなくなってしまいますよ」


 とにっこり笑って見せた。しかしその笑顔はどこかぎこちなくてどこか辛そうだった。李音は無言で薫を見つめ、何かを察したのかそれ以上は言葉をかけなかった。


「それでは揚羽さん、支度をしましょうか?」


「支度?」


「勿論、華が来るんですから服もメイドではなく普段着を、後お化粧もしましょうね」


 さぁさぁ、と薫さんに背中を押されるまま李音様の部屋を出た。


 まさか李音様と初めて買い物に出かけた日に頂いた沢山の服がこんな風に役立つ日が来るとは思いもしなかった。クローゼットの中身をひっくり返す勢いで薫さんは物色を始めた。


 言われるがまま服を着替えて、軽く化粧を施してもらったら間も無く玄関のチャイムが鳴り、華さんが元気よく尋ねてきた。


「李音様、揚羽さん。昨日は大変失礼いたしました」


 有名な色とりどりのマカロンを手土産に華は深々と頭を下げた。


「華、お二人が付き合ってるって聞いて気が動転しちゃって……でも家同士これからもお付き合いはあるでしょ? もし、本当に揚羽さんが李音様と結婚したらそれは華にとってもお姉さんみたいなものだと思うの。だから華、是非揚羽さんと仲良くしたいの!」


 相変わらずのマシンガントーク。放っておけば永遠にずっと一人で喋り続けそうな勢いだ。見たところ昨日のようにピリピリした邪悪な雰囲気もないし、機嫌も思ったより悪くなさそうだった。むしろ人懐っこく甘えるように近づいてきた。


「本当にごめんなさい。華のこと嫌いにならないでね?」


 うりゅりゅと目に涙を溜め、上目使いで抱きついてきた。どうすればいいのか戸惑っていると、ぎゅってして? と懇願されたので取り敢えずぎこちなくぎゅっと抱きしめてみた。すると華は嬉しそうにえへへと笑い、ようやく離れてくれた。


「あっ、それと昨日はちゃんとした自己紹介できずにごめんなさい。氷河華です」


「暁揚羽です。よろしくね、華さん」


「ちゃん付けでいいよ。華、まだ18歳だし、年下だし」


「えっと、じゃあ、華ちゃんって呼ばせてもらうね」


 いつの間にかすっかり華のペースに飲み込まれていた。李音と薫も注意深く華の様子を伺っていたが一先ず何事もなく挨拶まで済み、ホッと胸を撫で下ろしていた。


「ねぇ、仲直りの証にマカロン一緒に食べよう? 華のおすすめ持ってきたの。揚羽さんには一番美味しいのをあげるね。バニラ味が最高に美味しいんだよ」


 そう言って華はそれぞれ小皿に取り分けてくれた。李音様はこれ、お姉ちゃんはこれ、華はこれ。結局自分達の好きなようには選ばせてはもらえなかったけど彼女なりの気の使い方なのだろう。


「お姉ちゃん、華、飲み物はココアがいいな」


「わかったわ。今用意するわね」


 そう言って薫さんは飲み物を用意するために一度離席した。そのタイミングを見計らったように華はずずいっと揚羽の隣に移動してピッタリとくっついた。


「ねぇねぇ。揚羽さんと李音様って本当に付き合ってるの?」


「なんだ、信じてないのか?」


 怪訝そうに李音は華を見た。しかし怯むことなく華はとぼけたフリをして話を続けた


「だって華、二人のダンス見てないし、ラブラブしてるところもまだ見てないもん」


 だ・か・ら! と呟きながらにんまりと笑う華の言葉の語尾に大きなハートマークが見えた気がした。


「証拠見せて! 今ここでチューして見せて」


 薫を都合よく追い払い、三人になった空間で華は無理難題を押し付けてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る