第43話 華と蝶の蝶の戯れ
「華のライバル? 」
彼女はオウム返しで言葉を繰り返すと意味がわからないとでも言いたげに目を丸くした。そして揚羽のことを頭の先からつま先まで舐め回すように視線を向けて最後にニコッと笑った。
「可愛いドレスね、どこの?」
「えっと……」
投げつけられる言葉は容姿に対してのマイナスな言葉だと覚悟していたら拍子抜けだった。質問はしたが返事は別に求めていなかったのか続け様に彼女は喋り続けた。
「華のはね、ママがデザインしたドレスを元に有名な仕立て屋に作らせたオートクチュールなの!」
華はもう一度見せびらかすようにくるりと宝石が散りばめられた真っ白なドレスを手で翻してみせた。
「テーマはね、ズバリ花嫁さん!」
キャッ! と小さく黄色い声をあげ、頬を赤らめてモジモジと恥ずかしがるフリをした。
「……いい加減離してくれないか」
乱暴に振り払うわけにもいかず、李音の左腕には華がピッタリと引っ付き虫のようにくっついたままだった。機嫌が悪そうな声を聞いても華はお構いなしに話し続けた。
「ねぇ、李音様。次の曲が始まったらダンスに誘ってくださいー」
「……華、離せと言っている」
「ねーえ、誘ってー!」
すごい、全く人の話を聞かない子みたいだ……。会話が全然噛み合わない……。流石の李音様も手を焼いているようだった。これは確かに扱いに困ってしまうかも……。
「華ちゃん。離してあげて? 君があんまりにも強烈……に、可愛すぎるから李音が困っ……照れてるんだよ」
いつもはスラスラと歯が浮いた甘い台詞が出てくる凪でさえも華の扱いには困り果てていた。しかし褒められたのが嬉しかったのか、華は凪の鶴の一声であっさりと機嫌良さそうに腕を手離した。すると心底ホッとしたように李音はため息をついた。
「李音さん、是非華とも踊ってあげてくれないかしら?」
見かねた冬花が口出しをしてきたので、その様子を横目で観察をしていた亜李沙も負けじと声を張り上げた。
「あーら、ダメよ。李音には揚羽ちゃんがいるんだから。それに親が口出す問題でもないでしょう?」
「あーら、パートナーがいても氷河家の顔を立てて一度くらい踊ってくださってもよろしいのではなくて?」
こちらのバトルもまだ続いているようだった。てっきりダンスを完璧にこなせてミッションはほぼ完了かなと思っていたがここからが本番なのかもしれない。
「え、ママ。李音様この人ともう踊ったの?」
「そうよ華。貴方が来る前にね」
その言葉を聞いて信じられないという顔をしてムーッと頬を空気で膨らませ華は剝れた。
「何よ! 華を差し置いてファーストダンスを見ず知らずの人と踊っちゃうなんて酷すぎるわ!」
「華、お前に紹介が遅れたな」
李音様はコホンと一つ咳払いをしてチラリとアイコンタクトを送ってきた。私は静かに頷いた。
「こちら、婚約を前提に今、お付き合いさせて頂いている揚羽だ」
「揚羽と申しま……きゃあっ!」
挨拶をしようとスカートを持ち上げ、身を屈めようとした時だった。華に勢いよく両手でドンッと突き飛ばされ、お辞儀をしようと傾けていた体のバランスが崩れ後ろに倒れ込んでしまった。一瞬何が起ったのかわからなかった。
しかも丁度、私の後ろにウェイターが通りがかり、運悪くその手に持つお盆の上には沢山のグラス、それに飲み物が注がれた状態で乗っており、突き飛ばされた反動で彼に体当たりをしてしまい、二人して大きな音を立てて崩れ落ちた。
「華! 何をしている!」
李音は思わず大きな声が出た。あまりにも咄嗟な出来事だったので体が反応できなかった。倒れ込んだ後、痛みで声が出ない揚羽を見て思わず怒りで手が出そうになる気持ちを必死で堪えた。
ガチャンとグラスが割れる音がして、床にガラスの破片と注がれていた飲み物がぶちまけられた。
「きゃああああああ!」
すぐ近くにいた複数の女性陣達が大きな音と怒声にびっくりして悲鳴をあげた。
「危ないので下がってもらって。お客様が濡れてしまったり、ガラスを踏んでしまったら危ないわ」
亜李沙はパニックになる客人達を誘導し、すぐさま指示を出した。そして李音へ鋭く目線を送った。まるでこの場を貴方が諌めてみなさいと言っているようだった。
「お付き合い? 婚約を前提? 華を馬鹿にするのもいい加減にして!!」
華は酷い興奮状態で声を荒げた。その愛娘の暴れている様子を見ても母である冬花は至って冷静だった。むしろざまぁみろとほくそ笑んでいた。
「こんな地味で大したことない女! きっとすぐに飽きて捨てられてしまうわ! 華の方がずぅーっと若くてずぅーーっと可愛いんだから!」
「いい加減にしないか! これ以上、俺の女を冒涜するのであればいくら氷河家の娘といえど黙ってる訳にはいかないぞ!」
「紅葉狩家としても、今の暴力はいかがなものかな。証人として桜乃宮の肩を持たせてもらうよ」
「えーーーーん。何よ何よ! よってたかって皆で華を虐めるつもり?」
さっきまで鼻息荒く怒っていたかと思うと今度は大声で喚き始めた。大粒の涙を流し、一際大きな声で騒ぎ始めた。
揚羽は言い争いを聞いて早く「大丈夫、何ともないです」と言ってすぐに立ちあがろうと何度も試みたが足首を捻ってしまい、おまけに受け身が取れなかったせいで体のあちこちを強くぶつけ、痛みで全く声が出せなかった。
他にも床に手をついた時、飛び散ったガラスの破片が幾つか手のひらに刺さり、両手は血だらけだった。ドレスも転ぶ時に踏んでしまったのかスカートが裂けていた。コップがひっくり返った際に飲み物も被り、ビチョビチョに汚れ、雫が滴る姿はあまりにも惨めな印象だった。
「見て、また氷河家の逆鱗に触れたみたいよ」
「怖いわ……あのお嬢さんもう終わりかもしれないわね……」
ヒソヒソと怯えるような声が飛び交った。
「お二人とも、お怪我は?」
李音と凪、華の三人が言い争いをしている間に薫は倒れ込んだ二人にそっと寄り添った。どうやら一緒に転んでしまったウェイターは怪我などはなく、むしろこちらからぶつかったにも関わらず申し訳ございませんと謝り、すぐに片付けますと立ち上がり、割れたグラスを拾い上げ奥へと下がっていった。
「揚羽さんは血が出ていますね。取り合えずこちらのハンカチで傷を抑えてください」
そう言って真っ白な綺麗なハンカチを差し出された。
「お姉ちゃん! そんな女の心配じゃなくて華の味方をして! 華を助けてよ!」
泣き叫ぶように華は懇願した。薫はその声が耳に届かないわけがないのにそっと聞こえないふりをした。
お姉ちゃん? 薫さんが華ちゃんの?
姉妹と言われ、改めて二人の顔をまじまじと見比べてみた。二人には悪いが全然似ていない。顔も性格も髪の毛の色さえも何一つ。言われなければ二人が姉妹とは全く気づけなかった。
ということは、冬花さんは薫さんのお母さんってこと?
でも先ほど挨拶を交わした時、薫さんは母の名称ではなく名前で呼んだ。何か理由があるのだろうか?
「お姉ちゃん!」
無視をされ、もう一度強く華は薫に助けを求めた。薫は血に染まる揚羽の手に優しくハンカチを巻き付け終わると、立ち上がり振り向いた。凛と背筋を伸ばし、胸を張り、大きく息を吸って言葉にした。
「華、謝りなさい」
「な、んで? どうして? 華、悪くないもん! 悪いのはでしゃばったその女の方だもん!」
ヤダヤダと駄々をこねる子供のように華は激しく首を振った。
「華、姉として私は貴方を叱らなければなりません」
薫はコツコツと足音をたてながらゆっくり華に近づき、手を差し伸べた。しかし華はその手をパシッと振り払った。
「なんで私のお願い聞いてくれないの? 昔はなんでも叶えてくれたじゃない!」
「いつまで駄々をこねれば我儘が罷り通ると思っているの? 私はもう昔のように、貴方の我儘を許すわけにはいきません」
「どうして? お姉ちゃん変わっちゃった……。家を出て行ってから全然連絡してくれなくなったし、全然華に会いにきてくれなくなった! あんなに華のこと可愛がってくれてたのに……! もう華は妹じゃないの? 華のこと、虐めるの?」
「華。私はむしろ貴方を心配していっているのよ」
薫は華の後ろに立ちながら一向に彼女を叱りつけたり、止めに入らない冬花を睨みつけた。冬花にとって華は都合のいい操り人形だった。勝手に暴走して周りに迷惑をかけてくれる暴走機関車のような華の性格をわかって利用しているのだ。
「謝りましょう。私も一緒に皆様に謝るから」
「……うん、お姉ちゃん」
ようやく華は薫の言葉を聞き入れ、涙を拭い頭を下げた。
「ごめんなさい」
「我が家の妹が大変ご迷惑をおかけしました」
二人が頭を下げても冬花は知らんぷりをしながら急に都合が悪そうに電話がかかってきたフリをしてその場を後にした。
「揚羽、大丈夫か?」
「李音様すみません。大変お見苦しいところをお見せしてしまって……」
薫さんに巻いてもらったハンカチのおかげでようやく手のひらの血は止まった。転んでぶつけた体の痛みもようやく和らいできた所だった。
「立てるか?」
「すみません。足を挫いてしまったようで……」
なので、肩を貸していただけませんか? と言おうとした矢先だった。
「えっ?」
ふわっと体が宙に浮き、李音様にお姫様抱っこをされた。一瞬思考が停止したが、すぐに動き出し、大勢の視線に気付き、恥ずかしさで顔から火が出そうだった。
「あ、の、李音様。流石に恥ずかしいです……」
「顔を手で覆っていろ、このまま帰るぞ」
「でも、私さっきジュースを被ってしまって……このままでは李音様も汚れてしまいます」
「気にするな」
しかし、高そうなスーツに染みをつけるわけには……、というか私のドレスだってきっとお高いものに違いない……。完全にやらかしてしまった……。私がサッと避けてさえいれば……ああ……血もつけてしまったし、クリーニングで落ちるだろうか……。
悶々とそんなことを考えていたら周りの好奇心で見られている視線とは別に熱い視線を送られていたことに気が付けなかった。
「……いいなぁ」
華は羨ましそうにお姫様抱っこされている揚羽をひたすら見つめた。
李音様のことは別に嫌いじゃない。ああ見えて意外に優しいし、顔だって好みだし、むしろトータルで言うなら異性として好きな方だ。でも彼はどこか女性に対して一線を引く人で未だかつて彼に心から愛されている女性を見たことがない。
先ほどは自分を差し置いて、他の女とファーストダンスをしたと聞いて、そして婚約を前提に付き合ってるなんて聞いて取り乱したが、今目の前で自然に繰り広げられた本当の恋人同士のような出来事に目を丸くした。
(嫌いな女の子を、お姫様抱っこしたりしないよね……?)
私だってまだしてもらったことないのに……。華は酷く羨ましかった。
本当にあの女が李音様のハートを射止めたのだろうか? いいなぁいいなぁ……一体どんな手をつかったんだろう?
愛に飢えた少女は酷く他人のものが羨ましく思った。華は大抵のものは持っていたけれど、何を手に入れても心がまったく満たされなかった。
共にしようと思っていたパートナーがいなくなってしまい、もう帰ってしまおうかと母を探し、一人寂しくトボトボと会場内を歩いていた時だった。ふと噂好きの貴婦人の会話が耳に入ってきた。
「李音さんとあのお嬢さん、もう帰ってしまわれましたね」
「残念ですわ。あのダンス、もう一度拝見したかったのに」
「偽物の恋人じゃなければまた来るでしょうよ、まぁ、偽物じゃなければですけど」
オホホホと高笑いが響いた。その笑い声で華は何か思いついたようにハッとした。
そうよ……そうよ! もしかしたら全部嘘だった可能性もある。李音様、もしかして華にヤキモチ妬かせようとわざと……? だとしたら種明かしする前に華があんな騒ぎ起こしちゃったから恥ずかしくて言えなかったのかも……。
そんな自分に都合のいいように華は物事を捉える癖があった。我儘を通せばなんでも手に入ったが故、彼女の暴走は底知らずだった。
「お姉ちゃん」
一通り、謝罪のためにテーブルを回り終えた後、華は帰り支度をしている薫に声をかけた。
「明日、李音様の屋敷に遊びにいくわ。勿論、謝罪も兼ねて」
華は、本当にこのパーティーが終わっても二人が本物の恋人なのか確かめにいこうと思い、怪しく笑った。もし、二人が偽物の恋人なら自分を騙したこと、酷く後悔させてやろうと思った。
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