第42話 氷河家の女当主
生演奏の曲が止まり、ファーストダンスが終わると会場内は溢れんばかりの拍手に包まれた。そしてあちこちで歓声があがった。
––––ある時には冷め切った夫婦仲に、ひと匙のスパイスとして
「ねぇ、あなた。次のダンス、私達も久々に踊りませんこと?」
「お前から誘うなんて珍しいな、お手柔らかに頼むよ」
––––またある時にはうら若き乙女の憧れとして
「ねぇねぇ、パパ! 私も素敵な殿方とダンスしたいわ」
「ハハッ、うちのお姫様なら大丈夫だ。このパーティーで素敵な花婿を見つけておいで」
沢山の人が二人のダンスに魅了され、二曲目が始まる頃には大いに盛り上がりを見せていた。二人は一曲目が終わるとフロアから下り、凪と薫が待つテーブルの席へと移動した。
移動の途中、男性陣からも女性陣からもお互いそれぞれ次のダンスのお誘いがあったが二人とも声をそろえて断った。しかし、その断られた人同士でまた新たなペアができ、少しずつ取り囲う人の群れは少なくなっていった。
「二人とも。とても素敵でしたわ」
テーブルの席につくなり、薫は絶賛の声をあげた。隣に並ぶ凪も素直にうんうんと頷いた。
「正直びっくりしたね。間違いなく高を括っていた奴らは舌を巻いただろうね」
周りを見渡し、いい気味だとでも言うように凪は笑うと李音の肩にポンと手を置き、そっと耳打ちをした。
「もういっそこのまま本当に婚約しちゃったら?」
「……お前はいちいち人の神経を逆撫でするのが上手な奴だな」
李音は面倒くさそうに笑うと凪のおでこにバシッとデコピンをお見舞いした。攻撃を喰らった本人はイテッ! と小さく呻きながら涙目でおでこを摩った。
「俺は応援してやってるのに〜」
横暴だ、李音の鬼! この悪魔! ブーブーと文句を垂れながら凪は通りすがりのウェイターのお盆からグラスを受け取り、一気飲みをした。
「はぁー、なんか暑くない? すっごく喉が渇くんだけど……」
「確かに、会場内が少し暑い気がしますわ」
てっきりダンスを踊った後だから体が火照り熱いのだと思っていたが静かに見守っていた二人も会場内の熱気にやられたのか暑そうにパタパタと扇子で仰いだ。
「それより、華は? 姿が見当たらないが」
キョロキョロと辺りを警戒するように見渡すが探している人物はどこにもいないようだった。
「まだ到着していないようですね。氷河家の当主も見当たりませんし」
そういえばさっきの婦人の言葉がまだ頭の中で気になっていた。
『やだわぁ、ダーリン。薫嬢なら数年前に紅葉狩財閥のご長男と婚約破棄になりましたでしょう? 大変美しい娘さんでしたけど傷物令嬢を桜乃宮財閥が迎え入れるわけがございませんわ』
紅葉狩って確か凪様の苗字と一緒だよね? 一体どういうことなんだろう?
でもこの楽しい空間に水をさすのも違う気がして黙っていることにした。テーブルに用意された色とりどりのフルーツを皿にとり、疑問の言葉を吐く代わりにそれを飲み込んだ。
「あーら、李音さん。先ほどは素敵なダンスでしたわぁ」
背中がゾッとするような気持ち悪い猫撫で声にびっくりして振り返る。李音様も含めた三人も表立っては出さなかったが嫌悪の表情が少し読み取れた。
派手なピンク色の髪に釣り合うこれまた派手な縦巻きロール、おまけにメイクも派手だった。歳は40代後半だろうか? しかし髪色や髪型、メイクの全てが実際の歳よりも遥かに若すぎる印象で無理矢理若作りしている印象が否めない。だが美しい女性だった。
「ご無沙汰しております。
1番先に口を開いたのは薫さんだった。美しい所作でスカートを手で掴み、華麗にお辞儀してみせた。その姿を完全に無視し、冬花と呼ばれた女性は小馬鹿に鼻で笑いながら通り過ぎた。
「ご機嫌よう、冬花さん。本日も見目麗しゅうことで」
初めて聞いた甘い台詞に上手く隠した嫌悪の響き。口元は笑っているが目は睨みつけているように感じた。仄かに苛立ちと怒りの感情が垣間見えた。
凪様のお世辞にも軽く片手をあげて答えるだけで特別かける言葉はなかった。
「お久しぶりです。冬花さん」
「挨拶はこちらへどうぞ」
冬花は右手につけていた薄い白い手袋を脱ぎ、目の前に差し出した。この手へキスをしろ、と命令しているようだった。李音は無言でその手を見つめると、仮面のように貼り付けた作り笑顔でその手にキスを落とした。
「そちらのお嬢さん、さっき李音さんと踊っていた方よね?」
空気のように大人しく身を潜めていたので、てっきり私も無視されるものだと油断していたら鋭い針のような視線を向けられた。戸惑いながらも薫さんのように何とかスカートを持ち上げ、お辞儀をしてみせた。
「初めまして、揚羽と申します」
「どうも、私は
まさか褒められると思っていなかったので素直にお礼を言おうと顔を上げ口を開こうとしたが目の前の彼女の表情を見てすぐにやめた。
(あ、違う。この目は……)
蔑みと敵意だ。そして殺気のような凄みも感じられた。まるでライオンを前にしたウサギのような気分だった。不本意にも少し足が震えた。その震えを一生懸命悟られまいと下唇を強く噛んだと同時にまた後ろから声が飛んできた。
「あら、氷河家の当主様じゃないですか」
コツコツと聞こえるヒールの音と優しい艶やかな特徴的な声。振り向かなくても誰が近づいてきたのかわかった。
「パーティー、楽しんでいますか?」
「もちろんですわ、亜李沙さん。今回も素敵なパーティーに招待して頂けて嬉しいわ」
バチバチと火花が散り、明らかに場の空気が重くなった。お二人は仲が悪いのだろうか? どちらも目が笑っていない。まるで虎と竜の戦いを見せられているようだ。
「ところで根も葉もない噂を耳にしましたの。なんでもうちの華を差し置いてそちらのお嬢さんが李音さんの恋人を名乗っているとかいないとか。もちろんご冗談ですわよね?」
うふふと上品に冬花は笑い声を上げた。その笑い声に被せるように食い気味で亜李沙も笑った。
「いいえ。うちは自分に関することは己自身で選択するよう常日頃から申しておりますの。李音が彼女を選んだのであれば、母である私は何一つ文句はありませんわ」
「まぁ、それは聞き捨てなりませんわ。うちの華を蔑ろにするのであれば、話は違ってきます」
「蔑ろも何もお宅が強引にこちらに嫁入り希望でしたわよね? 紅葉狩家の件をお忘れですか? それに残念ながらうちの主人が生きていた頃と今は家の方針が変わっております故、ご理解いただけると恐縮ですわ」
すごい……丁寧な言葉同士の言い争いは汚い言葉同士よりも威圧的で何だかレベルが高く聞こえた。幼い頃聞いた父親の汚い罵倒の言葉とはまた違う凄みを感じた。
「あ、いたいた。やっと見つけたぁ〜! りーおーんー様!」
一触即発。バチバチの火花が飛び散る中、くどいお菓子のように甘ったるく甲高い女の子らしいふわふわとした声が近づいてきた。
「えへへー、一番可愛くて目立つドレスを選んでたらパーティーに遅れちゃった。どうです李音様? 華、この会場内で一番可愛いでしょう?」
高そうな大小色とりどりの宝石を沢山散りばめた光輝くドレスを見せびらかすように華と名乗った少女はくるりと一回転して見せた。
喋り方や見た目はまだ若そうだ。20歳を超えているようにはとても見えなかった。ピンク系の色味が強いブラウンの髪をツインテールに結び、小さな身体が跳ねるたびに髪がぴょこぴょこ揺れ、一層幼い印象を与えた。
「ねぇねぇ、華、可愛い? 可愛い?」
褒めて褒めて、と言わんばかりに華は目を輝かせ、李音に勢いよく詰め寄りそのまま左手に抱きついた。
「華」
「なぁに、ママ」
「貴方のライバルみたいよ?」
そう言って冬花は揚羽に向かって鋭い視線を向けた。
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