第41話 ダンスクイーン

 会場内を見渡すと、既に談笑の輪が複数できていた。数人で集まって噂話や何やら難しいビジネスの話をしていたり、逆に話の輪から外れ沢山のお料理やスイーツに夢中になってる人も多く見られた。


(李音様達はどこかしら……?)


 キョロキョロと辺りを見渡すと見知らぬ男性に話しかけられた。行手を拒むように立ち塞がれて仕方なく軽く挨拶を交わした。


「こんにちは、お嬢さん。あまり見かけない顔だね?」


「あ、えっと、ご縁があり、今日初めてこのような場にお邪魔させていただきました」


「通りで。こんなに可愛らしいお嬢さん、この私が見逃すわけがございません」


 甘い言葉と共に右手を取られ、挨拶のキスをされそうになった時だった。直前で男の動きが止まった。ふと男の後ろを見ると誰かが肩を掴んで動きを制してるようだった。


「失礼。そちらの女性は俺の連れなのだが?」


「こ、これは大変失礼いたしました。桜乃宮家のご子息様のパートナーだとは露知らず……」


「構わん。目を離したこちらにも非はある。それほど彼女が魅力的だから仕方ないだろう」


 軽く冗談を言い合うと男はそそくさと退散した。ようやく会えてホッとしているとものすごい目で睨まれた。あれ、もしかして何か粗相してしまっただろうか? 完璧に対応できたと思ったんだけど……。


「怒ってます?」


「いや?」


「怒ってますよね?」


「……」


 李音様は頭を抱えて、はぁと大きなため息をついた。そのすぐ後に凪様と薫さんもやってきた。どうやら近くにいたようだ。


「揚羽ちゃん、揚羽ちゃん。これはね怒ってるんじゃなくて妬いてるんだよ」


 こそこそっと凪様が近づいてきて耳打ちをしてくれた。


「男って生き物は馬鹿だからね。お気に入りの子は他人に触れさせず自分の手元に置いておきたいのさ」


 やれやれと言った動作で凪様は戯けて見せた。薫さんはふふッと笑うとお決まりの「本当に素直じゃないですね」の一言を呟いた。


 しばし四人でいつものような談笑を交わした後、李音様にそっと耳打ちをされた。


「……この後挨拶回り、付き合えるか?」


「勿論です」


 そのために遥々来たのだから。亜李沙さんもたまにこちらを気にするようにチラチラと視線を送っているのに気づいていた。もしかしたらまだ挽回のチャンスは残っているのかもしれない。


「おや、李音さん。可愛いお嬢さんをお連れなようで」


「どうも、こちら俺の恋人の揚羽です」


「ほう、てっきり氷河ヒョウガ家のご令嬢とご婚約するとばかり思っておりました、確か……薫嬢でしたかな?」


 薫さん? あれ、華さんじゃなくて?


 思わず出たその名前に反応し、恰幅のいい男性の言葉に耳を傾けた。するとその男性の隣にいた奥さんらしき人が笑いながら否定した。


「やだわぁ、ダーリン。薫嬢なら数年前に紅葉狩財閥のご長男と婚約破棄になりましたでしょう? 大変美しい娘さんでしたけど傷物令嬢を桜乃宮財閥が迎え入れるわけがございませんわ」


 オホホと漫画のようにご婦人は上品に笑った。羽付の大きな扇子で優雅に仰ぎながら言葉を続ける。


「確か今は華嬢が婚約者の最有力候補でしたわよね? お隣のお嬢さん、どちらのお家? 見たこともないお顔ですわね」


 品定めするかのように、そして明らかな蔑みの目を向けられた。周りの人たちもその答えに興味津々なのかギラギラした視線が痛いほど刺さった。


「彼女は家の繋がり関係なく俺が見初めた方なのであまり虐めないでやってください」


「あらぁ、もったいない。桜乃宮家に迎えるのでしたらそこら辺の雑草を摘むより、極上の一輪の薔薇を探す方が賢明ではなくて?」


 複数の笑い声がこだまして響いた。普通なら恥ずかしくてたまらなくなったり、逃げ出したりするのだろうが不思議と怖くはなかった。それは多分、事前に亜李沙さんから「貴方には五万と敵がいる」と警告してもらったおかげだろう。


 それに言われてることは事実だし、元々釣り合わないのも最初からわかっていたことだ。今考えるのは自分の保身ではなくこの人の立場を守ること。私のせいで李音様の立場を揺るがせてはいけない。弱みになってはいけない。


 それに約束したから。逃げ出さないと。


「今からでも思い直すのは遅くないと思いますわ。一時の気の迷いで人生を棒に振る必要はなくてよ? そうだ。私達の愛娘をご紹介いたしましょう。薫嬢や華嬢にも引けを取らない自慢の娘ですのよ」


「お言葉ですが」


 早口で捲し立てる婦人の言葉を制して、李音はさっきほどまでの穏やかそうな雰囲気を捨て、氷のように冷たい声で続けた。


「私の花嫁は私自身が決めます。彼女以上に素晴らしい女性をご紹介して頂けるのであれば別ですが」


「ですから––」


 婦人が負けじと、「私の娘を」と言葉を続けようとした時だった。


「只今より亜李沙様主催のダンスタイムとなります。恋人、ご夫婦、はたまた禁断の愛の関係、どんなパートナーでも構いません、存分にダンスをお楽しみくださいませ」


 会場内にアナウンスが響き渡ると共にダンスミュージックが流れ始めた。よく見たら有名な演奏者達が集い、生演奏をしていた。


「お手を」


 ついにこの時が来た。私は薫さんに言われた言葉を思い出す。


『いいですか? 意地悪な方がいたとしても自分から口答えしてはダメですよ。そんな時は……』


 “ダンスで黙らせるんです“


『李音様と一緒に堂々と踊るだけでいいんです。この場で自分達が一番お似合いのカップルだと見せつけてやればいいんですよ』


 そうよ、お飾りでも私を選んでくれた李音様に少しでもいい所を見せなくちゃ。私の失敗は私ではなく彼の失敗になる。そんなの私が一番許さない。私が彼の威厳を守ってみせる。


「私とダンスを踊って頂けますか?」


「喜んで」


 大好きな人の手を取り、揚羽は世界一幸せそうに笑った。それは心の底から出た笑顔だったが周りの人はその顔を見て唖然とした。


(なんて……なんて幸せそうに笑うの?)


 空いた口が塞がらなかった。現代社会にも関わらず、大抵の財閥同士は政略結婚や家同士の上下関係、圧力で婚約することが多かった。未だに恋愛結婚の方が珍しいとされていた。


 それなのにこの娘は特別な後ろ盾もなく桜乃宮財閥の子息と恋仲になった? にわかには信じられなかった。きっと氷河家との破談を目的とした偽物の恋人に違いない、誰もがそう疑っていた。


 それなのに、どうしてそんな顔で笑えるのか? これではまるで本当に……


「本当に恋人同士みたいじゃない……」


 フロアの中央へ去っていく二人の背中を見て、ボソリと婦人は言葉にした。




(どうしよう……、なんだか頭がふわふわする……)


 あの日、一度だけ李音様とダンスの練習をしたきり、二人で踊るのは二回目だった。それなのに二人の息はピッタリとあっていた。


 李音のリードに揚羽はちゃんとついていけていた。行きたい方向、今何がしたいのか手に取るようにわかった。ダンスの先生が言っていた。


『社交ダンスとは男女のペア、カップルの息で成り立ちます。でもそれはお互いがお互いを支え合い、気持ちを組み合うことが出来て初めて本物のダンスが踊れるのですよ』


 元々ダンスパーティーがメインということもあり、多くのものは嗜む程度にダンスを練習してきていた。しかしそれはあくまで嗜む程度。別にこのダンスで一番になろうと思って練習してきたわけではない。


 家同士の付き合いで誘われることも多いのでその時に踊れませんなどと恥をかかない程度にこなせれば問題はないのだ。


 しかしいざダンスが始まると興味本位で参加するものも多かった。揚羽達以外にもダンスフロアへ上がったものは多くいた。しかしその中でも一際多くの人の目が揚羽達に集まった。


 最初こそは好奇心から。ステップを間違えたり、転んだり、挫いたりそんな失敗を心から期待していた。きっと田舎娘を言いくるめて代理に仕立て上げたに違いない。すぐにボロを出す。そう思うものもいた。


 しかし失敗するどころか周りの人は二人のダンスを見て酷く心を奪われた。目が離せなかった。中には思わず恍惚の表情を浮かべる者も多くいた。


「あらやだ。二人ともなかなか素敵じゃないの」


 亜李沙自身もほと走る熱い感情に翻弄されながら二人を見つめた。いつもならすぐに自分もフロアに上がりダンスを楽しむのだが今日は多くの男達に誘われてもファーストダンスを断った。


「あの桜乃宮家のご子息と踊ってるご令嬢誰かしら? 青いドレスがヒラヒラしてて、まるで蝶々が舞ってるみたい」


 観客の誰かが騒ぎ始めると一斉にその話題に食いつき始めた。


「笑顔の李音さん、初めて見ましたわ。いつも冷たい仮面のような表情しか浮かべていらっしゃらないから」


「見て! パートナーの方羨ましい! あんな表情で笑いかけてくれるのね。私も一緒に踊ってもらいたーい!」


「次のダンス、私からお誘いしようかしら?」


 名のある財閥のご令嬢達はキャッキャッと黄色い声で李音の顔色を窺っていたが、彼女らの親は二人のダンスを見て苦い表情を浮かべていた。


「素敵なお嬢さんね。うちの娘じゃ相手にされないかもしれませんわ」


「桜乃宮と繋がれないのは残念だが、あんな熱々のダンスを見せられたらなぁ」


「うちの子ももっともっと躾けてダンスくらい完璧に踊れるようにならないとダメねぇ」


 いろんな人の雑音を耳にしながら亜李沙は静かに笑った。


(凄いわね。ほとんどの人が貴方達の事認めちゃったわよ?)


 願わくばこのまま二人に障害が起こることなく、幸せになってくれると嬉しいんだけど……

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