第二章 華

第35話 素直になれない恋心

 拓也の誘拐事件から数日経った。頬もようやく腫れがひいて落ち着いてきた頃。屋敷に事情聴取で警察がやってきた。


 拓也は今、誘拐、監禁、暴力、そして違法薬物使用など様々な罪で牢に入っていると警察の口から知らされた。時々薬の副作用なのか暴れたりもしているらしいので出てくるにはまだ時間がかかるとの話だった。


 今この部屋にいるのはあの日助けに来てくれた李音様と凪様。そして事件の話を聞きにきてくれた婦警さん、私を含めて四人だ。私はゆっくりあの日あった出来事を思い出しながらできるだけ詳細に述べた。


 一通り話終わり、ご協力感謝いたします。と婦警さんに敬礼をされ、最後に何か質問などございますか? と聞かれたので私は事件とは直接的な繋がりはないかもしれないけれど、気になっていたことを質問した。


「姫宮綾乃さんが失踪したと聞きました。彼女は拓也の大切な人だったみたいなのですが彼女はどうなったのでしょうか……?」


 李音様や警察の人に後で聞いた話だったけれど、彼女はEDENという違法薬物を拓也に与えていたと聞いた。彼が変わってしまったのは薬のせいだったのだろうか? それとも元々歪んだ心の持ち主だったのだろうか? 今となっては確かめる術はない。


「……近頃話題になっている髪の長い女性ばかりを襲う連続殺人事件はご存知でしょうか?」


 婦警さんは目を伏せがちに逆に質問をしてきた。私はゆっくりと頷いた。


「……残念ながら彼女はその事件の最後の被害者となりました」


 私は驚いて目を見開いた。そういえば彼女も––––姫宮綾乃も長くて綺麗な髪を持つ女性だった。一度会っただけで別に思い入れのある人物などではなかったが、でもやはり身近で被害者が出たと言われると怖くてなんとも言えない気持ちになった。


「この度、我々警察はこの痛ましい事件の犯人をようやく捕まえました。そこで揚羽さん、この事件についてもお聞きしたいことがございます」


 婦警さんは胸ポケットから一枚の写真を取り出し、机の上に載せた。その写真に目を落として見てみるとそこには拓也と別れたあの日、公園内のベンチで佇む、まだ髪の長い自分自身の写真だった。


「これ……は?」


 驚きと恐怖で声が震えた。こんな写真いつ撮られたのだろうか……? あの日、拓也に裏切られたショックで周りを見る余裕などなかったから全然身に覚えがなかった。


「犯人の部屋から押収されたものです。この写っている女性は貴方でお間違いないでしょうか?」


「……はい、私だと思います」


 あの日、公園内には私以外にも沢山人がいた。もしかしてあの中に犯人が紛れていたってこと……? 私は知らずに犯人と接触していた可能性があると言うこと……?


 そう考えたら体の震えが止まらなかった。その様子を見て婦警さんは落ち着かせるように手を握ってくれた。


「脅かすつもりはございません。もう一度言いますが犯人は既に警察で取り押さえています。安心してください」


 一度深呼吸をして落ち着きましょう、と促され、婦警さんの声に合わせて深呼吸をした。


「次にこれは同じく犯人から押収した手帳になります。ここに貴方のフルネーム、旧住所が記されています。最近、身分を証明できるものを落としたりしませんでしたか?」


「いえ……あっ!」


 もしかして、と心当たりが一つだけあった。あの日、警察官のような格好をした男に家出と間違われて色々質問されたんだった。その時に身分証明書の提示をお願いされた。確かその時これと同じような手帳に何かをメモしていたのを思い出す。


「……もしかして犯人って、頬が痩せこけている鼠色の頭の男の人……ですか?」


 恐る恐る聞いてみると犯人と特徴が一致したのか、婦警さんは無言で頷いた。


––––もし……もし、あの日。何も考えずにあの男についていっていたら……。李音様が電話をかけてくれていなかったら……殺されていたのは、私だったのかもしれない


「犯人は警察官や宅配業者によく似た制服を複数所持していました。恐らく周りから怪しまれないように偽装しながら被害者達に近づいた可能性があります。貴方の旧住所のアパートにも宅配業者を装い近づいてきた痕跡がありました」


 しかしあの日、私は李音様の屋敷へ引っ越しをしたので幸いにもその後の足取りは掴めなかったようだ。


 その後、事情聴取も無事に終わり、婦警さんは、辛いことを沢山思い出させてしまいごめんなさいね、と謝りながら帰っていった。そして入れ替わるように部屋に薫さんが紅茶とお菓子を持って入ってきた。


「三人ともお疲れでしょう? 少しティータイムにしませんか?」


 今日のおやつはチョコレートマフィンとミントティーだった。あむっと口いっぱいにマフィンを頬張ると優しい甘さが口に広がる。そして爽やかなミントティーを含むと口の中がサッパリして永遠に食べられる気がした。


「美味しいです!」


 皆に心配かけまいと気丈に振るまったけど何だか全員に見透かされているような気がした。どうしよう、何か別のいい話題ないかな……と考えていたら助け船のように凪様が話を振ってくれた。


「そういえば李音に聞いたよ。揚羽ちゃん。この間アップルパイを作ったんだって?」


「えっ? あ、はい」


 そういえばあの日、凪様も遊びに来ていたけど飴玉の件があってすぐに帰ってしまったんだっけ?


「珍しく李音がねベタ褒めしてたんだよ。美味しかった〜って」


「凪」


 余計なことは言わなくていい、とギロリと睨んだが凪はあえて空気を読まず続けた。


「是非今度俺もご馳走になりたいな〜! あの李音が褒めてたアップルパイ〜!」


 ニヤニヤと意味ありげに笑みを浮かべながら凪は魅力的なウィンクを揚羽に投げた。


 ふと隣に座る李音様の顔を見たらすごい剣幕で凪様を睨みつけてはいるものの、心なしか顔が赤く染まっていた。薫さんはお決まりの、素直じゃないですね、と台詞と共にくすくすと笑っていた。


「ま、また、絶対作ります。その時は、李音様も凪様も、薫さんも食べて貰えますか?」


「もちろん!」


「もちろんですわ」


 凪と薫は元気よく返事をした。一人だけ無言を貫く李音を見て、二人はじーっと無言の圧を与えた。居心地悪そうに知らんぷりを決めていたがやがて二人の圧に負けて折れたようだった。


「……もちろん」


 その言葉にパァアアッと揚羽の顔が綻んだ。嬉しい。すごく嬉しい。


「えへへ……」


 幸せな日常が一つ、また一つと戻ってくる。ずっと、ずっとこんな日が続けばいいのに––––


 その後も、仲良く四人でお茶をして時間が経つと、李音様と凪様は仕事で外へ出ると行ってしまわれた。薫さんと二人で後片付けを始めていると薫はチラチラと揚羽の顔色を伺うようにそっと言葉にした。


「揚羽さん。李音様のこと、どう思ってます?」


 突然の質問にびっくりして思わずティーカップを落としそうになった。危ない危ない。ようやく最近ミスが減ってきてたのに危うく大失敗するところだった……。


「い、いきなりどうしたんですか?」


 私はなるべく声が上擦らないように意識をしたけどうまく隠せなかった気がする。冷や汗が背中を伝い、どうか薫さんが私の動揺に気付きませんように……。そう祈るしかなかった。


 真っ直ぐ薫さんに見つめられ、言葉が詰まる。なんて言ったらいいんだろう……。


「えっと……すごく感謝しています。とても返しきれない恩がいっぱいあって、少しでも李音様のお力に……負担になりたくないです……」


 慎重に言葉を選びながら答えた。それは嘘偽りない本音だった。しかしその答えに納得していない様子で薫は珍しく目も口元も一切笑っておらず、鋭い目で聞いてきた。


「じゃあ単刀直入に聞きます。揚羽さんは李音様のこと……好きですか?」


 好き、その言葉に心臓がドクンッと脈を打った気がした。


「……わ、かりません」


 確かに、彼の傍にいたいとは思う。でもどうしてもその気持ちを【好き】という感情だと素直に認められない自分もいた。


 だって自分はあくまで彼のメイドであり、それ以上の関係を望むのはあまりにも身分が違うし、そもそもお門違いだ。もし彼に出て行けと言われたら出て行かなくてはならないし、彼が別の女性と恋仲になったとしても自分は何も言える立場ではないのだ。


「……でも、もし、李音様がお慕いする女性が現れたら……少し苦しいかもしれません……」


 自分にそんなことを言う権利がないのはわかっている……けど……薫さんにならと本音をぶち撒けられた。薫はそんな揚羽を見定めるかのようにじっと見て、いつものように、ふっと優しく笑った。


「突然ごめんなさい。ちょっと意地悪でしたね」


 先程までの冷たい視線はもうなく、そこにいるのはいつもの笑顔の薫さんだった。


「私もね、李音様には本当に救われたの。ううん。今も進行形で救ってもらってる……。だから絶対李音様には幸せになってもらいたいの……」


 そう言って薫は揚羽の手を取り、ぎゅっと握った。

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