第33話 追跡
「オイッ! どうした? 揚羽ッ!?」
突然電話の先から悲鳴が聞こえたかと思うとパッタリと声の主と音信不通になった。かろうじて電話はつながっているようだがスマホが地面に叩きつけられる音が聞こえてきたのでもうこのスマホは彼女の手から離れてしまい、声が届かないのかもしれない。そして今、ブロロロンと車のエンジンが走り去るような音が聞こえた。
「どうしたの、そんな大声を出して」
薫のお見舞いにと彼女の部屋に小さな花束を届け顔を出し、戻ってきたら突然李音の怒鳴り声が聞こえたので凪はびっくりして声をかけた。だが李音の耳には届かない。
「悲鳴の前に、拓也って呼んでたよな……? まさかあいつに何かされたのか……?」
「おーい、李音?」
声をかけながら顔の目の前でひらひらと手を振ってみるが一向に気づかない。 李音はただ険しい顔をしたままスマホを見つめていた。そして凪の言動行動を無視し、一人で考え始めると何か閃いたようにハッと自分のスマホをいじってアプリを起動させた。
「なにそれ?」
「追跡アプリだ。揚羽がつけているイヤリングにGPS機能を搭載している」
「え?」
「念の為の防衛機能だったが……まさか本当に使うことになるとはな……」
李音は頭を抱えながらアプリで映し出されている赤い点滅を見つめた。どうやら今現在もすごい速さで移動している。これはどう見ても徒歩の速さではない。恐らく車で移動しているのだろう。凪は頬をかき、罰が悪そうに質問してきた。
「……まさか薫ちゃんのにもついてるの?」
「当たり前だろ。まぁまだ使ったことはないけどな。あくまで緊急事態の最終手段で使うものだ。例えば俺達がいない間、もし華が薫に何かしてきたらどうする?」
具体的な例を出すと凪は納得したように頷いた。
「それを言われると何も言えないな」
「俺のメイドは大体訳ありだからな。少しくらい過保護になるさ」
揚羽も薫も李音にとっては庇護の対象だ。せめて自分の手の中にいる間は守ってやりたいと思っている。
「つまり、最終手段のそれを確認したと言うことは、揚羽ちゃんに何かあったんだね?」
「……詳しいことはまだわからないが、先程電話の最中に拓也に襲われ、誘拐されたとみえる」
「なんだって!? 拓也って確か揚羽ちゃんの元彼の? 随分女々しいことしてるじゃないか」
「奴はEDENの副作用で暴走している可能性が高い」
楽園への扉、通称【EDEN】近頃裏の世界で話題になっている違法薬物。その姿形は詳しい情報が開示されていなく長い間不明だった。しかし噂ではそれを口にしたものは深い快楽と強い依存でたちまち虜になるという。それは一部では恋の妙薬と呼ばれていた。
しかし薬が切れるとすぐにその効果は消えてしまう。夢から覚めるように恋や愛だと錯覚していた気持ちが嘘のように消えてしまうため継続的に薬を与える必要性がある。継続的に摂取しない場合は突然襲われる喪失感からくる副作用でイライラしやすくなったり、強い妄想癖に襲われることもあるらしい。それが酷くなると日常生活が困難になる恐れもあるという。これがEDENが破滅へ誘うと噂された由縁だ。
揚羽の話を整理する限り、恐らく綾乃という女が拓也に内緒でEdenを服用させた可能性がある。どれくらいの期間投与されたのかは知らないが少なくとも副作用が現れるくらいの量は既にとっているに違いない。
「それじゃあ早く迎えに行こう、お姫様を待たせるようじゃ
「俺はあいつの騎士になった覚えはないのだが?」
凪は李音が返した皮肉をふふッと余裕そうに笑って見せた。そして運転席に乗り込み、車のエンジンをかけた。李音も助手席に乗ると目を離さずに見ていた追跡アプリの揚羽の居場所を示す、赤い点滅がとあるアパートの前で止まった。
「行き先が決まったようだね」
アクセルを踏み、目的地の場所へと急いだ。
***
「わかった、全部俺が悪かった……。謝るよ。だから揚羽、俺のとこに戻ってこいよ、な?」
必死に縋るように拓也は揚羽の前に跪いた。ジリジリとゆっくり近づいてきたので酷い嫌悪に襲われ、思わず来ないで! と大声を出すと拓也はビクッと体を震わせた。
「もう、遅い。何もかも遅いんだよ……」
既に二人の関係は修復できるものではなかった。少なくとも揚羽の気持ちは以前のように拓也のことを思えるような状態ではない。きっとどんなに謝られても罪滅ぼしをされてもどうしても受け入れることは不可能だろう。
「なんで……ッ! 何でそんなこと言うんだよ!!!」
彼の目にボロボロと涙が落ちた。皮肉にもあの時の揚羽と彼の立場は何もかも逆だった。あの日あの時、傷つけられたのは私の方なのに、今更どうしてこの人は世界一不幸みたいな顔で泣くの……? 私は全く理解ができなかった。
「俺は、お前のこと手放すつもりなんか全然なくてッ……! 綾乃に……ッ! あいつに唆されて……ちょっとヤキモチ焼かせたら、すぐ戻すつもりで……」
「やき……もち?」
あの卑劣な行動は全部そんなくだらない駆け引きをするため? そんな、そんな馬鹿げた理由で私は……あんなに苦しい思いをして……死にたいとすら、思ったことも、あって……あれ? 死……? 私は、一度、死んで……?
頭の中に一瞬自分自身の手で鋏を喉に突き刺す映像が見えた気がした。この記憶は……一体何?
「お前は、俺がいないとダメなはず、なのに、俺のこと忘れて他の男なんか作って……ッ! そんなのダメだ、許せない!! お前は、お前は俺の
拓也はそう叫ぶといきなり大きく左手をあげ、思いっきり揚羽の頬をビンタした。強い衝撃に耐えきれず、そのまま殴られた方向に体が崩れ落ち、倒れ込んだ。
あぐっ、と呻き声が出た。口の中が切れたようで血の味がした。初めて拓也に暴力を振るわれた瞬間だった。そして幼い頃、父親に殴られ殺されかけた記憶が蘇った。ガクガクと体が震えて、声が出なかった。
「ごめんな……痛かったよな……」
拓也はそっと赤く腫れ上がる揚羽の頬に触れた。彼女が恐怖でビクッと体が震わせたのに気づくと酷く心地よい高揚感に襲われた。
「あぁ……、好きだよ……」
「……ッ!」
身動きが取れない蝶に覆い被さると青ざめた顔をして抵抗してきたので脅しに顔のすぐ横の床を叩いてみた。すると小さな蝶はまた大きく体を震わせ、小刻みに怯え始めた。この姿、これだよ、これ。なんと心地が良いものか。糸で絡め取った獲物を前に蜘蛛は怪しく笑った。
「そういえば、あの男とはヤッたのか?」
胸元にあるメイド服のリボンを解こうと指をかけ問い詰める。返事はなかった。
「だよな。お前、こういうことに抵抗があって俺とも一度もしたことないもんな」
もし、どうしても気持ちを奪い返せないのであれば……このままこの女をズタズタに傷つけて二度とあの男の前に顔向けできないようにするのも悪くないなと思った。
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