第32話 誘拐

 時刻は13時22分、買うのは小麦粉と苺だけだから……、早ければ14時半前には戻れそう。スマホで今の時刻の確認と大体の買い物の目安の計画を立てた。


 どちらもお店が徒歩圏内なので屋敷から歩いていくことにした。それに今日の天気は晴天。絶好のお散歩日和だ。まぁ、目的はお散歩じゃなくてお買い物なんだけど……。


 そんなことを考えながら歩いていると突然、道ゆく男の人に声をかけられた。見るとその人物はすれ違う一人一人にチラシを配り歩いているようだった。


「すみません。行方不明者の目撃情報を探しております……よかったらご協力ください」


 そう言われチラシを一枚手渡された。一体何が書いてあるのかふと目を通してみると思わず、え? と声が出た。


【失踪者を探しています。名前は姫宮綾乃】


 チラシにはそう書かれていた。そしてそこに乗っている顔写真はあの日、拓也の彼女として現れた女の顔だった。


「もしかして、綾乃のお知り合いですか?」


 揚羽が顔写真を見て反応したため男は縋るような目で問いかけてきた。なんと答えれば良いのだろうか? ただ一度見かけたことがあるだけで知り合いという間柄ではない。それに冷たい言い方かもしれないが、私にはもう関係のないことだ。私は今後一歳彼女や拓也とは関わりあうつもりはないのだから。


「いえ。私の勘違いだったみたいです」


 冷静にそう切り返し男の横を通り過ぎた。しばらくして振り返ってみると男はあからさまにガックリと肩を落としている様子だったので少しだけ悪いなと思った。


 改めてチラシの内容に目を通す。どうやら彼女は三日程前から行方不明らしい。拓也もそのことを知っているのだろうか? 血眼になって今も必死に彼女を探しているのだろうか? ……どちらにせよ私には関係のないことだと目的地へと足を動かした。


 無事に買いたいものを揃えることができた。小麦粉は業務用を頼んだので直接屋敷に届けるよう手配し、薫さんへ差し入れる苺も手に入れた。後は帰るだけと元来た道を戻ろうとした時だった。ふとさっきのチラシ配りの男の人を思い出す。また顔を合わせるとあれこれ聞かれてしまうだろうか?


 私は少し考えた後、やはり別のルートから帰ろうという結論に至った。少し回り道になってしまうがそれでも十分夕飯の準備には間に合うように帰れる。


 そういえば、こっちの道に行けばこの間李音様と一緒に買い物に行った通りに出るんだっけ?


「あの日……本当に楽しかったな……」


少しだけ思い出の余韻に浸りながら揚羽は元来た道ではなく別の道から屋敷に帰ることにした。あの日、拓也と再開したからてっきり嫌な思い出にすり替わるかなと心配していたけど思い出すのは李音様と一緒に買い物や街を歩いた事ばかり。頂いたリップグロスを見ると幸せな気持ちになり、自然と顔が綻んだ。


 すると突然、服のポケットから電子音が響きスマホが鳴った。どうやら李音様から電話のようだ。


「はい。揚羽です」


「今帰った、出かけているのか?」


「はい、近くに買い物に来ています」


 電話に出て簡単なやり取りをしている時だった。突然勢いよく後ろから車が走ってきて揚羽の隣で止まった。一歩間違えれば引かれていたかもしれない。突然の出来事にびっくりして言葉を失っていると運転席から見慣れた男が降りてきた。


「た、拓也?」


 彼は返事をすることなく無言で睨みつけながら揚羽に近づいてきた。逃げなきゃ……! 本能的にそう思い、背中を向けて走り出そうとした時だった。


「きゃああっ!」


 突如背中に激痛が走った。体が倒れる時ぐらりと頭の中が混ざり合い、目にはチカチカと星が舞った。ふと拓也の手を見るとスタンガンが握られていた。


「お前が悪い……お前が……」


 意識を手放す前そんな声が聞こえた気がした。








***


 次に目が覚めたら身体中が痺れてて全身に痛みが走った。おそらくこの痛みはスタンガンによる電圧と気絶した時に地面に倒れ込んだせいだろう。少し身体を起き上がらせようと動いてみたが手足が縄で縛られていて思うように動けなかった。


 周りを見渡すとどうやらここは、どこかのアパートの一室のようだった。次に声を出そうとしたところ口にガムテープが貼られていることに気づく。ちょうど目覚める頃合いがわかっていたかのように拓也が部屋に入ってきた。私は見上げる形で彼を目一杯睨んだ。


「……そんな目で見ないでくれ」


 拓也は怪訝そうに眉を顰めると口元に貼ってあるガムテープを痛くないように丁寧に剥がしてくれた。剥がした直後思わず苦しかったわけではないが解放された安堵から、ふぅっと口呼吸をしてもう一度拓也を見上げた。


「俺に会えて言うことは?」


「拓也……これは一体どう言うつもり?誘拐は立派な犯罪だよ!!」


 欲しかった答えと違ったのか拓也は悲しそうに目を伏せた。私はこのまま怯んではいけない、流されてはいけないと思い、出来る限り声を低めにキツイ口調で続けた。


「私はもう貴方と関わるつもりはないし、貴方にも私は必要ない。……そうでしょ?」


 拓也には綾乃さんが、私には李音様や薫さんがいる。もう一人ぼっちで誰かに縋らなきゃ生きれない私じゃない。少なくとも私の居場所は拓也の隣ではない。


「私を解放して!!」


 きちんと自分の意見を一人で最後まで告げられたのは初めてのことかもしれない。こんな短期間で自分が変われたことにびっくりもしたがそれ以上に李音様達の元に帰りたい気持ちが強かった。


 彼らが私を受け入れてくれたから、今の私があるのだ。


「違う……違う……」


 私の言葉を黙って最後まで聞いていた拓也の様子が急におかしくなった。体が震え始め、目は虚気味で頭痛がするのか頭を抱え始めた。


「俺の知っている揚羽は……そんなこと、言わない」


「何を言って……」


「俺の知っている揚羽は、俺がいないとダメな奴で……俺のことだけを好きって言って、俺のことを、俺のことだけを!!!」


「……ッ! 自惚れないで!! 拓也が、貴方が全部壊したんじゃない!! 私は無条件で貴方を愛し続けるほどお人好しじゃない! 私だって人間だ! 裏切られれば傷つくし、泣くし、嫌いにだってなる!!!」


 腹の底から怒りを露わにし、自然と大声が出た。これだけ大きな言い争いをしているともしかしたら近所の人が異変に気づいてくれるかもしれない。なるべく自然な会話で少しずつ誘導していこう。


もしかしたら長期戦になるかもしれない……そう覚悟を決め、揚羽は唇を噛み締めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る