第30話 異臭
「おや、落としたよ。疲れると甘いものが食べたくなるもんね」
ポケットから転がり落ちたキャンディーはコツンと音を立てて凪の靴にぶつかって止まった。それをヒョイっと拾い上げてじっと見つめた後、ん? と言って首を傾げた。
「あれ、これって手作りのキャンディー?」
透明なフィルムにただ包まれただけの同じく無色透明なキャンディーは見たことのない物だった。とても市場で出回っているようには見えなくて一応頭の中で似たような商品があったか考えてみたけど心当たりのものはない。
だとすると手作り以外考えられなかった。ほのかに袋の隙間から薔薇科の花のような強い異臭が漏れ出ている。
「あ、手作りかは分かりませんが……、前に人から頂いたものです」
「……これ、開けてみてもいい?」
「え、あ、どうぞ……」
凪はクルクルと包み紙を開け、飴玉を取り出してみる。するとやはり鼻をツンッと刺すようなむせ返る程強い薔薇のような匂いが瞬く間に広がった。
「酷い匂いだな……こんな匂い初めて嗅い––––」
李音が玄関中に広がる強い匂いに嫌悪を示し、言葉を言い終わる前だった。突然揚羽がゴホゴホと激しく咳をしたと思ったらしゃがみ込み胸を抑えて苦しみ始めた。
「だ、大丈夫!?」
慌てて近くにいた凪が駆け寄るが逆効果だった。凪が持つ飴玉から香る強い匂いに反応してパニック状態になった揚羽は自分でもどうしようもないくらい過呼吸で上手に息を吸うことができなかった。
ドクンドクンと心臓のスピードが速くなるのを感じた。あの日の出来事が一気に頭の中にフラッシュバックしてきて頭が割れそうだった。
別れ際、このキャンディーを渡された時に綾乃からも同じ匂いがしていたのを思い出す。
「早くそれをしまえ!」
その声に慌てて凪は飴玉を包み紙に戻し、さらに上からハンカチで包み匂いに蓋をすると鞄の中へと厳重にしまった。
玄関の扉を開けて風通しをよくして匂いを外へと追い出した。すると徐々に篭っていた匂いが逃げ、ようやく呼吸が落ち着き、冷静さを取り戻した。
「すみ、ません。何で、急に」
ゴホゴホと咳が抜けず少し苦しそうに喋ると二人は顔を見合わせて、揚羽の呼吸がさらに落ち着くまで少し待ち、ゆっくり質問をしてきた。
「これをどこで?」
「えっと……拓也の彼女さんから……頂きました」
「こんな風に苦しくなったのは初めてかい?」
「いえ……、これを渡された時もこんな感じでした」
ゆっくり交互に質問をされる。二人とも心なしか目が鋭く少し怒っているように感じた。
「口にしたことは?」
「私はありません。でも拓也達は普通に食べていたので毒とか変なものではないと思いますが……」
ただ匂いが体に合わなかっただけだと思う。嗅いだことのない刺激臭だったから体がびっくりしちゃっただけ……。しかし二人はその答えに納得してないようだった。
「これ、念の為持ち帰って調べてもいい?」
「あぁ、どちらにせよ、こんな酷い商品市場に出回ってもらっちゃ困るしな」
「それじゃあ後で連絡するよ」
鞄にしまい込んだ飴玉の匂いがまた溢れ出す前に凪は急ぎ足で屋敷を後にした。
「あ……よろしかったのですか? 何か用があっていらしたのでは?」
まさか自分が持っていたキャンディー一つでこんな大事になるとは。朝のうちにさっさと捨ててしまえばよかったと後悔した。
「あー、別に問題はない。あいつはただ––––」
言葉を続けようとして李音は少し考えてやっぱりやめた、とでも言うようにそっと言葉の続きを飲み込んだ。その代わり、そういえば薫は? といつもならお出迎えに来る姿がないことに疑問を感じた。
「あ、今朝転んで怪我をしてしまったようで……今大事をとって休んでもらってます」
「それでお前だけ走ってきたのか、薫が動けないなら一人で大変だっただろう」
「大丈夫です! 少しでもお役に立ちたいですから!」
ふんすっ!と鼻息荒く腕に力瘤を作るような動作をしてみせる。……全然できなかったけど。李音はその様子を見てご機嫌そうに笑うと二人で薫のいる食堂の方へと向かう。
「あの、お腹空いてませんか? 今日のおやつ、アップルパイを作ったんです」
「へー、お前が?」
はい! と元気よく返事をするとまたクスッと笑われた。
「それは楽しみだな。色んな意味で」
その言葉に期待と皮肉が半々に混ざっているのを感じて、揚羽はむぅっと頬を膨らまして剥れた。
「あら、李音様おかえりなさいませ」
食堂へ行くと薫が立っていて、さらにテーブルの上にきちんとお皿とナイフとフォークがセットされていた。まだ足が痛むはずなのにもしかして無理をして動いたのかな? と思い心配になり声をかけようとしたらその前に薫が口を開いた。
「もう大丈夫ですよ。午前中しっかりお休みさせていただきましたからお気になさらず」
それより、冷めないうちに食べましょうとせっつかれそれ以上は何も言えなかった。とりあえず三人とも席につき、食べ始めることにした。
「んっ! 美味しい。ねっ、李音様もそう思いますよね?」
目をキラキラとさせ、薫は少し大袈裟に言って見せた。美味しいと思っているのは本心だったがなんとしてでもこの天邪鬼を素直にさせたいという一心で声をかけた。
しかしその天邪鬼は薫が思っていたよりもあっさり美味しいと認め、嬉しそうに頬張った。その様子に薫は一瞬目を丸くしたがすぐに嬉しそうに笑った。
揚羽も思っていたよりパイが好評で嬉しく思った。こうして三人で食べた今日のアップルパイの味はきっと生涯、ずっと忘れないだろうなと思った。
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