第21話 外出

 あの裏切られた日から早いものでここにきてから数週間の日数が過ぎていた。


 ここにきてから毎日が本当に楽しくて、毎日に幸せを感じていた。覚える事もたくさんで小さなことで迷ったり、悩んだりしている暇はなかった。井の中の蛙とはよく言ったものだ。私はあまりに世間を知らなさすぎる。もっと色々勉強をしなくては。


 そして今日は薫さんと二人、そろそろ食料の材料や消耗品を買い足しに行かなくてはいけないので必要なものをリストアップをしていた。


「これで全部です。一応このメモを渡していただければお店の人ならわかると思いますよ」


 本当に一人で大丈夫ですか? と心配そうに首を傾げる薫に揚羽は「お任せください!」と意気揚々に力一杯返事をした。


 今日はこの屋敷に来てから初めての外出だ。


 ここ最近物騒な事件の話も絶えないし、ここは是非自分に任せて欲しいと前々からお願いをし、ついに今日初めてお使いの外出のお許しが出た。


 よし! 今日は絶対失敗しないで頑張るぞ! と気合をいれている時だった。


「俺も行く」


 玄関から出ようと扉に手をかけた時だった。不意に後ろから声をかけられる。


「あら、李音様。珍しいですわね」


 薫は李音様が一緒に行ってくれるなら安心ね! と微笑んだが、私は少し複雑な気持ちになった。


 お使いくらい、一人で行けるのに……。


 少し過保護なのではないだろうか? それとも逃げ出すんじゃないかと疑われているのだろうか……? 一人いじけている揚羽を横目に李音は涼しい顔で


「車を出そう、乗れ」


 と言って先に歩き出した。慌ててその後ろをついていく。


「いってらっしゃい」


 薫に送り出されて、屋敷を後にした。








––––会話、どうしよう。


 李音の車の助手席に乗せてもらいながら揚羽は頭を悩ませていた。


 普段は薫さんもいるからあんまり緊張しないけど……、二人っきりになると一体何を話せばいいのか……。そもそも私から話しかけていいの? それも運転の邪魔だから黙っていた方がいいのかな? でもこのなんとも言えない冷たい空気どうすればいいの〜!


 カチコチに固まりながらそんなことを考えていた。もういっそ変なことを口走るよりかは大人しくしている方がいいかと思って黙っていると、やがて李音の方が口を開いた。


「……慣れたか?」


「えっ?」


「もうここにきてから大分経つだろう、慣れたかと聞いている」


 気のせいか、それは少し優しい声だった。


 この数週間、私はまだまだ全然ダメで李音様の前で失敗ばかりしていた。お茶を溢したり、任されたお料理を失敗したり、掃除で高そうな花瓶を割りそうになったこともあった……。


 てっきり今日は怒られるのかと思っていた。


「はい。まだ……失敗は多いですけど……」


「それはそうだな」


 彼の返しに「うっ」と言葉が詰まる。


 だめだ、もっともっと頑張ろう……、早く一人前のメイドにならなくては! 絶対にこの人を見返してやるんだ! ……この人の役に立てるように。


「今日はお仕事はよろしいのでしょうか?」


 李音様は本当に毎日忙しそうにしている。書類と睨めっこしていたり、突然電話がかかってきて出ていくこともしばしばある。もしかして気を使って一緒にきてくれたのではないだろうか?


「あぁ、先日凪が言っていたことも気になるしな。街の様子も見たい」


 そういう李音様の態度はツンッとしているがどこか楽しそうに笑みを含んでいた。


「それに俺もお前も屋敷に篭りっぱなしじゃ気も滅入るだろ、気分転換は必要だ」


 まぁ、あくまでお前はついでだがな、と言葉を濁した。薫さんが「本当、李音様って素直になれないんですから」と言っていた言葉が妙に脳内をチラついた。


 そんな会話をしていると最初の店に到着した。初めてのお使い、初めてのお店。少しだけ緊張してきた。


「行くぞ」


 少し早歩きで前を行く李音の後を追いかけるように慌ててついていく。なんかさっき屋敷を出た時と同じ光景だと思った。


「あら、李音様。今日は薫ちゃんはどうしたの?」


 パン屋のおばさんが李音の姿を見るなり珍しいお客さんだと豪快にガハハと笑った。


「今日は新しいメイドがお使いの勉強をしにきている」


 んっ、と李音は揚羽のことを指さすと、パン屋のおばさんは「あらあらまぁまぁ」と目頭に涙を溜めた。


「ついに薫ちゃん以外にも働いてくれる人見つかったんだね、アンタ口と目つきが悪いからねぇ」


「どういう意味だ」


 ギロリと李音の目つきに鋭さが増す。しかしパン屋のおばさんは怯むことなくもう一度ガハハと大きく笑った。


「今日はお祝いでサービスしておくよ! 嬢ちゃんお名前は?」


「あ、揚羽です」


「揚羽ちゃんね、ここは街一番の美味いパン屋! 『ベーカリー小麦の宿』だよ。あたしはここの看板娘、これは出来立てのメロンパン、ほらお食べ」


 捲し立てるように喋られて、ホイッと包み紙に巻かれた出来立て熱々のメロンパンを差し出された。思わず受け取ってしまったが、え、これどうすればいいの???


「なんだいホラ、遠慮せずにガブっと齧るんだよ! そんな細い腕じゃお腹すいて途中で行き倒れちまうよ!」


 パン屋のおばさんはホレホレ食べろとジェスチャーで進めてくる。


 えっ、でもこんなところで召し上がるわけにはいかないし、かといって遠慮するのも悪いし、何が何が正解なのー! ええい! もうどうにでもなれ!!!


 私は考えることをやめて思いっきりメロンパンに齧り付く。


「っ! フワッフワだ!!」


 出来立てのメロンパンは表面はカリカリ、中身はふっくらバターが染み込んでふわふわのもちもちだった。こんなメロンパン食べたことない!


「そうだろうそうだろう! あたしのパンは世界一さ!」


 揚羽の素直な反応に機嫌を良くしたおばちゃんは注文の品以外にも沢山おまけをつけてくれた。李音様は「多すぎだ馬鹿」と少し頭を抱えていたみたいだけど……。


「揚羽ちゃんまたおいでねー! 李音様は気難しいけどいい子だから頑張って支えてあげてねー」


「余計なことは言わないでいい」


最後まで不機嫌そうに、でもなんだかそのやりとりを楽しそうにしてる李音様を見て揚羽は思わずクスッと笑みが溢れた。

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