第20話 来客

 あの後三人で朝食を囲み、李音様は仕事だ、と言って出かけてしまった。薫と二人朝食の後片付けをしたり、洗濯物したり、広い屋敷の掃除をしていたらあっという間に一日が終わった。目まぐるしく過ぎていく時間は何だか心地よくて。余計なことを考えずに済み、だんだん昨日のことは忘れかけていった。


『臨時ニュースです。先日の長い髪の女性ばかりを襲う連続殺人事件の犯人は未だ逃走と殺人を続けている模様です、国民の皆様、十分に気をつけてお過ごしください』


 夕飯を終え、食器を片付けながらつけっぱなしで聞いていたラジオから昨夜聞いた殺人事件のニュースがまた流れる。


「怖いですね……。この間のご遺体、結構近くで発見されたそうよ?」


 薫さんは少し青ざめた様子で口にした。


「なんで髪の長い女性ばかり狙われるんでしょうか……。薫さん、こんなニュース聞いたら怖くて外出られませんよね……」


 ニュースの言う【髪の長い女性】というのはどこまでを指すのかはわからないが、少なくとも薫は髪の毛が腰くらいまで長く、充分に【髪が長い女性】というキーワードにひっかかってしまう。


 この物騒な世の中目をつけられないとも限らない。ましてや近くで事件が起きたとなるとやはり警戒心も強くなると言うものだ。


「私、買い物とか雑用全然やりますよ! 薫さんはこの犯人が捕まるまでは本当に気をつけてくださいね!」


 屋敷には一週間分くらいの食材や必要なものを週に一回買いに行く日がある。もちろん全てを運び切ることはできないので多くの商品は直接店舗に行き、注文して後で届けてもらう形式なのだがそれを今までは薫が担当していたらしい。


 しかし近頃不穏な事件が続いていることもあり、次の買い物の時は揚羽が行きたいと強くお願いしてみたのだ。少なくとも昨日髪を切り、ショートヘアーになった自分はこの事件とは関わりを持つこともないだろうし、何より中の家事で手一杯の薫の力になりたかったのだ。


「そうですね。行きつけのお店にも揚羽さんの顔を覚えてもらいたいですし、次のお買い物はお願いすると思います」



––––ピンポーン


 突然、屋敷の中にインターホンが鳴り響く。時刻は八時前を指している。こんな夜に訪問者? 一体誰なのだろう? すると薫は心当たりがあるかのように大きなため息をついた。


「こんな非常識な時間に来るなんて、きっとあの方だわ」


 まったく、と薫は腰に手をあて困ったように笑った。


「お迎えに行きましょう」


 揚羽は薫に言われるがまま着いていくことにした。長い階段と長い廊下を抜けて、ようやく辿り着いた玄関を開き、中に招き入れると一人の男が入ってきた。


「やぁ、悪いね。ちょっと野暮用でさ」


 男は右手をあげ軽く挨拶をしてみせる。スラっと背が高く、黒いスーツに身を包んだ男は身なりがとても整っていて紅葉色の長い髪を綺麗に結って肩に乗せて流している。


少し垂れ目で甘いマスクをした20代後半くらいの美形の男はヘラヘラと笑いながら薫に近づいたかと思うと馴れ馴れしく肩に手を回してきた。


「野暮用ならお帰りください」


 薫は照れることもなく、ただニッコリとお手本のような笑顔で微笑んだ。


「そう冷たいこと言わないで薫ちゃん、じゃあ本当は君に会いにきたって言ったら?」


「もっと帰ってください」


 食い気味に男の言葉をピシャリと受け流すと、薫は肩に回された手をペシっと叩いた。


「冗談はいいですからこちらへどうぞ。ご案内いたします。とその前にこちら新しいメイドの揚羽さんです、以後お見知り置きを」


「あ、暁揚羽と申します!」


 二人のやりとりに圧倒されて何もできずに見ていたが、薫さんが気を利かせて紹介してくれたのでひとまず名乗り、頭を下げた。


「暁……? へぇー君が例の」


 男はまじまじと上から下まで舐め回すかのような熱い視線で見つめてきた。なんだか品定めされているみたいで少し緊張した。


「可愛いね。俺、凪。紅葉狩もみじがりなぎだよ、よろしくね揚羽ちゃん」


凪と名乗った男は私の手を取りぎゅっと握り返してきた。えーっと、この場合はどういう対応をすればいいのだろう? と頭を悩ませた。


「……うちの揚羽さんに悪い虫がつくのであまりベタベタ触らないで頂けますか?」


 冷ややかな目で薫は凪を一瞥した。その視線に気づいた凪はハハっと爽やかに笑うと、え、もしかして薫ちゃんヤキモチ? と言ってようやく手を離してくれた。なんだか台風みたいな人だと思った。ひとまず来客は来客なので客間に案内することにした。


「急に来るなんて聞いてないぞ」


 不機嫌そうに眉を顰める李音のことなど露知らず、凪は優雅に出されたコーヒーを口に含んだ。


「……Edenエデンって聞いたことあるかい?」


 凪は静かに口を開いた。


「どんな形なのかどんなモノなのかは未だ不明。ただ、それを手にしたものは破滅の道へ誘われるという」


 怖いねーと凪は大袈裟に身振り手振りをして見せる。でも目は決して笑っていない。本気の話のようだ。


「これが近頃街で出回っているらしい。正体不明の噂。君の耳にも入れておいた方がいいと思ってね」


 わざわざここまで来てあげたんだよ? 感謝して欲しいくらいだ。と凪はもう一度コーヒーを口に含む。


「あ、甘いものもよかったらどうぞ……」


 話の腰を折るのも悪かったので区切りのいいところで揚羽はお茶菓子をお出しした。薫さんの手作りのシフォンケーキ。さっき夕食を食べ終えたばかりなのに程よいミルクティーの香りが食欲をそそる。


「わ、これって薫ちゃんお手製ケーキじゃん。お土産にも欲しいなぁ」


 凪の顔がさっきのヤバそうな話と打って変わってパァっと明るくなる。


 さっきから思っていたけど、凪様は薫さんのことをお慕いしているのだろうか?全く相手にされてない様子だけど……。


 粗相なくお二人の前に無事にケーキをお出しできてホッとし立ちあがろうとした瞬間、不意に右手を凪様がまた握ってきた。


 あれ、もしかして私、何か知らずにお気に触るようなことをしてしまったのでは? と体が強張るとその反応を見て凪は愉快そうに笑った。


「ハハっ、固まっちゃってかーわいー。照れてるの?」


「違う、怖がってんだよ馬鹿」


 李音は冷ややかな目で凪を睨みつけると、やれやれと言った様子で頭を抱えた。


「えー? 俺怖い? お前のその迫力ある目ならまだしも、この俺だよー?」


 俺のこと怖くないよね? と子犬のような瞳で見つめられた。自分の甘いマスクを十分理解しているらしい。


「えっと……その……」


 どうしよう、こう言う時どんな顔してなんていえばいいのだろう? 拓也以外の男の人とあまり関わってこなかったから男の人への扱い方がわからなかった。


「凪、いい加減うちのメイドを口説くのはやめろ」


 困っている様子を見て李音様が助け船を出してくれた。凪様は少しだけ残念そうに掴んでいた手をようやく離してくれた。


「ちぇ、薫ちゃんといい揚羽ちゃんといい、美人と可愛い子ばっか侍らせやがって」


「侍らせてない」


 お前と一緒にするな、と不愉快そうに李音様は言った。また眉間に皺がよって怖い顔になってる。そんなお決まりの顔を見ても凪様は涼しい顔で笑って見せた。


「まぁ、今日は夜分遅くに失礼したね。美味しいコーヒーとケーキをご馳走になったし、今日は帰るよ」


 と言って立ち上がる。するとススっと薫さんが近づき、小さな紙袋を手渡した。


「お土産にどうぞ」


「えっ、いいの?」


「さっきご自分でご所望しましたでしょ」


 ツンっと薫さんはそっぽを剥いたが凪様は本当に嬉しそうに大事に紙袋を受け取った。


「ありがとう、また来るね」


 そう言って軽く投げキッスをして軽やかに去っていった。薫さんは「まったく、調子いいんだから」と凪様には見せなかったけど、少しだけいつもの優しい薫さんの表情で楽しそうに笑った。

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