第18話 再出発

「えー? そこは素直に可愛い、ですよ、李音様」


 全く素直じゃないですねぇ、と薫はニヤニヤと笑って見せた。この二人の関係は主人とメイドのはずなのに、まるでやりとりは姉弟きょうだいのようで見ていてほっこりした。


「うるさいぞ、薫」


 李音は揶揄われたのが癇に障ったのかすぐに不機嫌な顔になり鋭い目で薫を睨みつけた。そして話題をすり替えるかのように、半から三人で食事にしよう、と言い残し、すぐ部屋を出てしまった。


 薫も食事の用意がありますので私もお暇しますね、と部屋を出ようとしたので揚羽は慌てて自分も何かお手伝いがしたいとお願いをした。しかし、薫からも今日はきちんと体を休めるのがお仕事ですよ、とハッキリ断られてしまった。ガックリと肩を落としていると


「お手伝いは許可できませんが一緒に食堂へ行きますか?」


 案内しますよ、と薫は揚羽の手を取った。確かに部屋でただ待っているのも退屈だし、どんな仕事をするのか見学できるのはありがたかった。行きます! と元気よく返事して一緒に食堂へと向かった。その途中、食について色々と聞かれた。アレルギーや食べれないものはありますか? 好きなもの、嫌いなものはなんですか? といった質問だった。


 基本的にアレルギーや好き嫌いはない、というか幼い頃は今日明日のご飯が満足に食べられる生活ではなかったため、飢えない程度にご飯が食べれれば十分だった。なのであまり食には関心がない方だと伝えると薫は少し驚いたように目を見開いた。


 食堂へ着くとすでにほとんど食事の準備が整っており、揚羽は少しは手伝えるんじゃないかと期待していたが残念ながら李音もすでに席に座っており、鋭い眼光で見張られているような気がして大人しくただ座って待つしかできなかった。


「揚羽さんのお口に合うと良いのですが……」


 薫は少しだけ照れたようにまずは野菜たっぷりの温かいスープを出してくれた。


 しかし、ここで私は気づいてしまった。自分はテーブルマナーというものが一切わからない。何か粗相をしてしまうのではないかと思うと食事があまり喉を通らないような気がしてきた。


 どうしよう、せっかく薫さんが作ってくれたのに……。


 困り果てていると薫はその様子に気づいたようで優しく諭してくれた。


「揚羽さん、何も気にすることないですよ。私達メイドと一緒に食事を召し上がるようなご主人様ですよ?」


 今更マナーとか気にしませんよ、と薫は笑った。そうか、確かに普通は主人が食事を終えてから私達のような召使が食べるはずなのに、主人が下々のものと一緒にテーブルを囲んで食事をとるわけないのに……なぜ李音様は三人で食事をとろうといったのだろう?


「……食事は多い方がうまいだろ」


 ボソッと呟く声を薫は聞き逃さなかった。


「ふふ、いつもは私と二人だけですもんね」


 そのやりとりを見て少しだけ肩の力が抜けた気がした。温かいスープを口へと運ぶ。


「美味しい……」


 それは自然と溢れでた感想だった。その一言に薫はパァッと表情が明るくなった。


「やっぱり、美味しいって言ってくれる人がいると嬉しいですね」


 薫はチラリと横目で李音を見る。その視線に気づいた李音は気まずそうに咳払いを一つしてから、普通にうまい、と言った。


「もう李音様、そこは『普通に』は余計です」


 ふふッと薫は嬉しそうに笑った。嗚呼、こんなに温かい食事を囲んだのはいつ以来だろう?


 母が亡くなってずっと一人暮らしをしていた。たまに拓也と食べる食事は本当に楽しくてこれが毎日続けばいいのにと思っていたが、それは叶わなかった。


「おかわりもあるのでたっくさん食べてくださいね」


 薫はそう言ってくれたが長年満たされなかった胃は空腹に慣れすぎて小さくなり、すぐにお腹いっぱいになってしまった。


「とても、美味しかったです」


「お粗末さまでした」


 薫は手慣れた様子で食器を片付けていく。揚羽は出かけた言葉を飲み込もうか悩んだが、やはりどうしてもじっとしていられてなくて勇気を出してもう一度だけ、李音の顔色を伺いながら申し立ててみた。


「あの、後片付け、お手伝いさせてください」


 早くこの仕事に慣れたくて、と諦めずにお願いをするとやがて李音様の方が折れてくれた。好きにしろ、と呆れたように笑うと自室に戻る、とすぐに行ってしまった。とてもぶっきらぼうな言葉だったけど、なんだかこの屋敷で働く一員として少しだけ認められたような気がして嬉しかった。


 調理場で洗い物をしている薫に駆け寄り、キチンと許可をもらえたことを話すと薫は「あらあら」と声をあげ、また嬉しそうに笑った。それじゃあ洗った食器を拭いてくださる?とお願いされたので張り切って手伝うことにした。


「揚羽さんすごいですね、李音様のこと怖くないんですか?」


 普通なら一度あの目で睨まれると大抵の子は二度と意見しなくなるらしい。確かに初めて会った時、あの氷のような冷たい声と凄みのある目力を少し怖いなと思ったが今は全然気にならない。それは時折見れる優しさにようやく気付けたからだと思う。


「早く……お役にたちたくて……」


 それは本心からの気持ちだった。でも今、私がすぐに返せるものなんて何一つなくて……でも唯一、体だけは丈夫に育ったので一日でも早く仕事に慣れて胸を張って彼のメイドだと言える自分になりたかった。


「私、本当に屑で役立たずだけど一生懸命頑張ります! 何卒ご教授お願いします!」


 私は深々と頭を下げた。そんな揚羽を見て薫は優しい声で顔をあげてください、と言った。


「あまり自分を卑下しないでください。大丈夫、一緒に働く仲間が出来て嬉しいわ。こちらこそよろしくお願いしますね」


 食器を片づけ終わった後、薫は明日からの仕事内容をきちんと説明してくれた。揚羽はそれを熱心にメモったり聞いたりして今日の業務は終わりを告げた。


 私は自分の部屋に戻り、お風呂に入ろうと脱衣所へと足を運んだ。ふと備え付けられた大きな鏡に映った自分と目が合う。髪を切って新しく生まれ変わった自分を見て少しだけ心が騒ついたがすぐにその気持ちを拭い捨てた。


 ここにきてからまだ数時間しか経っていないのに不思議と今日あった出来事が酷く遠い昔のように感じられた。ここにいる時間がとても楽しくて、とても居心地が良くて……ちゃんとここにいられるように、お役に立てるように頑張ろう。私は今日から新しい自分になる、昔の自分はもういらない。


 再出発リスタートするんだ。


 揚羽はそう強く誓った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る